第2話

「古代遺跡って言うから期待して来たのに、なんだこれは! 財宝どころか、家具一つありやがらねぇ!」

 地下迷宮の最奥で、剣士の格好をした中年男性が悪態を吐いた。彼の名前はガウェイン。この迷宮を調査するために派遣された、調査隊の一人だ。


「お、落ち着いてください、ガウェインさん。まだ全部探したわけじゃありませんし、どこかになにかあるかもですよ」

「だったら、てめぇが見つけ出してみやがれ! お情けで同行させてもらっただけの見習いが、生意気なんだよ!」

「――ひぅ。ご、ごめんなさい」


 ガウェインに怒鳴りつけられ、びくりと身を震わせたのは、魔法使い風のローブに身を包んだ、気の弱そうな女の子で、名前をナナミという。


 ナナミは十五歳とまだ幼く、文字通り駆け出しの冒険者だ。

 とは言え、調査隊に抜擢されたのは、魔術の腕前を認められたからで、お情けで同行させてもらったわけではないのだが……気弱な性格のために反論することが出来なかった。


 そもそも、ガウェインとは同じ調査隊のメンバーだけど、調査隊自体がギルドで編成された寄せ集めで、もともと仲間という意識は希薄だ。


 そこに加え、ようやくたどり着いた最下層。フロアに巣くっていたドラゴンに襲われて、他のメンバーは全滅。この部屋に逃げ込めたのは、ガウェインとナナミの二人だけ。

 しかも、退路にはドラゴンがいて引き返すこともままならない。性格は粗野でも、技術が卓越したガウェインに、今のナナミが逆らえるはずがない。


 それに、ガウェインは味方を見捨てても、自分だけは生き残ろうとしてる。この状況をなんとかしないと、私もおとりに使われて殺されちゃう――と、ナナミは危惧していた。


 この状況を覆すなにかがないかと、ナナミは部屋を探し回る。そして、続き部屋になっている奥の部屋で――それを見つけた。


 なにもない部屋の真ん中に、虹色の輝きを放つ透明のケージが設置されている。

 光源が不明な光に照らされたケージは、その美しさだけでも途方もない価値がありそうだけど、驚くべきなのはケージの中にこそあった。


 漆黒の長い髪に、透けるような白い肌。瞳は閉じられているが、鼻はすらっとしていて、口は薄紅を引いたかのように美しい。

 整いすぎているがゆえに、芸術品としては物足りなさを感じてしまう。それほどまでに美しい人形が、透明なケージに収められていた。


「なに、これ……」


 同性のナナミをしても、その美しさに目を奪われる。そうして立ったまま惚けるナナミに、ガウェインが気付いた。


「なんだ、なにを見つけた」

「えっと、隣の部屋に……」

「――どけっ!」


 ナナミが続き部屋を指さすと、ガウェインに突き飛ばされた。そうしてナナミが倒れているうちに、ガウェインは隣の部屋へと入ってしまう。

 ナナミは泣きそうになりながら、それでも起き上がって、その後を追った。


「………………なんだ、これは」


 先ほどのナナミと同じように、ガウェインはケージの中にいる少女に目を奪われていた。


「分かりません。でも、もしかしたら……アーティファクトかもしれません」

「アーティファクトだと!?」

「分かりませんけど……なんらかの魔力を感じます」


 アーティファクトとは、古代の遺物。特に、古代文明によって生み出された、様々な魔法効果をエンチャントされた、マジックアイテムを指す。


 その能力はピンキリだが、中には周囲を焼け野原に変えるような強力な物も存在するという。だから、アーティファクトかもしれないと聞かされたガウェインは目の色を変えた。


「よし、この人形を取り出すぞ!」


 ガウェインは、透明なケージを開けようと触りはじめる。けれど、そのケージには入り口はおろか、継ぎ目一つ存在していなかった。


「くっ、どうなってやがる!」


 いらついたガウェインが、持っていた剣でケージを斬りつけた。

 キィンと甲高い音が部屋に響き渡る。


「ガウェインさん、なんてことをするんですか!?」

「あぁん?」


 ギロリと睨まれるが、こればっかりは引っ込み思案なナナミも黙っていられなかった。


「勢い余って、中の人形が傷ついたらどうするんですか」

「人形がアーティファクトなら、剣で殴った程度で壊れるかよ」

