心残り
西丘サキ
第1話 現在の心残り
学校以外で歩くことはほとんどないから、この道を歩くことさえ変な気持ちになった。たしかに僕みたいな子どもが1人でこんなごった返した地区を歩いていることもそうそうないと思うけれど、自分がなんだか見張られているよそ者みたいに感じる。今日は早く入ろう。そう思って、僕は目的地まで急いだ。
やっと着いた。楓さん、僕の叔母さんのお店。どんな仕事をしていたのかは知らないけれど、楓さんは宇宙を駆け回るような生活をしていて、大活躍で大成功していたらしい。そしてそんな生活もいいけれど、じっくりと腰を落ち着けて生活していきたいと、この町に戻ってきてこの雑貨屋さんみたいなお店を開いたらしい。たぶん、だいたい嘘だ。たとえば、楓さんはなぜか地元の有名人で、宇宙の生活に興味のある僕の友達や学校の子たちがこぞって話を聞きに来た時もあった。でもあんまりに変で、嘘っぽい話ばかり出てくるから、次第に誰も来なくなったくらいだ。しかも、自分のことを吸血鬼だなんて言い出す。絶対に嘘だ。相手が子どもだからってなんでも言っていいわけじゃないんだぞ。
「OPEN」というプレートのほかに、「注意!自動ドアではありません。扉を押して開けてください」と書かれた張り紙のついたドアを開けた。自動ドアしかないこの町の中で、昔みたいな手で開けるドアなんて素敵じゃない、という店長こだわりの設備。もちろん、勝手に開いてくれるものだと思ってその場に立ち尽くす人が続出して、気づいた時にいちいち開けに行くのがめんどくさくなった楓さんがすぐに張り紙をドアにくっつけた。自動ドアにしないの、と聞いてみたけど、「それは嫌」と即答された。だから僕も、もうなにも言わないことにしている。
中に入ると、立ち上がっていた楓さんが大きく伸びをしていた。それはもう、すがすがしいくらいに伸びをしていた。また今日もヒマだったんだな。
「こんにちはー。楓さん、おなか見えてるよ」
「ん。あー、来たな秀才。ひさしぶりー。しばらく見ないうちに女性の体に興味を持ちだしたか」
楓さんは僕のことを「秀才」とか「秀才くん」なんて言う。ちゃんと名前で呼んでほしい。だけど、「成績が良くて言葉遣いもちゃんとしてて、身内的には天才って言ってもいいけど、なんか本人は頑張ってる感じを認めてほしそうじゃない?だから秀才くん。そっちの方が頑張ってそうな感じあるでしょ」なんてお父さんに言っていたと聞いて、楓さんからなら別に「秀才くん」でもいいかなと思う。なんか、僕のことをすごく見透かしている。女性の体に興味は湧いてきてないけれど。
「入ってみたらこれでもかってくらい伸びをしてて、思いっきり見えてたら言うでしょ。注意だよ」
「男はそうやって言い訳できるようにしておくんだよねー。あー怖い怖い。変なことされないように気をつけないと」
「僕まだ10歳なんだけど」
「年齢は関係ないって。あんたよりもっと小さい、3歳ぐらいの子がニヤニヤしながらモデルかなんかのおっぱいジロジロ見てたりするんだから。さっき動画で見た」
「………………」
お仕事中なんじゃないの?
