第四話 本の感情は忙しい

 「いいだろ。そんなのどうでも」

水を押しのける勢いで腕を振ったがどうしても水希は手を離さない。

「どうでもよくないよ。ねぇ、教えて」

少し不安そうな顔で訴えてきた。

「……昔…友達の家で遊んでたときに、色々あって付いた。もういいだろ?先に上がるわ」

少し不機嫌な声でそういうと、さっきまで腕をがっちり握ってた水希の手はするっととれた。

そして俺はそのまま振り向かずに風呂から出た。

カゴの中を見るとバスタオルと寝巻きがしっかり置かれていた。

下の普段妹が使ってたカゴにはさっき具現化した服とバスタオルが入っていた。

俺はバスタオルで全身を拭き、寝巻きに着替えると、いそいそと洗面所から出た。


流石に冷たく当たりすぎただろうか。別に教えたくないわけじゃない。でも、この傷は俺の人生だけじゃなく、色々な人を巻き込んだ傷だから、あぁ、思い出したくない。

そんなことを考えながら俺は台所に向かって歩いていった。冷蔵庫から牛乳を取り出すとカップに注いで一気に飲み干す。

「あぁ〜うまい」

自覚はないが一週間ぶりに口にしたものだ、誰がなんと言おうと今この世で一番うまいものに間違いない。

と、言いつつもやっぱり牛乳だけじゃ腹は満たされない。牛乳を冷蔵庫にしまいながら中を確認したがこの前のパーティーの時に食材などはほぼ全部使ってしまったのですっからかんの状態だった。


