第4話

「ほ、本当の本当の本当に眷属にしないんですか?」

「本当の本当の本当の本当だよ!」


 リスティアは迷宮のフロアに可愛らしい声を響かせながら、不安そうなナナミを必死になだめすかす。それを根気よく続けていると、ナナミは少しだけ落ち着きを取り戻してくれた。


「……分かりました。リスティア様の言うことを信じます」

「うん、信じてくれてありがとう」


 リスティアはホッと一息ついた。


「ところで……リスティア様はどうして、ケージの中で眠っていたんですか?」

「それは、その……妹が……」

「妹、ですか?」

「えっと……うぅん、なんでもない」

「そう、ですか……」


 ナナミは台座に書かれていた文章を思い出し、なにか込み入った事情があるのだろうと考え、それ以上の追及を止めた。

 実際は『妹が欲しくて家出した』なんて、恥ずかしくて言えなかっただけなのだが。


「聞きたいことは、それだけなのかな?」

「えっと……なら、もう一つだけ。リスティア様は、これからどうするつもりなんですか?」

「どうする……って、どういうこと?」

「それは、えっと……人類を滅ぼしたり、とか?」

「……ナナミちゃんがあたしをどんな目で見てるのか、ちょっと気になるんだけど」


 あたしはこんなにも普通の女の子なのに、どうしてそんな物騒なことをすると思われてるんだろう? と、リスティアは可愛らしく首を傾げる。


「今よりずっと栄えていた時代、様々な種族の頂点に君臨した真祖のお姫様です。気に入らない種族は皆殺しにしたんですよね」

「してないよ!?」

「してないんですか?」

「してないよぅ。お気に入りの場所が荒らされたりしたら、おしおきくらいはしたけどね」


 なお、種族間で争っている戦場に降臨し、「あたしの作ったお花畑を踏み荒らすなんておしおきだよ!」と、全員を叩きのめしたとか、そういったレベルの微笑ましいおしおきである。


 まあ、それはリスティアがそう思っているだけで、各種族では真祖だけは怒らせてはならないという伝説が生まれたのだが……それはさておき。


「じゃあ……人間を滅ぼしたりは……?」

「しないよぅ。……って、さっき、今よりずっと栄えていた時代って言わなかった?」


 ワンテンポ遅れて、リスティアはその意味に気付く。


 リスティアが眠る予定だったのは数十年程度。ただし、不慮の事故で起こされた以上、まだ数年しか経っていないと思っていた。

 だけど、もしかしたら――


「あの、驚かないで聞いてくださいね。リスティア様が真祖の一族だとおっしゃるのなら、今は、その……千年ほど経っていると思います」

「……え? せ、千年?」

「え、ええ。真祖の一族が姿を消してたのが千年前ですから。たぶん、ですが……」


 そんな嘘を吐く理由はない。それに今の状況で嘘を吐くと思えない。つまり、リスティアが眠りについてからすぐに真祖が姿を消したとしても、既に千年が経っていると言うこと。

 だから、リスティアは、すごく、すごぉく驚いた。


 千年も娘を作らないなんて、お父様はどれだけイジワルなの!? ――と。もちろん、人間の感覚でいうと色々とおかしいのだけど、リスティアは至って真面目だ。


 まず前提条件として、真祖の一族は数千年くらいの寿命がある。数十年ほど眠るつもりが、うっかり千年ほど眠ってしまった。凄くびっくりだね! くらいの認識だ。


 そしてなにより、リスティアにとってはあれから一時間も経っていない。まだ怒りもおさまっていないし、重要なのは妹がいないという事実のみ、だった。


 だけど、だからこそ、事実は受け止めなくてはいけない。

 数十年の予定が千年。

 それだけ経っても妹が出来ていないというのであれば、もう一度眠りについたとしても、そのあいだに妹が生まれてくる可能性は低いだろう――という意味で。


 うぅん、やっぱり、自分で妹を探しに行こうかなぁ。

 さっきはちょっぴり失敗しちゃったけど、次はもっと上手くやれそうな気がするし、真祖の一族だって秘密にして仲良くなれば、きっと妹になってくれる女の子が見つかるよね。


「あの、リスティア様? 大丈夫ですか?」


 考え込んでいたリスティアは、ナナミに呼ばれて我に返る。気がつけば、ナナミが心配げにリスティアを見上げていた。


「え、あ、ごめんごめん。大丈夫だよ。これからどうするのかって質問だったよね。あたしはこれから、人里に行ってみるよ」

「人里、ですか? それは……なにをしに、ですか?」

「……困っている子供達を助けに、かな」

「困っている子供達、ですか?」

「うん。困っている子供を探し出して、助けてあげたいの」

「えっと……それは、なぜ……ですか?」

「それは、それはね」


 リスティアは一度言葉を切り、少し恥ずかしそうに――そして、天使のごとく微笑んだ。


「あたしが、困っている子供を助けたいから、だよ」


 それはつまり、困っている子供――特に女の子を助けて、いつかは眷属にして、妹にしたいという、よこしまな理由なのだが……言葉や仕草だけでは、その思惑までは分からない。