そう思う僕を気にするようでもなく、楓さんは僕を奥にあるテーブルと椅子の場所へ促す。元々は仕事の話をしたり、説明や手続きをしたりする時のために置いたものらしいけれど、今はたいてい僕が座る場所になっていた。なんか飲む?と言いながら楓さんはカウンター下の小さな冷蔵庫から飲み物のボトルを取り出し、僕の目の前に置く。炭酸の入った、いかにも体に悪そうな色をした、いかにも体に悪そうな飲み物。
「これ、飲んだことないから飲んでみたいって言ってなかった?たぶん兄さん……お父さんもお母さんも飲ましてくれないでしょ、こういうやつ」
ちょっとぐらい悪いこともしないとね、と楓さんは笑う。ニカニカとしている楓さんはびっくりするぐらい若々しい。お父さんとそんなに年が変わらないはずだから、30代後半くらいのはず。だけれど、短めの髪に贅肉のない体型、Tシャツとジーンズのラフな格好が相まって28、9歳ぐらいなら言い張れそうだ。
ありがとう、と言って僕はボトルのふたを開けた。飲んでみたいって話したのはずっと前だし、今はそんなに飲んでみたいと思っていないけれど、覚えていてたぶんずっと用意していてくれたのがうれしい。おそるおそる一口。
「あっっっま‼」
甘すぎて思わず声が出た。みんなこんなものしょっちゅう飲んでるのか。あはは、と楓さんが笑って、
「いやー、大事に育てられてる秀才くんにはまだ早いかあ。や、逆に大人すぎてもう口に合わないのか。別のにする?」
「いや、これにする。このくらい全部飲まないと良いか悪いかわかんないし」
「無理しなくていいのに、頑固だねえ。でもお姉さんそういうの嫌いじゃないよ」
「………………」
「なにその無言は」
そうして、自分の飲み物を用意した楓さんが僕の対面に座る。頬杖をついて、覗き込むように僕の顔を見た。元々猫みたいな顔立ちだけど、その表情がよりいっそう猫みたいに見える。
「で、今日はどうしたの?」
「えっと、別に……」
用件を聞かれてしまうと、なぜか僕はごまかしてしまった。楓さんの話が聞きたくてここに来た、て言えばいいだけなのに。絶対に嘘だし、おかしいところが多いけれど、僕は楓さんの話が好きだった。でも、そんな単純な理由で来ましたって言っていいんだろうか。もっとちゃんとした理由がないといけないんじゃないかと思ってしまう。
「別にって、ここふらっと立ち寄るようなところじゃないじゃない?なんか用事があるんじゃないの?」
「え、っと……」
うつむいてしまう。言葉が出てこない僕をせかすこともなく、楓さんは同じ姿勢のまま待っている。
悪循環だった。なにか言わなきゃ、と思うほど、なにを言っていいのかわからなくなる。素直に言えばよかった。でも、今からじゃもう遅い。
さすがにじれたのかもしれない楓さんが頬杖をやめて、立ち上がろうとした。そんな様子を見て僕はようやく、急いで口を開く。
「楓さんって、なにか心残りみたいなのあるの?」
とっさにそんな言葉が出る。聞きたいと思っていたのかはわからないけれど、自分の耳で聞いた自分の言ったことを楓さんに聞いてみたいと思った。楓さんの心残り。あるとしたら、どんなものなのかすごく気になる。
でも、僕の質問を聞いた楓さんは明らかに戸惑っていた。
「え、そういう話?なに心残りって?」
そして座りなおして、僕の方にぐっと身を乗り出してくる。
「もっと悩んでることとか、相談したいことあるんじゃないの?なんていうか、別にお父さんお母さんとか、先生とか、そういうのに言ったりしないよ私」
「ち、違うよ。悩んでたりはしてなくて、ほんとに楓さんの心残りがあるか気になってるだけだよ」
僕の答えを聞いても、楓さんは身を乗り出したままじぃ、っと僕を見つめていた。目からして、僕を問い詰めようとしている。正直、ちょっと、いやけっこう怖い。
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「それだけ?」
「それだけだよ」
首をかしげると同時に、楓さんの視線が外れる。納得はいってないような顔だけど乗り出していた体を椅子に戻した。「そうならいいんだけど」なんてつぶやきながら。ひとまず、そういうことにしてくれたみたいでよかった。
今度は背もたれに体を預けるようにして天井のあたりを見ながら、楓さんが話し始めた。
「でも、心残り。そうねえ……話せることも話したくないこともあるけど、ぱっと思い浮かぶのは1個あるよ」
「それって楓さんの?」
「私の。あと私だけじゃなくてみんな。特にあの人の」
そう言った楓さんの顔が一気に曇って、寂しそうになる。普段見ないような表情。僕は不安になって、思わず言葉を発した。
「あの、ぜんぜん話したくないことなら話さなくていいから。もっとぜんぜん、おかしな話でいいから」
その言葉を聞いた楓さんがふっと、軽くふき出すように笑う。
「あんた、私がいつもおかしな話ばっかりしてるって思ってるの?」
「あ、いや……」
口ごもってしまった僕にかまわず楓さんが立ち上がる。入口の方へ歩き出しながら僕に話し続けた。
「話したくないことじゃないから大丈夫。残念なのは事実だけどね。あと、秀才くんでも話がちょっと難しいかなって」
「平気だよ!僕にだってわかると思う!」
「まあわかってるんだけどさ。むしろクラスの子と話が合うのか不安なくらい」
入口の方からかたん、という音が聞こえた。首を伸ばすと、棚の隙間からドアのプレートに書かれたPの文字が見えた。「OPEN」のP。さらに入り口側の照明も消してテーブルまで戻ってきた楓さんに、僕は問いかける。
「いいの?もうお店閉めちゃって?」
「いーのいーの。これから人が来るって決まってるわけじゃないし、稼ぎ方はこの店だけじゃないから」
よくわからないけれど、とにかく僕は「ありがとう」だけは口にした。うん、と軽く受け入れて、楓さんは話を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます