第6話
翌日の午後、リスティア達は石の壁で囲まれた街が見えるところまでやって来た。
「リスティア様、あそこに見えるのが私の暮らしている街、シスタニアですよ!」
ナナミがはしゃいでいる。最初は引っ込み思案な大人しい女の子と言うイメージだったのだけど、この二日でずいぶんと明るくなった。
ただ、お姉ちゃんとして慕われているのではなく、天使のようにあがめられている辺りが、リスティア的には不満なのだが……ナナミは気付いてくれない。
慕ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと違う! と、嘆かずにはいられなかった。
ともあれ、リスティア達は街の入り口へとたどり着いた。出入りのチェックをしている兵士の格好をしたおじさんが、リスティア達のもとへとやってくる。
「シスタニアにようこそ、嬢ちゃん。この街に来た目的はなんだ?」
「人助けだよ!」
「……はあ?」
迷わず答えたリスティアに対して、兵士のおじさんが間の抜けた表情を浮かべた。
「だから、困ってる子供を助けに来たの」
「それは……本気で言っているのか?」
「リスティア様は天使なんです!」
「天使? なにを……って、ナナミじゃないか。無事だったのか!」
兵士のおじさんはナナミの前に駆け寄った。
「おぉ。本当にナナミだ。良かった、無事だったんだな! 調査隊が予定日になっても帰ってこないから、みんな心配してたんだぞ!」
ナナミは唇を噛み、悔しげに顔を伏せた。そんなナナミの態度に、兵士のおじさんはいぶかるような表情を浮かべた。
「そう言えば、他のメンバーはどうしたんだ?」
「……みんな殺されました」
ナナミの言葉に、兵士のおじさんは息を呑んだ。けれど、すぐに表情を引き締める。
「……なにがあったんだ?」
「魔物が迷宮に巣くっていたんです。それで、一人、また一人とやられちゃいました。私が助かったのは、リスティア様のおかげなんです」
「リスティア様? よく分からんが……とにかく、お前だけでも無事で良かった。先にギルドに連絡を入れるから、ちょっとここで待っててくれ」
兵士のおじさんはそう言うと、どこかへ走り去っていった。それを見届けたリスティアは、あらためて門の向こうに見える街並みへと視線を向ける。
表通りには石を積んだ建物が立ち並んでいた。リスティアがいた時代の人間と比べても、あまり代わり映えがない。むしろ、衰退しているように見える。
ただし、街の規模だけは、リスティアの知っているどの街より圧倒的に大きい。
「おっきな街だねぇ~」
「これでも、街としてはそんなに大きくないんですよ?」
「これで大きくないなんて、本当に人間は増えたんだね~。この街には、どれくらいの人がいるの?」
「2~3万くらいって聞いてます」
「多いね~」
人間の寿命が100年としても、各年代に200~300人ほど。女性はそのうちの半分だけど、優に千人くらいの妹候補がいる計算だね! なんてことをリスティアは考えた。
そして同時に、この街で妹を見つける計画を立てる。
「ナナミちゃんにお願いがあるの」
「任せてください」
「うん、まだなにも言ってないからね? なにを言われるかも分からないのに引き受けたらダメだからね?」
「問題ありません」
「問題しかないよ……」
リスティアはわずかにため息をついた。リスティアが欲しいのは、手間の掛かる妹であって、リスティアのお世話をする年下の女の子ではないからだ。
だけど、これも妹を手に入れるためだと気を取り直し、話を再開する。
「お願いっていうのはあたしの正体について。他の人には出来るだけ秘密にして欲しいの」
「そんな、リスティア様が天使であることを隠せというんですか!?」
悲鳴じみた声でのたまった。そんなナナミの反応に、リスティアが戸惑う。
「分かってると思うけど、あたしは天使なんかじゃないからね? と言うか、あたしが隠して欲しいといったのは真祖の方だよ。あたしは普通の女の子として過ごしたいの」
「普通の女の子として過ごす……ですか?」
ナナミが、そんなこと出来るのかなとでも言いたげな表情を浮かべる。
「真祖の一族とはいえ、あたしは基本的に普通の女の子だから、ナナミちゃんが黙っててくれたら大丈夫だよ」