ふとソファの近くにあるガラス製のテーブルの下を見ると一週間前に買って食べることができなかったおにぎりが落ちていた。

俺はそれを見るなり急ぎ足でそこに向かった。

テーブルの上に置いてたはずだが、色々あった時に落ちたのだろう。俺はおにぎりを二つ手に取った。

「……賞味期限大丈夫かな。」

だが、まぁ、そんなこと言ってる場合じゃない。

多少あれでも大丈夫だろう。多分。

いつも食事をする、いわば食卓の椅子に座った。

「ツナと鮭か。」

魚類だなぁ。とか思ったんじゃなく、どっちを残そうか考える。

「ツナ食うかな」

俺は自分の前にツナおにぎりを置くと、隣の席に鮭を置いた。

さて食べようと封を切ろうとした時に、リビングの扉が急に開いた。


「おう、上がったか」

そこには俯いて顔が見えない水希が立っていた。

俺はさっきの事を気にさせないように至って普通に話しかけた。おにぎりを一度食卓に置く。

そして体を水希の方に向けた。

「何突っ立ってんだ?」

そう聞くと彼女の真っ暗な顔から涙が出てきているのがわかった。

「ぅ…うぅ……。ごめんなさい。ごめんなさぁいっ……」

急に泣き始めて、その場で泣き崩れる。

「え、ちょっ」

びっくりして俺が彼女の側に駆け寄ると服の裾を強く握られた。

「わ、私、あんなに気にしてたなんて知らなくて。

酷いことしちゃったって…、うぁ…ごめんなさいぃ……。」

涙で濡れた顔を上げて謝罪してくる。

「や、わ、分かったから。分かったから、まず涙拭こう、な?」

そういって彼女の首にかかってるタオルを取って涙を拭いた。それでも目尻には涙がすぐ溜まる。

「俺もさ、急に風呂に入ってこられて動揺とかしてたし、この傷のこと言われると思ってなかったからつい冷たくしちゃったんだ。だから、ごめんな」

タオルを首にかけ直しながら俺からも謝った。

そうすると水希は首を横に振って、まだ涙ぐんだ目で聞いてくる。

「私が悪い。でも、お願い、契約解除だけは、しないで。許して。」

いやいやいや、なんだ、おい。俺はヤクザか?悪党か?本だとしても女の子が泣きながら謝ってんのに許さないとか最低じゃん。

「当たり前だろ、命の恩人のお前を許さないはず無いだろ。だからほら、泣くなって。一緒に飯食おうぜ?な?」

そういって体を引っ張りあげる。

水希は素直に立ち上がった。

「うん、ありがとう…、本当にごめんなさい。」


「あぁ!よし!もうしょぼくれんな、もう許したんだから、切り替えが大切だぞ?」

彼女はうん、と頷いて一緒に席に座った。

「これ、いいの?」

座って鮭おにぎりを見るなりそう聞いてきた。

「だめ、なんていうはず無いだろ?今日はそれしか無いけど我慢してくれ」

俺は封を完全に開けて大きく一口かぶりつく。

買ったばかりの美味しさはなくなっているけど全然美味しい。至福だ。味わいながら食べ、よく噛む。そして、ちらっと隣を見た。水希も封を取って、大きく開かない口でパクッと一口食べる。

その一瞬目が輝いた気がした。俺らは夢中でおにぎりを食べた。わずか五分も経たないうちに互いの手からおにぎりは消えていた。

「美味しかったか?」

そう聞くとキラキラとした目でこっちを見つめて、美味しかった!と答えた。

可愛い。さっきの涙は何処かに消えて、とてもいい顔をしていた。

「さて、一週間前の皿洗いしてくるかな」

席を立って流し台に向かう。そう、一週間前の朝に俺は皿洗いをせずに家を出たのだ。

流し台の前で腕まくりしてシンクを覗く。

だが、そこには皿一つ無かった。

「え、あれあれ?なんでないんだ。」

記憶が正しければ絶対に置きっぱなしにしてたはず。


「それ私が片付けたよ」

後ろからそう声が聞こえた。

「え、まじで?」

「うん。だって、なんか汚かったし。」

そう言っておにぎりの封をくしゃくしゃと丸めながら席を立ち上がる。そしてゴミ箱に捨てた。

「ダメ…だった?」

しゅんとした顔で聞いてくる。

「いや、めっちゃ助かった!ありがとう!」

まくった袖を直して、親指を立ててグッドの手を作った。水希もちょっとドヤ顔をして同じ動作で返してくれた。

互いに笑顔になったところで次の行動に移る。

俺はリビングから廊下に出る扉に手をかける。

「じゃあ、ちょっとついてきてくれ。お前の寝る部屋を決めよう」

そう手招きをすると笑顔で頷いて後ろからついて来た。階段を上がって二階に行くと手前から4つの扉がある。

「家探検したなら知ってるだろうけど、手前から俺の部屋、元妹の部屋、後はゲストルームなんだけど……」

「一番手前」

「え?いやぁ、そこは俺の部屋で……」

「一番手前!」

食い気味に真面目な顔でそう言う。

どうしたものか、てか選択肢に俺の部屋は入らないんだが。

「そこ以外じゃ……」

「やだ!」

子供かっ!子供なのかっ!おもちゃコーナーで駄々こねてる子供よりめんどくさいぞ?!

「いやいや、歳考えろよ。なぁ?高校生同士の男女が同じ部屋で寝るか?普通。」

結構普通に問題点を伝えた。

「え?容姿だけだよ?私、実際400歳だし。」

そうきますかぁ。実年齢かぁ。てか本だしね、まず本だしね。歳はとってるよ。

もう、考えるのはやめようと思う。こいつ一歩も引かないし、俺が床で寝れば解決か。うん、そうしよう。

「分かった。じゃあ、一番手前でいいよ。」

「やったぁ!ありがと!」

許可を出した途端、一目散に俺の部屋の扉に手をかけて開けると俺を手招きする。

俺は大きくため息をつくと、指示されるがままに部屋に入った。

「じゃ、私は床で寝るから!」

「え、いやいや。ベッドで寝ろよ、腰とか痛くなるぞ?」

気を使ってやるが横に首を振って断ってくる。

「私は大丈夫だから、琉夏は意識戻ったばっかりなんだし、自分を大切にして?ね?」

……優しさが痛いほど伝わった。多分これ以上譲り合いをしても言いくるめられるだろう。

大人しくベッドで寝よう。

水希には床に客用の布団を敷いて寝かせることにした。

一階の電気を消して、明日の高校の準備をし、互いに布団に入ったのを確認して電気を消した。

そしてまた、新しい明日が来る。

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