鬼才な執事⑵

 外に出た伯爵を待ち構えていたのは、彼がよく知る男だった。

 帝国一の魔法師と謳われる伯爵の次に優れた魔法師として名を上げられる男。魔力量は伯爵とほぼ変わらず、その火力も高い。戦略にも長けていたその男は、なぜ己が伯爵に劣るのか理解できなかった。

 常に皇帝に頼られる魔法師は伯爵。魔法師棟の長に指名されたのも伯爵。民からの人気があるのも伯爵。棟に入ってくる新人魔法師が目を輝かせるのも伯爵を見るとき。

 だが伯爵はそのことを鼻にかけることなく男に接する。それが男のプライドをさらに刺激した。


 伯爵がその男を目にした時、最初に表情に浮かんだ感情は憐れみだった。実力がありながら、その性格ゆえに嫌煙される彼に、伯爵は努めて友好的に接してきた。いつか相手も友好的な態度を見せてくれるだろうと期待して。しかし、その努力は無駄だったらしい。目の前の男の手には魔力が集まっており、その魔力はセバスの背中にあたったものと一致する。こんなことに手を染めるまでに堕ちた彼を、伯爵は憐れんだ。

 しかしその表情はすぐに怒りに変わる。それほど伯爵のことが憎かったのならば、伯爵自身に楯突けばよかった。そうであれば伯爵はいくらでも相手をしたのに。しかし男のとった行動は、伯爵一人ではなく、その家族まで巻き添えにするもの。それが伯爵には許せなかった。


 伯爵の顔に一瞬だけ浮かんだ憐れみを捉えた瞬間、男の理性が崩壊した。妬み、憎しみ、怨み。様々な負の感情に支配され、男の魔力が暴走する。暴走する魔力を練り直すことなく攻撃系の魔法を伯爵と後ろの馬車に向かって乱射し始めた。

 感情に任せた荒々しい魔法の応酬に、伯爵は防戦一方。ここで彼が男を傷つけるような魔法を放つと、後ろの家族に影響が及びかねない。伯爵は襲いくる魔法を相殺しながら、緊急通報用の魔導具を懐から取り出した。棒状のそれは、物理的に破壊することで帝国軍に緊急要請を出せる。爵位持ちの中でも皇帝の信頼が厚い者にもみ送られる魔導具だった。

 伯爵が魔導具を取り出したことに気が付いた男は、魔法でそれを弾き飛ばす。伯爵の手から離れたそれは、奇跡的にも後ろの木に強く当たって砕けた。帝国軍に要請がいったため、軍が到着するまで伯爵が持ちこたえればいい。

 しかし、精神的な余裕ができた伯爵の口の端が少しだけ上がってしまったのが、命取りだった。


 憎い相手が不利な状況で笑う。つまり、自分を侮り、嘲っていると男は勘違いした。次の瞬間、男は体内の魔力を爆発させた。魔法師が行う最後の手段、自己爆破である。文字通り自身の身体を魔力で爆破させる。つまり、命と引き換えなのだ。しかし、命を代償にする代わり、その威力は計り知れない。辺り一帯までも巻き添えにした魔力の閃光は、こちらへ向かってきていた帝国軍にも目撃される。耳をつんざくような激しい爆発音とともに森が


 焼け野原となった場所に残っていたのは、伯爵の守護結界に守られていた馬車のみ。中では幼子が一人泣き叫んでいる。泣き叫ぶジェラルドを小さな腕で守るように抱き締めるのはセレスティナ。自分も泣いてしまいたいのを堪え、目の前で血反吐を吐く母親を凝視している。

 伯爵夫人は男が自己爆発をする瞬間、自身の持つ魔力を全て守護結界に注ぎ込んだ。そのお陰で馬車は無事だったのだが、その代償として、彼女の魔力が底をついた。魔力が底をつくことは死を意味する。魔力を失った身体の組織が次々と破損を開始し、身体としての機能を失っていく。


「セバス……、動けるのなら、この子たちを」


 そこまで言い、彼女はこと切れた。車内には彼女から流れ出すどす黒いあかが溢れ、死の臭いが立ち込めていた。セレスティナはいつも自分に微笑みかけてくれた愛する母だったものを見つめる。そして自分の顔に感じた生温かな何かに恐る恐る触れた。ベトリとした感触とともに彼女の小さな手が紅く染まる。驚きと恐怖のあまりヒュッと息を呑む。


「お嬢様、こちらへ」


 貧血で意識が朦朧としているセバスがセレスティナを呼ぶ。倒れていたせいで頭から夫人の血を被っていたセバスを目にし、セレスティナの腕の中にいたジェラルドが気絶する。セレスティナは、震える手でセバスの手を握った。セバスは火事場の底力で力の抜けたジェラルドを抱える。