「リスティア様はもう少し、自分の力を自覚した方が良いと思います」
呆れ顔で言われ、リスティアは「ダメ……かな?」と眉を落とした。その可愛らしさと言ったら、同性のナナミが虜になるほどだった。
「ダメじゃないです! リスティア様の秘密は、私が全力で守ります!」
「……ホント?」
「任せてください!」
「わぁい、ありがとうね」
ナナミのハートを鷲づかみにしつつ、リスティアは無邪気に笑った。
そういう態度を取っているから、お姉ちゃんになれないのだ――と言う突っ込みをする者は、残念ながらこの場にはいない。
上機嫌でいるリスティアのもとに、先ほどのおじさんが戻ってきた。
「待たせたな。ギルドに使いを出したから、すぐに迎えが来ると思う」
兵士のおじさんはナナミに言い放ち、あらためてリスティアに向き直った。
「それで、ナナミを助けてくれたって言うのは、嬢ちゃんのことか?」
「えっと――」
「恩人のリスティア様です!」
ナナミが勢いよく肯定する。
「……と言うことだよ」
リスティアは苦笑いを浮かべた。
「そうか。なら、俺からも感謝する。ナナミを助けてくれてありがとう」
「うぅん、気にしないで。あたしが助けたくて助けただけだから」
リスティアはそう言って、今度は混じりっけのない微笑みを一つ。その純粋な微笑みを見た兵士のおじさんは、ほうっと感嘆の声を上げた。
「……どうやら子供を助けに来たというのは嘘じゃなさそうだな。もしかして、巡礼中の聖女様かなにかなのか?」
「うぅん、あたしは普通の女の子だよ。でも、子供を助けたいって言うのも本当だよ!」
「ふむ……よく分からんが、悪意はなさそうだな。ならば、身分証を発行しよう」
「身分証って?」
「ああ。俺達は日々、ここで怪しい人間がいないかチェックしている。身分証を持っていると言うことは、ここでのチェックを受けたという証明になるんだ」
「へぇ、そうなんだね」
真祖の一族は人数が少なく、全員が顔見知りと言っても過言じゃない。なので当然のことながら、そのような制度はなかったので、リスティアはなんだか新鮮だなと思った。
「タグに名前と職業を刻むから教えてくれるか?」
「名前はリスティア・グランシェス。職業は……普通の女の子だよ?」
「……ふむ。まあ、それでもかまわんが」
兵士のおっちゃんは魔導具を使って、タグにリスティアの名前と職業を刻み込んだ。
「これでよし――っと。登録料は銀貨一枚だ」
「銀貨……って、お金のことだよね?」
「そうだが……まさか、持ってないのか?」
「えっと……うん」
兵士のおっちゃんが驚いた顔をする。
銀貨一枚は、決して高い金額ではない。そこらの子供ならまだしも、旅人――それも、やたらと身なりの良い娘が、銀貨一枚すら持っていないだなんて想像もしていなかったのだ。
「リスティア様、私が出します!」
困り顔のリスティアに、ナナミが助け船を出す。けれど、リスティアは更に困った表情を浮かべた。お姉ちゃんを目指す者としては、妹候補に甘えるなんて許されないと思ったからだ。
「ねぇ、おじさん。お金の代わりに、物じゃダメ、かな?」
「物か……嬢ちゃんはナナミの恩人だと言うことだしな。銀貨一枚になるようなものなら、引き取ってやっても良いが……なにを出すつもりだ?」
「えっと……こんなのはどう?」
リスティアはアイテムボックスから革袋を取り出した。
「ん? 今どこから……いやそれより、財布を持ってるんじゃないか」
「うぅん、これは財布じゃなくて、マジックアイテムに使う触媒が入ってるんだよぉ」
そう言って取り出したのは、漆黒の小さな石。いわゆるシングルカットと呼ばれる、17面のシンプルな――けれどこの世界においてはかなり繊細なカットが為されている。
「ちょ、ちょっと、リスティア様?」
ナナミにツンツンとワンピースの袖を引かれるが、甘やかされたくないリスティアは、「ごめん、後にしてね」と、ナナミのセリフを遮った。
そして、兵士のおっちゃんに漆黒の石を手渡す。
「これは……やたらと綺麗だが、宝石じゃないのか?」
「あたしが作った人工物だよ」
「ほう……嬢ちゃんが」
