ダブルフェイスな女伯爵⑵

 アクリュスが開いた小部屋に一つしかない扉の向こうは、第十三番隊特殊部隊の詰所。堅苦しい雰囲気など全くない。第十三番隊は、バスティーナ帝国軍の特殊部隊。所属人数は6人と極めて少ないが、各々の戦闘能力が極めて高く、一人で中隊を全滅させることができる。そのため、有要事には駆り出されるような部隊だ。……というのがである。

 その正体は。世界屈指の大帝国であるバスティーナ帝国を治める上で、正攻法ではいかないことは多々ある。その根本的な解決策として五代前の皇帝の治世に結成されたのが、この暗殺部隊。貴賎問わず、帝国の統治上不都合となる要素を取り除くための部隊である。このことは最重要国家機密とされており、その存在を知る者は帝国内で七人のみ。部隊所属者と皇帝だけ。皇弟であるルグランジュでさえもその存在を知り得ない。


「来たか、アクリュス。早速だが皇帝からの召喚状だ」


 詰所に現れたアクリュスに声をかけたのはタナトスだった。バスティーナ帝国将軍でありながら、第十三番隊の隊長も兼任する男だ。彼は第十三番隊の中で唯一アクリュスの正体を知っており、彼女に協力的である。ロマンスグレーの髪は元からその色だったため、年なのかそうでないのかが分からない。左目付近に痛々しい火傷の跡が残っているが、本人曰く勲章とのこと。ゴールデンイエローの目は目付きが悪く、真顔でいるだけで凄みがある。


「どうせ例の件の報告でしょう? こんな日のこんな時間にするだなんて、皇帝様様ですね」


 文句を垂れつつも、アクリュスはタナトスから召喚状を受け取った。そしてそこに書かれた文字を見て盛大な舌打ちをかます。今は違うが、令嬢としてあってはならない行為にタナトスの口が小さくひくつく。


(おいおい止めてくれよ。国中の貴族の憧れるの的が舌打ちなんて。いや、あれを見れば仕方のないことか……?)


『来い』


 皇帝からの召喚状に書かれていたのはそれだけだった。アクリュスと皇帝。主従関係にあり、互いに旧知の仲ではあるが、親しき仲にも礼儀ありという言葉を知っていてもいいだろうとアクリュスは思った。しかし、これがあの男なのだと理解しているため、本人に文句をつけることはない。ただ、本人にちょっとした嫌味をネチネチ言ってみたり、タナトスにちょっとした八つ当たりをチマチマやってみたりするだけだ。


「行って参ります」


 アクリュスはクシャリと召喚状を片手で握り潰しながら、口元に弧を浮かべる。それを見たタナトスは死んだ魚のような目になりながら彼女を送り出た。彼女の怒りに触れた皇帝が無事でありますようにと願……うことなく、寧ろ自分への八つ当たりが減るよう、皇帝なんて酷い目にあえばいいのだ、と邪念を込めながら。そんな邪念を向けられた皇帝が酷い目に合うまであと三分。




「第十三番隊アクリュス皇帝陛下の令により御前に参上いたしました」


「遅かったな、アクリュス」


 高い天井にきらびやかなシャンデリア。広間には大理石の像や、繊細な模様が描かれた壺などの調度品が並んでいる。金で縁取られた赤いビロード張りの玉座に長い脚を組んで座っている男は、よく通るバリトンを響かせた。


「陛下の御期待に添えず、誠に申し訳ございません。私は陛下のようにやんごとなきお方のとやらが理解できない下賎な身でございますので、どうか陛下の寛大なお心で御容赦を」


 皇帝の尊大な言葉にアクリュスが丁寧に謝罪する。彼女は本気で申し訳ないなどと思っていない。寧ろ、よくも人が卒業会という決して外すことのできない夜会に出席していると分かっていながら呼び出すような非常識な真似をしてくれたな、と憤っていた。しかし相手が皇帝という手前、それを表立って言うことはない。彼女にできるのは嫌味たらしく婉曲に伝えることだ。


「いや、その、な? 悪かったとは思ってるから、……それ止めて?」


 最初の高慢な態度から一変、皇帝はアクリュスの機嫌を伺うような声を出した。皇弟ルグランジュによく似たオペラ色の髪を肩口で切り揃えた美丈夫は、ヴァイオレットサファイアの瞳を揺らしている。


「皇帝陛下のようなお方のお言葉など、私には到底理解が及びません。どうかお心を掬えない私にも、陛下のお言葉の真意をお伝えしていただきたく」


 皇帝の震える声などまるっきり無視してアクリュスは続ける。貴族である彼女に言葉の深読みができないことなどない。それどころか大得意である。だが、彼女は怒っているのだ。召喚状に『来い』とだけしか書かなかった目の前の皇帝に。


