鬼才な執事⑴
一方その頃、フラウデン伯爵家に戻っていたセレスティナは、弟と夕食を共にしていた。長い一枚板の食卓に、クリーム色のクロスがかけられており、その上に銀皿に盛られた食事が並んでいる。今夜のメインはシチューである。フラウデン家のシェフが腕によりをかけて作るシチューは、セレスティナとジェラルドの大好物だった。
「姉上、今日の卒業会はいかがでしたか?」
シチューのお代わりを頼んだジェラルドは、カトラリーを置いて姉に尋ねた。ジェラルドもセレスティナと同じく学院に在籍してはいるが、授業に顔は出すものの、夜会や舞踏会などには一切顔を出さない。セレスティナの場合はこの逆である。彼女の場合、入学時に全ての分野で免許皆伝を言い渡されたからだ。ジェラルドはとある理由により、社交界から距離を置いている。次期伯爵としてはよろしくないことであるが、理由が理由なだけにセレスティナは黙認していた。
「退屈だったわ。久々に学院を訪れたものだから、いろんな方に見られるのよ、ジロジロと。不躾だって分からないのかしらね。でも、学院長のお言葉は立派だったし、ルグランジュ殿下の首席の言葉も素晴らしかったわ。ああ、殿下といえば、舞踏会では一曲踊ったわよ」
困ったように笑うセレスティナの言葉は棘にまみれていたが、ジェラルドは気にしない。それが姉だと理解しているし、その上でそれを直そうとも思わないからだ。彼女がこのような話し方をするのは社交界のことだけである。«社交界の花»の称号を冠する彼女が社交界のことをこのように話すのは皮肉なものだと、ジェラルドは感じていた。
「やはり、僕も出た方がいいのでしょうか……」
ジェラルドはコバルトブルーの瞳を僅かに細める。陰りのある表情に、セレスティナは優しく告げた。
「そうね。いつかは出なくてはならない日が来るわ。でも今はまだわたくしがいるもの。ジルのペースでいいのよ? ……ところで顎にシチューがついているわ」
セレスティナに指摘されたジェラルドは恥ずかしそうにナフキンで拭う。16歳になった今でもこうして子供っぽいところのある弟が、セレスティナは好きだった。
食事を終え、当主の執務室へ向かった彼女を待っていたのは、一通の手紙だった。親展も書かれたそれは、皇帝からのもの。親展の場合、本人が魔力を通さない限りその手紙の中身は見ることができない。つまりこれは、かなりの重要事項が書かれていると予想された。セレスティナは連れてきていた筆頭執事のセバスを部屋の外で待機させる。
訝しげな表情で魔力を通すと、本棚に囲まれた部屋の中心にある執務机についた。部屋の明かりとは別の、手元を照らすための魔導具を点ける。チョコレート色の机の上で開いた白い手紙には、それはそれは本当に重要なことが書いてあった。
『ルグランジュが明日から第十三番隊所属になる。すまない、言い忘れていた。バレないように気を付けろ』
要約するとこのようなことが書いてあったのだが、本日二度目の皇帝からの手紙にセレスティナは盛大に顔をひきつらせ、唸った。
(どうしてこういうことを早く言ってくれないのかしら?!)
主の主らしからぬ唸り声を聞いたセバスが、扉を叩く。セレスティナがセバスに入室許可を出すと、彼はすぐに入ってきた。
セバスは先代伯爵が産まれた時、つまりセレスティナの父が産まれた時からこのフラウデン家に仕えている。執事の鏡のようにオールバックにされたセピア色の髪には所々に白髪が混ざり、若かりし頃はさぞ持て囃されただろう顔には笑い皺が刻まれていた。執事服を見事に着こなした長身の彼がセレスティナの横に立つと、女性としては長身の彼女も小柄に見える。
「お嬢様、また陛下からですか」
優しげな黒目の先には、セレスティナの手元にある手紙。彼の主が淑女らしからぬ声を出すときは、大抵皇帝絡みのことが多い。
「ええ、そうよ。それにセバス、わたくしのことは伯爵と呼んでちょうだい。何度も言っているでしょう」
「承知しておりますよ、お嬢様」
承知していると言いながらも、セバスはセレスティナのことをお嬢様と呼ぶ。これは先代の時もそうで、先代の時は、セレスティナの父がセレスティナの母と結婚するまでお坊っちゃまと呼び続けた。それを知っているセレスティナは自分も結婚するまでお嬢様と呼ばれると分かっており、結婚する気がないので、死ぬまでそう呼ばれるだろうと諦めている。
「セバス、聞いてちょうだい」
「なんなりと」
セレスティナが手紙を閉じて佇まいを正した。彼女がこういうことをするときは、基本的に重要な話をする時だ。例外は一つ。
「ルグランジュ様が入隊するそうよ。だから、鬼才の力を借りたいの」