もしこの場に貴族がいれば、その石の美しさに心酔していただろう。そして、もしこの場に魔法使いがいれば、その石が秘めたる魔力量に度肝を抜かれていただろう。
……いや、魔法使いの卵であるナナミは、既に度肝を抜かれているのだが。
だが、幸か不幸か、兵士のおっちゃんには、それが綺麗な石としか認識できなかった。
「この石で、手数料を支払うって言うんだな?」
「うん、ダメ……かな?」
「ふむ……まあ、良いだろう。俺にはあまり価値が分からんが、銀貨一枚を下ることはさすがにないだろう。ペンダントにでもして、妻にプレゼントするよ」
兵士のおっちゃんが、優しい目をしてそんな風に呟く。
「……おじさん、奥さんがいるの?」
「ああ、妻一人、娘一人だ」
「娘一人……? 二人目は作らないの?」
「……そうできたら良いんだがな。妻の容態が良くなくてな」
「病気かなにかなの?」
「まあ……そんな感じだ」
「そう、なんだ……分かった、ちょっと待ってね」
リスティアはアイテムボックスから更に素材を取り出し、魔法陣や詠唱を使わずに使える最大――第六階位の魔法を行使した。
ナナミと兵士のおじさんが注目するリスティアの手の中で、素材がみるみる形を変え、黒い魔石の付いたペンダントとなる。
「えへっ、ペンダント、かんせ~い、だよ」
「おいおい、今のは一体……」
「サービス、だよっ。容態が良くなるようなお呪いを込めたから、奥さんが元気になったら、二人目の子供を作ってあげてねっ」
「嬢ちゃん……ありがとよっ! こいつは礼だ、取っておいてくれ」
手首を掴まれ、広げさせられた手のひらの上に、二枚の銀貨を乗せられた。
「……これは?」
「俺からの気持ちだ。それがありゃ、今夜一泊くらいはできるだろ」
「ありがとう、おじさんっ」
リスティアは無邪気な微笑みを浮かべる。
「ははっ、ナナミが天使と言ったのも、あながち嘘じゃなさそうだな」
「あたしは普通の女の子だよぅ」
「そうかそうか。なら、そんな普通の嬢ちゃんに頼みがある」
「うん、なぁに?」
「もしこの街に滞在中、俺の娘と会う機会があったら仲良くしてやってくれ。あいつは、姉妹を欲しがっていたからな」
「――っ! うんうん、こちらこそ、だよ!」
わーい、妹ちゃん候補だよぉ~と、リスティアは満面の笑み。
「よし、それじゃもう行きな。日が暮れる前に宿を取らないと大変だぞ」
「うん、ありがとう~」
兵士のおっちゃんに見送られ、リスティア達は街の門をくぐった。
◇◇◇
しかし、妙な嬢ちゃんだったな。すれてなくて無邪気で……ナナミが天使だとか言ってたが、一体何者なんだろうな?
リスティア達を見送った兵士のおっちゃんことクルツは、旅人のチェックをおこないながら、そんなことを考えていた。
「クルツ、いるか?」
「はい、ここに。なにかありましたか?」
門番の隊長に呼ばれ、即座に駆けつける。
「いや、特になにもない。そろそろ上がっても良いぞと言いに来ただけだ」
「……よろしいのですか?」
定刻の鐘が鳴るまで、まだ少しだけ時間がある。そう思って聞き返した。
「今日は旅人も少ないからな。早く奥さんのところへ行ってやれ」
「……ありがとうございます、隊長」
クルツは隊長にお礼を言い、急いで帰路へと付いた。
街の片隅にある小さな一軒家の前。クルツは顔に浮かんでいた辛そうな表情を隠し、笑顔を取り繕って家の中に入った。
「お父さん、お帰り。今日は早かったんだね」
「ああ、隊長が気を使って早く上がらせてくれたんだ。……アンナは?」
「お母さんは部屋で寝てるよ」
「……そうか。ちょっと様子を見てくる」
「うん、そうしてあげて」
娘のレミィに見送られ、クルツは妻の眠る寝室へと顔を出した。その部屋のベッドでは、クルツの妻、アンナが眠っていた。
「……お帰りなさい、貴方」
「すまん、起こしてしまったか?」
アンナは首を横に振った。その仕草は弱々しい。けれど、それは無理からぬことだ。アンナは一ヶ月ほど前に、森で魔物に襲われて大怪我を負っているのだから。
魔法でも手の施しようのない大怪我で、一命を取り留めたのは奇跡。徐々に衰弱しており、長くは生きられないだろうと言われている。
「貴方、手になにを持っているんですか?」
「ん? あぁ……これか、お前にプレゼントだ」