「……天使みたい」

「は、はい? あたしは天使じゃなくて、普通の女の子だよ?」


 リスティアにとってはつい数時間前にかわした、父親とのやりとりの焼き直し。だけど、あのときとは違って、相手の本気度が違った。


「私、誤解してました。困ってる子供を助けたいなんて、凄く、すっごく素敵です! 伝説に出てくる真祖は悪魔のように語られていますが、リスティア様は天使のような方ですね!」


 なにやら壮絶に勘違いされていた。


 一度はリスティアに対して怯えたナナミだったが……一度怯えたがゆえに、リスティアの天使のような発言に心を打たれた。

 手のひらをクルリと、まるで本当の天使に出会ったかのように心酔しはじめる。


「あの、よろしければ、私に案内させてくれませんか? と言うか、案内させてください!」

「え、ナナミちゃんが案内してくれるの?」

「はい。護衛は……必要ないと思いますが、道案内は必要ですよね? 私としても、助けて頂いたお礼をしたいですし……ダメでしょうか?」

「ん~、そうだね。ナナミちゃんがそう言うなら、案内してもらおうかなぁ」

「ありがとうございます、リスティア様!」


 お姉ちゃんに甘えてくると言うよりは、なにやら崇拝されている。それが少し残念だったけど、慕われている感じは悪くないと思った。


 なにより、リスティアのまわりには、生まれてからずっと年上の家族しかいなかった。だから、妹にはなってもらえなかったけど、ナナミと過ごす時間を楽しいと感じている。

 リスティアは、しばらくはナナミと一緒に行動しようと考えた。


「それじゃ、準備をするから少しだけ待っててねっ」


 リスティアはパタパタと奥の部屋へ走って移動。砕け散ったクリスタルケージを片付けた。


「あとは……あ、服を着替えなきゃ、だね」


 うんしょっ――と、リスティアは可愛らしく呟き、胸に穴が空いた血まみれのドレスを脱ぎ捨てる。そうして淡いブルーの下着姿になったリスティアは、スタイルの良い肢体をダンジョンの冷たい空気に晒しつつ、アイテムボックスにしまってある自作の服をあさった。


 取り出したのは、可愛らしい春色のワンピース。それを上からもぞもぞと被る。

 後は同じくアイテムボックスから取り出した姿見で、身だしなみをチェック。後ろで束ねていた髪をほどいて、ナナミの待つフロアへと舞い戻った。


「おまたせ、だよぉ」

「お帰りなさいませ、リスティア様。うわぁ、お着替えになったのですね!」


 ナナミが、リスティアの春色ワンピースを見て目を輝かせる。


「うん。ドレスは穴が空いちゃったし、歩き回るのならこっちの方が良いかなって思って。ねぇねぇ、どうかな? 似合ってるかな?」


 リスティアはクルリとターン。漆黒の髪とスカートの裾をひるがえして、背中越しにナナミを見た。キラキラと輝く紅い瞳が非常に愛らしい。


「すっごく似合ってます!」

「えへっ、ありがとう~――って、そう言えばナナミちゃんの服も破けちゃってるね」


 胸の辺りをざっくりいったので、なかなかに扇情的な姿になっている。それに気付いたナナミは「ひゃうっ」と、可愛らしい悲鳴を上げて、胸元の生地を引っ張った。


「あたしの服で良ければ一着上げるよ?」

「リスティア様の服ですか? それって……アーティファクトとか言いませんか?」

「まさか、そんなはずないよ」

「ホントですか?」


 なんだか、思いっきり疑いの眼差しを向けられている。


「どうしてそんなに疑うの?」

「だって、最初に着てたドレスは、エンチャントがしてあるとか言ってましたよね? そのワンピースにも、なにかエンチャントがしてあるんじゃないですか?」

「あぁ、普通のエンチャントくらいはしてるよ。えっと……一定値を超える紫外線のカットに、温度調整。後はスカートの中が見えないようになる能力に、自己修復機能だけだよ」