魔導具技師界の鬼才と呼ばれたセバスに魔導具の依頼をする時だ。
セレスティナの魔力は、貴族の平均よりも少ない。魔法師の名門と呼ばれるフラウデン家の人間としては少なすぎるほどだ。今は亡き彼女の両親は、帝国一の魔力量と実力を誇った男と、その繊細な魔力コントロールから聖女と呼ばれた癒し手だった。そんな二人から産まれた彼女は、当然魔力量が豊富な魔法の才能に溢れた子であると期待されていたが、産まれた赤子の魔力量は少なかった。しかし、セレスティナの両親は魔力量が少ないなら魔力操作を極めればいいではないかと、彼女が物心つく前から魔力操作を教えていた。そのお陰もあり、セレスティナの魔力操作は天下一品、魔導具の扱いも並の魔法師では及ばないほどに上達している。
そんな彼女がセレスティナとしてもアクリュスとしても愛用しているのが、セバスの作る魔導具である。魔導具の性能は技師の実力に大きく左右され、同じ魔導具でもピンからキリまである。緻密な正確性と素材選びのセンスが問われる魔導技師の中で、かつて鬼才と呼ばれた男がいた。それがセバスである。彼の作る魔導具は魔力効率が良く、耐久性も高い。しかもオリジナルの魔導具も作成しており、そのレシピはセバスしか知る者はいない。そんな魔導具のことを人はセバスモデルと呼んだ。セバスモデルはセバスが魔導技師として表立って活動しなくなった今でも高値で取引されている。アクリュスが使う大鎌もセバスモデルだ。あれは伸縮自在で手軽に持ち運ぶことができる。
「ほう、皇弟殿下ですか。それでお嬢様は一体何をご所望でしょうか」
アクリュスがセバスモデルを使っているのは、ひとえにセレスティナがアクリュスであることを彼が知っているからである。もちろん、彼女が暗殺を行っていることも、第十三番隊に入った動機も知っている。それは、彼が十二年前の大事件の生き残りであったことが関係していた。
──十二年前。
親戚の結婚式に参列するため、フラウデン伯爵一家は馬車で式場に向かっていた。六人乗りの馬車には当時のフラウデン伯爵と伯爵夫人、そして当時は5歳のセレスティナと3歳のジェラルド、筆頭執事のセバスが乗っていた。
馬車の中では、人生初の結婚式への参列に浮き足だっていたセレスティナとジェラルドが、両親に二人の結婚式はどういうものだったのかと目をキラキラさせながら聞いているという、微笑ましい光景が広がっていた。我が子に自分たちの結婚式のことを話すのが照れ臭い伯爵と、それを見て楽しそうにしながら子供たちに話を聞かせる夫人。それを幸せそうに見つめるセバスはいつになく心穏やかだった。
しかし、その幸せな空間は馬の大きな嘶きによって壊される。
突然馬が暴れだし、馬車が停車。しかし、それもすぐに収まったようで、馬の鳴き声は聞こえなくなった。何事もなく順調に道を進んでいた馬車が突然止まったことで、車内は不穏な空気に包まれる。幼いながらもその異変を察した子供たちは、不安そうに揺れる瞳で両親を見上げた。
「セレス、ジル、大丈夫だ。お父様たちがついている」
安心させるように伯爵夫妻が二人を抱き寄せるが、夫妻の顔には警戒の色が浮かんでいた。馬の暴走は収まったようではずなのに、馬車が動き出さないからだ。
伯爵が馬車に守護結界を施し、セバスに外の様子を見てくるように言う。了承したセバスはそっと馬車から降り、なぜか音がしない外に出た。外に出たセバスが見たのは、馬も御者も護衛も誰もいない中、森の小道に取り残された伯爵家の馬車。
「旦那様! 今すぐお逃げください!!」
危険を感じたセバスはすぐさま馬車に駆け戻ると、扉を開いて伯爵に警告した。しかし、それがいけなかった。主の危険を察し馬車に向かったセバスの背中はがら空き。馬車の扉を開けたとき、セバスは顔を中に入れていたため、外の様子が視界に入っていなかった。
ザシュッという音とともに、セバスの背中が大きく切り裂かれる。驚きに目を見開いたセバスの背中から勢い良く血が吹き出た。見慣れた執事の異様な姿に子供たちが悲鳴を上げる。
夫人がすぐさまセバスに治癒を施すことで出血は治まったが、多量出血により血液不足となったセバスは、その場で倒れた。馬車の出入口はセバスの倒れた扉一つ。逃げようにもセバスがいることで逃げづらい。まして、錯乱状態の子供を二人抱えたままとなると難易度は跳ね上がる。
「私が応戦する。安心して。すぐ終わるから」
伯爵が下した判断は応戦することだった。愛しい子供たちを妻に託し、帝国一の魔法師は
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