「ですが、絶対に壊れないという保証なんてないでしょう?」

「あぁもう、うるせぇな。そもそも、ケージにすら傷が付いてねぇじゃねぇか」


 ガウェインの言うとおり、ケージには一ミリたりとも傷ついていない。

 だけど、それは結果論だ。


 ……いや、もしかしたらガウェインの言うとおりなのかもしれない。そもそも、ガウェインさんは、人形に傷を負わせないように手加減をしたのかもしれない。


 だけど、それでも、ナナミは中にある人形が心配だった。……って、自分の命だって危ういのに、私はなにを心配してるんだろう。我に返ったナナミは、思わず自嘲する。


「おい、お前」

「え? な、なんですか?」

「お前も魔法使いの端くれなら、このケージを魔法でなんとかしやがれ!」

「む、無理ですよ」


 駆け出しの魔法使いとして、ナナミはかなりの才能があると言われている。けれど、それは、あくまでこの時代での話。旧時代の魔法使いには、現代の天才ですら足下にも及ばない。

 駆け出しとして優秀なレベルのナナミでは、太刀打ちできるはずがない。


「良いから言われたとおりにやれ! お前が役立たずなら、囮としてドラゴンの前に放り出してやっても良いんだぞ!」

「――っ」


 ナナミは息を呑んだ。

 非道な手段ではあるけれど、このままでは二人とも助からない。そう考えれば、十分にあり得る選択肢で、その場合は弱い自分が囮にされると理解していたからだ。


 でも、理屈がそうだからと言って、受け入れられるかどうかは別問題だ。あんな化け物に食い殺されるのは嫌だと、ナナミは震える。


「それだけは、許して、許してください」

「許すとか許さないとか、そういう問題じゃねぇんだよ! そうなりたくなかったら、このケージをなんとかしろって言ってるんだ!」

「わ、分かりました」


 お兄ちゃんの言うことを聞いて、依頼を受けなければ良かった。

 そう思うけれど、後悔してもなにも始まらない。まずはここから生きて帰るんだと、ナナミはケージを調べることにした。


「……あれ?」

「なんだ、なにかあったのか?」

「ここに文字が書いてあります」


 ちなみに、書かれているのは共通語だ。人間を初めとした種族がずっと使っている文字なので、文字の勉強をしているナナミは問題なく読むことが出来た。

 だからナナミは「封印を解くことが出来るのは妹だけと書いてあります」と読み上げた。


「妹だと? たしかお前は、リックという兄がいたな。なら、お前なら開けられるだろ。ケージに触れてみろ」

「……分かりました」


 リックというのは、ナナミの面倒を見てくれている義理の兄であって、実の兄じゃない。そもそも、普通に考えれば、制作者の血縁が対象であり、無差別なはずがない。

 そう思ったのだけど、ガウェインを怒らせるのが恐くて、言われたとおりに行動する。


 そして、結果的にはそれが正解だった。ナナミが何気なく手で触れた瞬間、クリスタルのように美しいケージが粉々に砕け散ったからだ。


「――ふぇえっ!?」

「なんだっ!?」


 驚くナナミ達の目の前。ケージによる拘束から解き放たれた美しい人形は、まるで重力を無視するかのようにゆっくりと、優雅に床の上へと座り込んだ。



   ◇◇◇



 自らの時を止めた次の瞬間、リスティアはクリスタルケージが砕けるのを知覚した。


 解除されるまでにどれほどの時間が過ぎようと、時が止まっていた自分にとっては一瞬の出来事のように感じられる。それを理解していたリスティアは、ゆっくりと座り込む。


 理由はただ一つ、ゆっくり座った方が、見栄えが良いと思ったからだ。


 しかし、心の中では興奮しまくりだった。

 リスティアは、封印が自然な形で解かれたのを知覚していた。そしてそれはつまり、目の前に封印を解いた自分の妹がいるかもしれないということだから。


 期待を胸に、リスティアはゆっくりと深紅の瞳を開く。

 そこには――長い栗色の髪に、緑色の瞳を持つ、可愛らしい、とても可愛らしい女の子が一人。少し怯えたような顔で、リスティアを見下ろしていた。


 い、妹だ! まちがいない、可愛い妹ちゃんだよ!

 わぁい、妹ちゃん! あたしの妹ちゃん! ふわぁ、可愛い。凄く可愛いよう!