 彼らが馬車から出ると、目の前に一人の男が馬車を庇うようにして立っていた。決して動かない男のボロボロになった服に見覚えのあったセレスティナは思わずセバスの手を放して駆け寄る。その男は伯爵だった。保有魔力が大きかったお陰で、襲ってきた男の自己爆破によって塵となることは避けられたものの、彼の命はそこにはなかった。生まれて初めての絶望に涙さえ流すことのできないセレスティナを、セバスは見つめることしかできなかった。


 その後、到着した帝国軍により、三人は保護された。一瞬にして消えた森と、その時の閃光は付近の誰もが目撃していたせいで、事件のことは瞬く間に帝国中に広がる。帝国一の魔法師と聖女と呼ばれた癒し手が失われたこの大事件に、帝国中で嘆き悲しむ者が出た。二人の葬儀には皇帝一族も参列し、多くの民が訪れた。

 この事件の後からセレスティナの態度は大きく変化した。今まで嫌がっていた勉強に積極的に取り組むようになり、社交界にも進んで出るようになった。全てを完璧にこなそうとした彼女の努力は実り、«小さな淑女»と呼ばれるように。そのことを受け、ジェラルドの存在は社交界から忘れ去られた。これはセレスティナの思惑でもあった。

 ジェラルドが意識を取り戻した時、彼には事件の日の記憶が一切なかったのだ。しかし、彼はその時から深紅を見ると拒否反応を起こすようになった。いわゆる、PTSD心的外傷後ストレス障害である。それは十二年たっても未だに治る素振りはない。これでは様々な色を使う社交界には出られない。そんな彼から目を背けさせるため、セレスティナは努力したのだった。

 まだ五歳だったセレスティナの小さな肩には、分不相応の責任と重圧が乗っていた。それなのに、何もできなかったセバスはずっとそのことに負い目を感じている。彼女が暗殺者になって復讐を果たすと言い出したとき、止められなかったのもそのせいだ。




「声を変える魔導具を一晩で」


 17歳のセレスティナはいい笑顔でセバスに告げた。


(これはまた老体に鞭を打つおつもりで)


 「不可能ではありません。もちろん特急料金はいただきますよ」


 主であろうと客は客。しっかり金を取っていくのがセバスである。そんな彼がセレスティナに提示したのは、今までの料金とは比べ物にならない額だった。


「……幻覚かしら。一桁多いと思うの」


「いいえ、現実ですよ」


 長い睫毛をシパシパと瞬かせるセレスティナに、今度はセバスがいい笑顔で答えた。


「払うわ」


 セレスティナは恨めしそうな声を出しながら、セバスに渡された契約書にサインした。


「ご契約ありがとうございます。充分ご期待に沿えるものを必ずお渡しいたしましょう」


 懐が温まってホクホク顔のセバスは上機嫌だ。今から徹夜で魔導具の制作に取り掛からなければならないが、それも苦ではなくなった。普段の空き時間でも魔導具の制作を行っているセバスは、そろそろ新しい工具と、今オークションに賭けられている魔力効率のよい貴重な鉱石を手に入れたいと考えていた。オークションは今日締め切りだったはずである。


「お嬢様、今からおいとまをいただいても? 作業に入る前にどうしても手に入れたいものがあるのです」


 おやつを前にした子供のように目をキラキラさせる彼に、セレスティナはじと目で許可を出した。すると長身の男はすぐさまセレスティナの前から去った。

 これからセバスが向かう先の予想がついている彼女は、机の端に置いてある通信用魔導具でとあるオークションの主催者に連絡をとった。


「あら、忙しいところごめんなさいね。フラウデン伯爵よ。今から長身の老人がそちらへ向かうわ。濃い茶髪に黒目のね。……そう、その人よ。今回の目玉の鉱石があったでしょう? あれをこの国で一番上手く活用してくれる男よ。彼が競り落とせるようにしてちょうだい。……ええ。次の夜会にわたくし名義で招待状を出すわ。……ふふ、色好い返事をありがとう」


 セバスが確実に鉱石を手に入れられるように手を回したセレスティナは、魔導具を置き、伸びをした。その体制のまま、机の上の契約書を睨む。いつもセバスの魔導具を受けとる際に交換する見慣れた契約書が、今日は恨めしい。その横に折り畳まれている皇帝からの手紙はその上をいく。

 明日から、セレスティナが心置き無く過ごすためには、セバスの魔導具が必要不可欠。彼は仕事は完璧にこなす人間なので、その点については心配していない。髪も瞳も色を変え、仮面をつけて声まで変えればアクリュスの正体がルグランジュにバレることはないだろう。だが、そうと分かっていても心配になるもので、セレスティナは胃のしくしくとした痛みを抑えるため、セバス特製の胃薬に手を伸ばした。

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