第66話 おばけなんてないさ

 俺に肩を預けるようになってから、アンジェは口を利かなくなった。

 いや、利けなくなったというほうが正しいだろう。

 ただ浅い呼吸を何度もするだけで、彼にはもう話す余力さえもなさそうだ。



 暫時の沈黙の中、ひたすら森の中を歩く。

 太陽の光ですら遮断する『陰の気』のせいで、俺の体もだんだんと冷えていた。

 それでも『陰の気』は濃くなる一方で、濃霧のように視界を拒んでいく。



「もう……結構……歩いたんじゃねえの……?」



 しどろもどろに言葉を並べて呟くが、案の定どこからも返事はない。それどこか、今自分がどこにいるのかも、ゴールがどこなのかもわからない。



 人が立ち寄らない森だ。情報なんてあるはずがない。

 それでも足を止めないでいるのは、この森になんとなくができているからだ。この道に何も根拠はないが、どうせ地図もないので自分の直感を信じて突き進んだ。



 ……突き進むのはいいけど、これ、遭難しない?



 そんな危惧も頭によぎるが「まあ、山じゃないし」と訳のわからない根拠で自分を納得させる。

 なんせ、今の俺たちにはこの森の先にしか希望がないのだから。



 そうしてひとり不安と戦っていると、やがて森が途切れ、ひらけた広場に出た。



 開けた場所といっても、『陰の気』が渦巻くように充満しているだけで草すら生えておらず、地面だけが広がっていた。木はこの場所を守るようにぐるっと囲んでいることもあり、ここだけ別空間のようになっている。



 異様な空間に恐怖を感じるものの、立ち止まることはできないので勇気を出して一歩踏み入れた。

 その途端、木枯らしみたいな冷たい風が俺の横を通り抜けた。



 ここに来るまでも寒さは感じていたが、この場所は段違いだった。白い息は出ていないが、肌を出していた両腕は一気に冷たくなり、思わず身震いした。

 こんな近距離でここまで気温が変わるか? いや、そんなはずはないだろう。



 こんなところ、さっさと抜け出すに限る。

 そう思って早足で歩いているのに、歩いても歩いてもこの空間から抜け出せなかった。



 ただまっすぐ歩いているだけなのだから、いい加減向かい側の森にぶつかってもいいはずだ。

 それなのに、似たような景色がどこまでも続いており、さっきから進んでいる気がしない。



 いったい、なんなんだここは……。

 感じる胸騒ぎにもう一度ぐるりと辺りを見渡す。



 その時、俺は見てしまった。

 この一面に充満する白い『陰の気』の中で、人魂のように浮かび上がる青色の火の玉を。



 驚きを通りすぎて、心臓が止まるかと思った。

 目の錯覚を疑いたくて即座に二度見する。

 だが、目の錯覚どころか青い火の玉はひとつ、またひとつと増え、ついには俺たちを取り囲んだ。



 混乱と恐怖で立ち止まっていると、いきなり火の玉がぬっと俺の前に現れた。しかも、その火の玉には人の顔がついており、俺を見てにやりとほくそ笑んだ。



「おわぁぁ!」



 これにはたまらず声をあげると、うなだれていたアンジェの顔がパッと上がった。



 この一瞬で事態を察した彼は、咄嗟に俺から離れて腰に差した剣を抜いた。だが、青い火の玉は「ケケケッ!」と笑いながら逃げるように俺たちから距離を取り、仲間たちの元へ戻っていく。



「悪い……起こしちまった」



 アンジェに謝罪しながら、俺もバトルフォークを強く握る。



「いいのよ……むしろ、起こしてくれてありがと」



 アンジェもそう言って改めて剣を構えて臨戦態勢を整えた。不本意ながらも、戦闘開始だ。



「これは……ブルースピリット?」



 アンジェがこの物体の名称らしき単語を呟くと、火の玉は返事をするように一斉に笑い出した。



 人の顔がついた無機物がケラケラと声に出して笑っているのだ。この気色悪さと恐怖に俺は震えが止まらなかった。



「もしかして……エレメント系の魔物って奴?」



 恐る恐るアンジェに尋ねると、彼は苦笑いを浮かべながら頷いた。

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