 家族がいれば、お前の方が可愛いだろうがっ! と突っ込みが入りそうな様子で、リスティアはおおはしゃぎ。推定妹ちゃんに抱きつこうとするが――寸前のところで踏みとどまった。

 お姉ちゃんたるもの、妹の前で子供っぽいところは見せられないと思ったからだ。


 と言うことで、リスティアはすまし顔で、推定妹ちゃんに微笑みかける。


「初めまして。貴方が、あたしの妹なのね」


 上品な微笑みを浮かべて、凜とした声色で問いかける。

 優しい姉の態度を真似た所作は完璧。これで、あたしもお姉ちゃんだよ! なんてことをリスティアは思ったのだが――


「「に、人形がしゃべった――っ!?」」


 なにやら、リスティアの予想と反応が違う。


「えっと……なにを言ってるの? あたしは人形なんかじゃないよ?」

「そ、そうなんですか?」

「うん。それとも、貴方の言う人形って、こんな風にしゃべったりするの?」

「それは、しませんけど……」

「だよね」


 リスティアは満足気に頷き、咳払いを一つ。


「それじゃ、やりなおすよ」

「え、やりなおすんですか?」


 推定妹ちゃんが戸惑っているが、リスティアはコホンと可愛らしく咳払い。膝をついた状態で、推定妹ちゃんを見上げ、優雅に微笑んだ。


「初めまして。貴方が、あたしの妹なのね」

「い、いえ、違います」

「………………え? ち、違うの?」


 今度こそと、推定妹ちゃんに問いかけたのに、否定されてしまったリスティアは動揺する。


「えっと……はい。私はナナミ。貴方の妹じゃありません」

「そ、そんなぁ……」


 上品で優しいお姉ちゃんはどこへやら。リスティアは見ているものが可哀想になるくらい落ち込んで、ダイヤの破片が散らばる床の上へと突っ伏した。


 なにやら、「おい、なんで妹のフリをしない!」「そんなすぐにバレる嘘はつけません」なんてやりとりが聞こえているが、落ち込むリスティアの意識には引っかからない。


 リスティアは、指先でダイヤの破片を弄り始めた。


「って、そんな破片を触ったら怪我をしますよ!」


 慌てたナナミに、上半身を引き起こされる。その姿が、なんだか姉を心配する、お節介な妹のように思えた。


「あの、やっぱりあたしの妹という可能性は?」

「……えっと、ごめんなさい」

「……しょんぼり」


 リスティアは言葉どおりにしょんぼりした。

 整った顔が寂しげに歪む姿は、見ている者の保護欲を刺激する。なかなかに表情豊かと言うか、表現が過多である。

 まあ、その辺りが、両親や姉たちに可愛がられていた理由なのだけども。


「おい、なにをちんたら話してやがる!」

 急に粗野な声が響いた。


 妹にしか興味のなかったリスティアの視界には映っていなかったのだが、その声で中年くらいの男がいることに気がついた。


 歳は……お父さんと同じくらい。数千歳くらい、かな?


 彼らが人間だと気付いていないリスティアは、そんなずれたことを考える。


 もちろん、冷静に観察すれば、真祖でありえないことは分かるはずなのだが……妹のことしか頭になかったリスティアは、妹になり得ない存在として意識から除外していた。

 年下じゃないし、そもそも女の子ですらないからと、再び男を意識から閉め出す。


 そうして考えるのはこれからのこと。

 実のところ、妹がいないのに目覚めてしまった理由は既に理解している。

 この迷宮に身内以外が訪ねてくるなんて思っていなかったから、年下の女の子であれば誰でも封印が解けるようにしてあったのだ。


 対策は……別にしなくて問題はないだろう。ここに人が来るなんて滅多にないだろうし、リスティアにとって、時を止めるなんて片手間でしかないのだから。


 だから――と、リスティアは立ち上がり、クリスタルケージを作り直そうとする。


「おいっ、無視してるんじゃねぇ! おい、ナナミ、なんとかしろ!」

「ひぅ」


 男に怒鳴られ、ナナミがびくりと身をすくめる。それが気になって、リスティアはナナミに視線を向けた。


「えっと……ナナミちゃん? ナナミちゃんは、なにか困ってるの?」

「え、ど、どうしてそう思うんですか?」

「だって……震えてるから」

「そ、それは……えっと」

「もし困ってるなら、助けてあげるよ?」


 自分の妹ではなかったけれど、ナナミが可愛いことには変わりない。可愛い物好きなリスティアが、ナナミに興味を抱くのは必然だった。

 けれど、優しく問いかけるリスティアに対して、ナナミは怯えたまま。


「ドラゴンだ。ドラゴンが外にいて困ってるんだ!」

「……ドラゴン? それが、ナナミちゃんが困ってる理由なの?」


 名前も知らない男に対して問い返す。


「ああ、そうだ! ドラゴンに追われて、この部屋に逃げ込んだんだ。部屋の外にドラゴンがいるから、逃げ出すことも出来ねぇ」

「ドラゴンに追われて……この部屋に逃げ込んできた??」


 リスティアの思い浮かべるドラゴンとは、体長が数十メートルほどあり、ブレスで辺り一帯を火の海に変えるような種族である。

 そんな巨大なドラゴンが迷宮にいると聞いたリスティアは、狭い迷宮に詰まって動けない、間抜けなドラゴンの姿を思い浮かべた。


 ……ふふっ、それはちょっと見てみたいかも。あたしの作った迷宮がドラゴン程度に壊せるとは思わないけど、一応は確認しておこうかな?