クルツはベッドサイドに歩み寄り、リスティアから買い取ったペンダントを見せた。
「まあ……凄く綺麗。これを……私にくれるんですか?」
「ああ。思えば、お前にプレゼントをしたことがなかったからな」
「ありがとうございます、貴方。良かったら……つけてくれますか?」
少し困った顔でアンナが問いかけてくる。それを見たクルツは、気の利かない自分をぶん殴ってやりたくなった。
アンナは大怪我で片腕を失い、もう片方の手も上手く動かせないからだ。
クルツは唇を噛み、けれどすぐになんでもない風を装う。
そうして「もちろん、俺がつけてやる。……ええっと、こう、か?」と、留め具を使ってペンダントをアンナの首にかけた。
「……うん。お前によく似合っているな」
「ふふっ、貴方がそんなお世辞を言うなんて」
「お世辞じゃないさ」
アンナは顔にも酷い傷を負っている。けれどそれでも、アンナの気立ての良い性格が変わるわけではない。アンナは世界で一番の奥さんだと、クルツは心の底から思っていた。
「嬉しいわ、貴方。貴方の奥さんになれて、私は凄く幸せだった」
「……ばかやろう。そんな風に、終わったみたいに言うな」
「ごめんなさい。でも……これだけは伝えておきたかったの。あたしはきっと、もう長くないから。……ねぇ、貴方。あたしが死んだら、娘のことをお願いね」
「止めろ、止めてくれ」
アンナは心優しい女性で、周囲の人間からも慕われていた。薬草を採りに行ったのだって、他人のため。本当に、思いやりのある女性だ。
そんなアンナがどうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ! と、クルツは運命を呪う。
拳を握りしめて震えるクルツを前に、アンナはどこか寂しげな顔で微笑むばかり――だったのだが、そんなアンナの表情が、不意に驚きに染まった。
「な、なに? なんだか、顔が熱い……いえ、顔だけじゃなくて、全身が熱くなって……あぁ、傷口が、傷口が熱いわ!」
「なに? アンナ、大丈夫なのか!? ――くっ、レミィ、ちょっときてくれ!」
急に苦しみだしたアンナを見て、クルツはパニックになる。そこへ、クルツの悲鳴を聞きつけたレミィが飛び込んできた。
「――どうしたの、お父さん!」
「分からん。ただ、アンナが急に傷口が熱いと言い出して」
「お母さん、大丈夫なの!?」
レミィはアンナのもとへ駆け寄り――息を呑んだ。
「お父さん、これ……見て」
「なんだ、なにが――っ」
レミィが指さす部分を見たクルツは息を呑んだ。アンナの顔に刻まれていた酷い傷跡が、虹色の光に包まれ、みるみる塞がっていくのを目の当たりにしたからだ。
「お、お前……それ、どうなってるんだ?」
「なにって……あら、熱かったのがようやく収まってきたわね」
アンナはそう言って、元気よくベッドから上半身を起こした。そしてすがすがしい顔で「んん~っ」と両手を上げて伸びをする。
そのありえない光景に、クルツと娘のレミィはあんぐりと口を開く。
「あら、二人とも、そんな顔をしてどうかしたの?」
「ど、どうかしたのって、お前! だ、大丈夫なのか?」
「え? あ……そう言えば、なんだか気分が良いわ」
「い、いや、そういう問題じゃ……」
ないと言うセリフは、娘の素っ頓狂な声によって遮られた。
「お、おおおおっ、お母さんっ! 腕っ、腕が!」
「私の腕がどうかした……え?」
アンナが自らの両手を胸の前にかざして……目を見開いた。
そこにあるのは、傷一つない両腕――だけど、それは本来ありえない。アンナの右腕は、魔物に襲われたおりに失われていたのだから。
「ど、どうして私の腕が元に戻ってるの!?」
「わ、分からない。でも、さっきの光で腕が生えたんだと思う!」
「は、生えた? なにを言ってるの? 腕は生えたりしないわよ?」
「でも実際に生えてるじゃない!」
慌てふためく妻と娘を見ながら、クルツだけはこの奇跡の原因に気付いていた。アンナの傷口が光っていたとき、ペンダントも一緒に光っていたのを目にしたからだ。
だから、クルツは思った。
……あぁ、あの嬢ちゃんは本当に、天使だったんだな――と。
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