「思いっきりアーティファクトじゃないですかっ!」

「えぇ……」


 リスティアが作る洋服には必ず施す、お手軽エンチャントセット。なのに、アーティファクトとか言われても……と、リスティアは困惑。


「取り敢えず、気にしなくて良いよ?」

「そ、そんな恐れ多いです! 大丈夫です、着替えがあるからちょっと待ってください」


 ナナミはいそいそと着替え始める。


「気にしなくて良いのに……」


 ナナミちゃんとおそろい! なんて考えていたリスティアは、残念そうに呟いた。そしてほどなく、素朴な服に着替えたナナミが話しかけてくる。


「お待たせしました」

「うぅん、大丈夫だよ。それじゃ、地上に出ようか」

「はい……って、他に荷物がないようですけど」

「必要なものは全部アイテムボックスだから大丈夫だよ」

「さすがリスティア様です!」


 なにやら、ナナミの尊敬が信仰レベルに達している。出来ればそういう感じじゃなくて、甘えて欲しいんだけどなぁ……と、リスティアは少しだけ残念に思う。


「……リスティア様、どうかしましたか?」

「うぅん、なんでもないよ。それじゃ地上に上がろうか」


 リスティアが先頭を切って歩き始め、ナナミが慌ててその横に並んだ。



 地下迷宮――リスティアが魔法で掘り進めたそこは、一見ただの巨大な洞窟のように見えるが、その壁はどんな攻撃を受けても壊れない。

 いや、リスティアの放ったような威力の攻撃では壊れるが、普通の攻撃では壊れない、魔法によって保護された洞窟となっている。


 そんな洞窟を、リスティアとナナミはてくてくと歩いていた。

 道中では、ダンジョンに巣くっていた魔物が時折襲いかかってくるのだが、それらは全てリスティアが蹴散らしていく。

 ナナミちゃんを護るあたし、すっごくお姉ちゃんみたいだよ! と、おおはりきりである。


「ところで、ナナミちゃん」

「はい、なんですか?」

「そのしゃべり方なんだけど……もう少し気さくに話してくれて良いんだよ?」

「ダメですよ!」

「ダメなの!?」


 さすがに即答で断言されるとは思ってなくて、リスティアは衝撃を受けた。


「ど、どうしてダメなの?」

「だって、天使のリスティア様に気さくに話すだなんて、恐れ多いです」

「て、天使? それって、直喩が隠喩になっただけ、だよね?」


 天使のような――が、いつのまにか、天使の――になっている。まさか、あたしのことを天使だと誤解してるわけじゃないよね? と、リスティアは一筋の汗を垂らした。


「大丈夫です、誤解なんてしていません」

「だったら良いけど……」

「リスティア様は紛れもなく天使です」

「それが誤解なんだよっ!?」


 リスティアが否定するが、ナナミは「謙遜する姿も素敵です! さすが、天使であり、真祖でもあるリスティア様です!」と、まるで聞く耳を持たない。


 違うのに、違うのに、ちーがーうーのーにーっ。


 リスティアは『あたしは真祖の吸血姫なだけで、普通の女の子なんだよ!』と前提条件のおかしなことを心の中で叫びながら、けれど、同時に諦めつつもあった。

 ここで強く否定すれば、またナナミに恐れられる可能性がある。そのリスクを考えると、このままの方が無難だと思ったからだ。


「……もぅ良いよぅ。それで、ナナミちゃんは、どうしてこの迷宮に来たの?」

「私達は、ギルドにこの迷宮がある遺跡を調査するように言われてきた、調査隊なんです」

「……ここの調査?」


 魔法の練習で作った迷宮を調査したと聞いて、リスティアは不思議そうな顔をした。


「申し訳ありません。ご自分の家を勝手に調査されるなんて、良い気がしませんよね」

「別に家じゃないし、それは気にしてないよ。ただ……ここにはなにもないでしょ?」

「いいえ、天使のリスティア様がいました」

「ソ、ソウダネ。でも、それ以外にはなにもなかったよね?」


 リスティアはなけなしのスルースキルで、ナナミの発言を受け流した。否定すれば否定するほど、泥沼にはまりそうな気がしたからだ。


「たしかに遺跡としては、驚くほどなにもありませんでしたね。けど、調査隊はなにかを探しに来たわけじゃないんです」

「……ん? それってどういうこと?」

「開拓予定地に、魔法で保護された遺跡――旧時代の迷宮とおぼしき入り口が見つかったので、危険がないか調査するように言われて来たんです」