 なんて思っていたら、男が再び口を開いた。


「お前、何者なんだ?」

「何者って……普通の女の子だよ?」

「普通の女の子だぁ? ちっ、役に立たねぇ。せめて、抜け道とか知らないのか?」

「抜け道なんてないよ」

「ちっ、ホントに使えねぇ」

「でも、ドラゴンなら、あたしが退治してあげても良いよ?」


 リスティアが告げた直後、男が間の抜けた表情を浮かべ――続いて、怒りをあらわにした。


「お前、ふざけてるのか? それとも、頭がいかれてやがるのか? 冒険者でもないただの小娘が、倒せる分けねぇだろうがよ!」

「――ナナミちゃんは、あたしがドラゴンを退治したら助かる?」


 リスティアは男を無視して、怯えた様子のナナミに問いかける。


「退治って……まさか、ドラゴンを倒すつもりですか!?」

「そうだよ?」

「む、無理です! ドラゴンなんて、熟練の冒険者が何十人も集まって、ようやく倒せるような強敵なんですよ!?」

「えへへ、あたしの心配してくれるんだね、ありがとう」


 リスティアは嬉しくなって、自分より少し背の低いナナミの頭を優しく撫でつけた。


「し、心配とかそういう問題じゃなくて。って、どうして撫でるんですかぁ」

「心配されて嬉しいからだよ。でも、あたしは大丈夫。ドラゴンを倒すなんて簡単だから。ドラゴンを倒したら、ナナミちゃんが助かるかどうかだけ教えて?」

「それは、もし本当に倒せたら嬉しいですけど……」

「ん、分かった」


 リスティアはすまし声で答えつつ、ドラゴンを倒したら嬉しい。それはつまり、あたしがドラゴンを倒したら、ナナミちゃんに感謝される。

 お姉ちゃんって呼ばれるかも!


 なんて、色々すっ飛ばして打算的なことを考えていた。そして、リスティアはアイテムボックスを開き、以前エンチャントの練習で作った、魔法のレイピアを取り出す。


「ふえっ? ど、どこから出したんですか!?」

「うん? どこって、アイテムボックスだよ?」

「ア、アイテムボックスって、あの伝説の収納魔法!?」

「……伝説? うぅん、ただのアイテムボックスだよ?」


 リスティアにとって、アイテムボックスとは珍しくもなんともない第四階位の魔法。ナナミが第四階位の魔法を伝説扱いしているなんて夢にも思わなかったので、小首をかしげた。


 けれど、ともあれドラゴンを倒せば良いんだよね――と、身をひるがえす。そうして向かうのは、部屋の外へと続く扉の方。


「ちょっと、待ってください。部屋の外にはドラゴンがいるんですよ!」

「心配しなくても、大丈夫だよ」


 ナナミが引き留めようと手を伸ばしてくるが、リスティアはするりと回避。外へと通じる扉に手をかけた。


 ちなみに、この迷宮に設置しているものは全て、リスティアの魔法によって保護されているので、朽ちることもなければ簡単に砕けることもない。


 なので、当時のままの扉は、物音一つ立てずに、ゆっくりと開いていく。

 そして、その先に広がるフロア。リスティアが魔法の練習に使っていた数十メートルはあるフロアに、全長五メートルくらいのドラゴンが――ぽつんと存在していた。


「……あれは?」

「ドラゴンですよ! さっきそう言ったじゃないですか!」

「……ドラゴンの子供、だよね?」

「どこがですか! どう見ても成体ですよっ!」


 ナナミが泣きそうな感じで、成体だとまくし立ててくる。けれど、フロアにいるのはどう見ても生後数百年くらいの子供ドラゴン。

 たしかに、リスティアの数十倍は生きているけど、ドラゴンとしては子供で、なんの脅威もないのだけど……ナナミは本気で、あの子供ドラゴンを恐れているらしい。


 あの程度のドラゴンを恐れるなんて、どう考えてもおかしいよ――と、そこまで考えたリスティアは、ナナミをあらためて観察。ただの人間であることに気がついた。


 人間? 人間の……困ってる女の子……?

