第141話 終わりは乱入5秒前

 ◆ ◆ ◆



 この時、ミドリーさんは途方に暮れていたという。



 異様な部屋の光景。そこに寝ころばされている囚われの自分。後ろ手で鎖で拘束されており、自慢の筋肉でも身動きが取れず、こんなにも近くに宿敵パルスがいるのに文字通り手も足も出ないでいた。



 見た目通り腕っぷしには自信があった。

 だが、それは肉弾戦での話で、魔法を使われると話は変わる。彼はやはり非戦闘員。あくまでも【治療師ヒーラー】なのだ。



 一方、パルスは小さな窓を無言で見つめていた。彼をここに連れてきてからずっとこの調子で、静かに空を見上げていたらしい。



「……そんなに空が気になるのか?」



 緊張しながらもミドリーさんはパルスに尋ねる。

 すると、パルスは「おや?」と意外そうな声をあげてミドリーさんを見下ろした。



の観察なんて、随分と余裕ですね」

「質問には答える気はないと?」

「いや……なんてことはない。空模様を見ていただけですよ」

「嵐でも来そうか?」

「さあ、どうでしょう……嵐で済めばいいですが」



 クスッと笑ったパルスはそっと窓から離れ、ミドリーさんに歩み寄る。



「さて、早ければそろそろと行ったところでしょうか……どう思います? ミドリー神官」



 パルスの問いかけにミドリーさんは口を閉ざす。口元は笑みを含んでいるが、眼差しは好戦的でぎらついていた。俺たちの到着を今か今かと待っているのはミドリーさんだけではなかったようだ。



「それにしても……手が空いてしまいましたね」



 軽い口調とは裏腹に、パルスはミドリーさんの腹部に蹴りを入れる。



 なんの躊躇ない攻撃にミドリーさんは目を剥き、たまらず唾を吐き出した。

 当たりどころが悪く、腹部の激痛と呼吸の苦しさにミドリーさんは痛みでうずくまる。



 それを見てもパルスは「おやおや」と言うだけで、相変わらず涼しい顔をしていたらしい。



「すいません。つい癖でみぞおちを蹴ってしまいました。でも、あなたはご自分で治せるから大丈夫ですよね?」



 あっけらかんと言うパルスだったが、目は笑っていなかった。

 冷酷で、愚民でも見るような卑下した眼差し。口調が穏やかな分、なおさら恐怖を感じた。



 咄嗟にもがいてパルスと距離を取る。しかし、治癒魔法を唱えても何も反応しなかった。

 しかも魔法を唱えるたびに頭の中が真っ白になり、体の力が抜けて行く。



 ミドリーさんがからくりに気づいた時、今度はパルスに顔面を蹴られた。



 口が切れ、口内に血の味が広がる。この程度普段なら詠唱破棄してでも治せるはずなのに、やはり魔法の発動されない。



 それもそのはずだ。今の彼には魔力マジックパワーが吸われているのだから。



「――この鎖だな?」



 絶え絶えの息でミドリーさんはパルスに答えを求める。



 おそらくこの鎖がなんらかの魔力マジックパワーが籠っており、対象者の魔法を封じている。



 この世界では誰も彼もが魔法を使えるから、こういった拘束具があっても不思議ではない。ただ、それを誰が持っているのか……という問題だけで。



「……昔の仕事道具も、役に立つものですね」



 そう言ってパルスはほくそ笑みながら眼鏡をクイッと上げる。奴は始めからミドリーさんに自分を回復させる気はなかった。



「まあ、どちらにしろその鎖が外せれば治せるからいいじゃないですか。外せれば、の話ですが」



 それは遠回しに「助けがくれば」と言っているのと同じだった。

 奴は弄んでいるのだ。ミドリーさんの命をかけた「人探しゲーム」とミドリーさんの我慢大会と。彼が暇つぶしとして遊ぶにはミドリーさんは格好の的だった。



 蔑んだ目のまま、パルスはもう一発ミドリーさんの体を蹴ったあと、彼の頭部に足を置く。

 じりじりと踏みにじり、ミドリーさんのこめかみに痛みと、屈辱を与える。



 体中の痛みを感じながらも、彼ができたのは恨めしい眼差しを彼に向け、神官らしからぬ言葉を吐き捨てるだけだった。



「貴様のような者は……魔界に堕ちればいい」



 しかし、どんなに怒りの目を向けられても、パルスは淡々としていた。



「ご安心を……もう堕ちましたから」



 その言葉の意味にミドリーさんは思わず眉をひそめたが、この時はわからずじまいだった。



 ――それが、俺たちがここにたどり着く数十分前の出来事。

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