僕らの狼煙

とりをとこ

僕らの狼煙

煙があがる。

それは戦争が始まる合図だった。

見えもしない希望とたくさんの利益。

それだけのために数千、数万、それ以上の命を地獄へと見切り発車させる。

大きな奇声を上げてあちらもこちらも武器を掲げて突っ込んでくる。

この国の偉い人は何を思ってこの"当たって砕けろ"の精神を僕らに科すのだろうか。

宗教に対する憎しみ。

他国に対する憎しみ。

僕らとは違うすべてへの憎しみ。

この国は憎しみを作業的に植え付けていった。

その種子はいま奇麗に咲いて、僕らをあちらへ突撃をさせる。

きっとミクロな眼で視れば僕らには個があるんだろうけれど、客観的に見る場合のほうがこの世界には多いわけで、マクロな眼でしか僕らを認識しないだろう。

個を認識することなんて身近な友人や家族くらいのもので、インターネットを映し出すモニタでなんて解ろうとはしないのだ。

銃声。

脳漿がぶちまけられる。

顔にかかる。

僕らはそれに気にも留めず機械的に行軍。

僕と、友達とか家族とか学校の先生とか何回かあったことのある親戚だとか、見ず知らずのあなたがこのばしょに詰め込まれて突撃する。

あぁなんでこんな事になってしまったんだ。

あちらが口を開けば激怒し、歩み寄れば噛み付く。

そんな風にしかコミュニケーションをすることしかできないように開花してしまった僕らは涙をダラダラと垂らしながらいつも歩いたコンクリートを駆けた。

涙を流す理由なんて知らないけれど。

僕らの近しい人が次々と撃たれ死ぬ。

それに対して怒りを解き放つ。

僕らも撃つ。

あちらも撃つ。

連射だ。

それに対して僕らも連射。

憎しみが憎しみを呼ぶ。

怒りが怒りを呼ぶ。

悲しみが同胞たちの同情を誘い、合わせ鏡の感情はスパイラル。

辺りは朱に染まった。

それでも僕らは対面して感情をぶつけるだけだった。

感情を弾に込めて撃つ。

一人残らず殺す。

殺すんだ!

やれ!

やるんだ。

やらなきゃやられる。

おい!

オラ!

そんな言葉が込められ、発射。

ヒット。

それは僕の頭蓋骨だった。

前のめりに倒れ込む。

痛みに耐えられない。

もう、助からない。

撃たれた痛み。

脳を穿き、ドクンドクンと脳に血が回るたびに痛みが全身に奔る。

この痛みがやっと感じる"ぼく"だった。

僕らの狼煙猿たちの燻りが世界を駆け巡る。

網が世界を包み込みマクロなそんざいと変容した。

一つになったそんざいに内包されたぼくらは決して世界げんじつには表立って出ることはない。

押し殺してネットに閉じこもるだけさ。



***


二〇五八年。

みんながひとつとなった時代。

そう、思い込んでいる時代。

そう、思い込ませた世界。

生活と引き換えにひとつの感覚を思い込まされることを受け入れた僕ら。

より世界を引いて観るとどうやらその"僕らクラスタ"も一つじゃなくて幾つかのグループがあるようだった。

その生物は世界の一人称は自分であるべきだという。

ひしめき合う個々の中で我こそは主人公と思いこむ彼らを人は"ホモ・サピエンスぼくら"というらしい。

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