 格好いいところを見せたら、きっと慕ってくれるよね? そうしたら、眷属になって、あたしの、正式な義妹になってくれるかも、だよ!


 そんな淡い期待を抱いたリスティアは、レイピアを地面に突き刺して、アイテムボックスから取り出した普通のリボンで、長く艶やかな髪を纏めた。


 別に邪魔になるようなことはないのだけど、そっちの方が格好いいと思ったからだ。

 なお、実際は格好いいと言うよりも、非常に愛らしい姿となっている。


「よーし、準備完了、だよぉ」


 レイピアを再び手に取ったリスティアは、ドラゴンに向かって歩き始めた。



   ◇◇◇



「だから危ない――って、どうして掴めないの!?」


 止めようとするナナミの手を逃れ、少女が無謀な挑戦をしようとしている。それを見たガウェインはチャンスだと思い、ナナミの手を掴んだ。


「おい、あの娘が襲われてる隙に逃げるぞ!」

「な、なにを言って……あの人を見捨てるって言うんですか!?」

「あぁん? だったら、お前が囮になるか? どのみち、あのドラゴンは倒せねぇ。なら、誰かを犠牲にするしかないだろうがよ!」


 ガウェインの怒鳴り声に対し、びくりと身をすくませる。そんなナナミの気弱な態度に、ガウェインは舌打ちをする。


 ドラゴンを倒すには、熟練の冒険者が何十人と必要になる。そして、それだって、少なくない犠牲を覚悟しなくてはいけない。

 気の弱い魔術師と、言動のおかしい娘が何人いたところで、盾にしかならない。


 なら、一人でも多く逃げる手段を選ぶのは当然だ――と、ガウェインは考えている。


 もっとも、ナナミに逃亡を促したのは、少女が殺されているあいだに逃げ切れなかったときに、次の囮とするため。生き残るのは、あくまで自分優先だ。


「とにかく、逃げるぞ!」


 ガウェインはナナミの腕を引いて走り出そうとする。けれど、ナナミはそれに抵抗した。


「……どういうつもりだ?」

「わ、私は……」


 少女を置いて逃げるという罪悪感と、死にたくないという恐怖がせめぎ合い、動けなくなってしまったのだろう。ナナミは立ちすくんでいる。

 これ以上は時間の無駄だ。そう思ったガウェインは、ナナミを見捨てることにした。


「勝手にしろ。俺は逃げる!」


 ガウェインが身をひるがえすその瞬間、ドラゴンの巨体が少女に襲いかかった。


「――危ないっ!」


 ナナミの警告を耳に視線を走らせれば、ドラゴンが少女に襲いかかるところだった。それに対して、少女はレイピアを腰だめに構え――


 アホかっ! レイピアなんぞでドラゴンに傷をつけられるわけがねぇだろ! そんな無駄な攻撃をするくらいなら、せめて一撃でも避けて俺の逃げる時間を稼ぎやがれ!


 ガウェインは心の中で、思いつく限りの悪態をつく。

 けれど――


「えいっ!」


 少女が可愛らしい声でレイピアを振るった。直後――天変地異が起きた。

 フロアが真っ赤な光に包まれ、爆音と熱波がガウェインの場所にまで届く。あまりの衝撃に思わず目をそらし――ほどなく、フロアに静寂が訪れた。


 そうして、ガウェインが視線を戻すと、そこには――

 静かにたたずむ、黒髪の少女。そして、その少女を基点に、決して破壊できないはずの床が、フロアの端まで抉り取られている。

 ドラゴンの姿は……どこにもない。


 ――って、なんじゃそりゃ!? ドラゴンを一撃で消滅!? いやいやいや、そんな馬鹿な!

 熟練の冒険者が数十人、何百回と攻撃を加えて倒すような化け物を、華奢の少女の一撃で消滅とか、そんな非現実的なことがあってたまるか!


 意味が分からない。まったくもって意味が分からない。

 そもそも、ドラゴンを一撃で消滅させるなんて不可能だ。ましてや、それを引き起こしたのは、華奢な少女の「えいっ!」という可愛らしい一撃。

 物語に出てくるような英雄が、渾身の一撃を放ったのならともかく、天使のような少女が「えいっ!」と可愛くレイピアを振るっただけ。

 なのに、フロアは大きく削り取られ、ドラゴンの姿はどこにも残っていない。


「……なんだ、俺は夢でも見ているのか?」


 あまりにもありえない状況を前に、ガウェインは言いようのない恐怖を覚えた。

 

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