 ナナミはそこまでを口にすると、「もっとも、遺跡の財宝目当てに参加した人が多かったみたいですけど」と小さな声で付け加えた。

 ガウェイン達の目的がそれで、無茶をして大きな被害が出たと言うのだろう


 ただ、リスティアはそれよりも、開拓予定地という言葉に反応した。


「……開拓? 人間が……こんな場所で?」


 リスティアが迷宮を作った頃、周辺には人間なんて住んでいなかった。ドラゴンやらなにやら、わりと好戦的な種族が暮らす森だったからだ。

 この千年のあいだに、人間が勢力を伸ばしたのかな? なんて考える。


「そう言えば、この時代はどういう状況にあるの?」


 あんな幼体が成体だと勘違いされたくらいだし、ドラゴンは勢力を衰えさせているんだろうなぁ……なんて考えつつ尋ねた。


「えっと……この大陸を支配しているのは、私達人間だと思います」

「……え? そうなの?」


 自分と同じような姿の種族だけど、その力は圧倒的に弱い。リスティアが知る種族の中で間違いなく最弱。そんな人間が、大陸を支配していると聞いて、すごく驚いた。


「もちろん、魔境と呼ばれるような場所はありますし、人類が最強というわけではありません。でも、今やこの大陸の大半に、人間が住んでいますから」

「ふぅん。じゃあ……真祖の一族が姿を消したって言うのは? さっき、そんなことを言ってたよね?」

「それは……言葉どおりですよ。千年前に、忽然と姿を消したと伝えられています」

「姿を消した、ねぇ……」


 リスティアの家族が、他種族に滅ぼされるなんて想像も出来ない。どこかに引っ越しでもしたのかなぁ? と、リスティアは首を傾げた。


「ちなみに、そのしばらく後に、各種族が戦争を始めたそうです」

「あ~、それはありそうだね」


 リスティアの時代でも、力のある種族はみんな、自分達の領域を広げようとしていた。だから、真祖が姿を消して戦争が始まったと聞かされても驚きはしなかったのだけど……


「それで、どうして人間が大陸を支配しているの?」

「それは……人間の寿命が短いからだと言われています」

「……ん? あぁ……なるほどね」


 リスティアは、その言葉だけで理解した。

 真祖の一族は寿命が長く、滅多に子供が生まれることはない。数百年のあいだに生まれたのは、リスティアとその姉達のみ、と言うレベル。


 だから、もしその個体数を大きく減らすようなことがあれば、もとの数に戻るのには何千年という時を必要とする。

 そしてそれは、ドラゴンや魔族を初めとした種族も似たようなものだ。


 つまりは、バトルロイヤル方式で強い種族が軒並み数を減らした結果、スカスカになった大陸を、数百年で爆発的に数を増やした人間が支配したと言うこと。


 そしてそれは、つまり――


 あたしの妹ちゃん候補がたくさんいるってことだよね!


 そんな結論にいたって、リスティアは歓喜した。


「困ってる子供も一杯いるんだろうなぁ」

「そう、ですね。急激に人口が増えたので、最近は食糧難になったり、貧富の差も広がったりと、色々と問題が発生していますから」

「そっか。それじゃ、みんなみんな、あたしが助けてあげないと、だね」

「さすがです、リスティア様!」


 リスティアは妹が欲しいだけなのだが、ナナミは盛大に誤解した。

 とは言え、リスティアは妹目的で、形だけ助けようとしているわけではない。お姉ちゃんとして慕われたいがために、本気で困っている子供達を助けようとしている。

 ナナミの評価も、あながち間違いとは言えない――どころか、今後のリスティアの行動を予想すれば、それですら過小評価となるだろう。

 なぜなら、無自覚で最強の吸血姫(リスティア)は、妹のためなら決して自重しないのだから。


 ……と言うか、ナナミを助けるために、ドラゴンを消し飛ばした。自分が人間と隔絶した能力を持っていることをまるで理解していない。

 そんなリスティアが、人里に出てやらかさないはずがない。


 ――と、予想している者は、残念ながらこの場にはいなかったのだけれど。


「あ、出口が見えてきたよ!」


 リスティアにとってはつい数時間前に見た地上。だけど、その先に広がるのは千年後の、リスティアの知らない世界。

 光の先にまだ見ぬ妹がいることを願って、リスティアは走り出した。

 

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