「あー、なんだ、その、すまなかった。だから分からないわけがないだろうと」


 皇帝ともあろう人間が一介の兵に頭を下げる。第三者が見ていればアクリュスの首は即刻、物理的な意味ではねられていただろう。しかし、皇帝が人払いをしていたためにそれは現実しない。

 そして、極自然に皇帝はアクリュスのことをセレスティナと呼んだ。このことに気づかない彼女ではない。


「陛下、いいえ、ルグドラシュ様。何のおつもりですの? わたくしはアクリュスとしてここに参りましたのに」


 アクリュス、いや、セレスティナは顔を上げ、壇上に鎮座しているルグドラシュを軽く睨む。凍てつくような双眸を向けられた彼は、形の良い口に小さく弧を浮かべた。セレスティナは一時期、そんな彼に対し、被虐趣味の疑いを持っていたが、ルグドラシュの懸命な弁明により、«社交界の花»から皇帝への不名誉な疑いは晴れた。


「俺が呼びたかったのはどちらもだからな。前回の目標ターゲットで最後だっただろう、アクリュス」


 言葉遣いの崩れた彼が切り出したのは、前回の暗殺任務のことだった。皇帝がアクリュスたち暗殺部隊に下した命は、とある闇組織の解体。元々使えそうなので泳がしておいたが、十二年前の大きな事件に関わりがあったことが発覚し、排除に動いたのだ。当時の事件はバスティーナ帝国全土を震撼させるほどの衝撃的な殺人事件。その事件の生き残りはたったの三人だったという。そのうちの一人がセレスティナであった。


「はい。確かに最後でございます。これで私がこの部隊に入った目的は達成されました」


 彼女が第十三番隊暗殺部隊に入った目的は。十二年前の事件の復讐だった。


「なら、もう辞めてもいいだろ? 辞めて早く俺の妻になれよ、セレスティナ」


「何度でも申し上げます。……お断りよ」


 即答でぶったり切るセレスティナ。このやり取りは二人の間で何度も行われていた。今のところ、ルグドラシュがフラれた回数は今のを入れて37回である。それも全てが即答。もはやフラれることに慣れてしまった彼に、傷ついた素振りはない。


「なぜだ?」


 すぐに理由を訊いてくるルグドラシュに、セレスティナはため息をついた。


「何度も言っていますが、わたくしは、いえ、私は人殺し。あなたそうではないとおっしゃるが、私は人殺しです。暗殺者と人殺しの違いが何かご存知です? ……感情のあるなしですよ。復讐のために殺してきた私は人殺し。わたくしのような人間はあなたの隣に立つことなどできないわ」


 静かにはっきりと告げた彼女に、ルグドラシュはほんの少し、目を伏せた。セレスティナが、アクリュスの言葉は正論だ。皇帝の隣に立つ皇后の手が血濡れているなど言語道断。武力を誇る帝国の国母であろうと、その手が穢れていることは忌避されている。


「では、これからどうする気だ」


「あと三年もすればジェラルドが学院を卒業しますもの。それまではフラウデン伯爵として、«社交界の花»として過ごしますわ。弟の卒業と同時に爵位を譲り、«社交界の花»の座も次代を渡しましょう。その後はアクリュスではなく、セレスティナとして第十三番隊に所属するつもりですわ。結婚はいたしません」


 セレスティナの言葉にルグドラシュは頭を抱えた。彼女は表舞台から消えるつもりなのだ。伯爵としての立場を弟のジェラルド=フラウデンに譲渡し、社交界での最高位とも言える«社交界の花»の称号を次代へと引き継ぎ、ただのセレスティナ=フラウデンとなったところで、«仮面の死神»の正体を明かす。そしてそのまま国軍兵として暮らす。それが不可能ではないことがルグドラシュの癪に障った。


「嫌だ。許さん」


 子供のようにそう言ったっきり、皇帝は口を噤んだ。広い空間を静寂だけが支配する。その静寂を破ったのはセレスティナだった。


「ルグドラシュ様、あなたは皇帝です。この国の絶対的存在。ですが、わたくしの生き方を指図できる者は存在しないの。自分の道は自分で決めるわ。今までだってそうだった。これからもよ。指図しないでちょうだい」


 皇帝を仮面の奥からキッと睨み付けて言い放つ。強く芯のある口調に、ルグドラシュは改めてセレスティナの揺るぎない決意を感じた。


「これ以上何もございませんのなら、失礼させていただきたく存じます」


 落ち着きを払ったアクリュスの声が響く。それが聞こえていても皇帝は何も言わない。


「沈黙は肯定と受け取らせていただきます。御前失礼いたします」


 最敬礼をし、アクリュスは広間の扉へと踵を返す。カツカツとアクリュスのブーツの音だけが響く中、目を開けたルグドラシュは遠ざかっていく背中を見つめていた。

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