五、おばあさま

 一週間前、町まで商いついでに伯父の見舞いに来ていた頃。ロジャーが人狼駆除組合の頭領が、この町へ来訪していることを知ったのは、売る物も全て売り尽くし、一刻も早くカミラの元へ戻りたい彼に反して、父が、兄が心配だからまだ滞在すると粘り、分かれて帰るには馬車代ももったいないので、仕方なく伯父の家で暇を持て余している時だった。


 夕刻に現れたその使いの者は、“おばあさま”は父ではなく、ロジャーに用があるのだと言い、父にはこの件を伏せるよう言い含められた。仕方なしに、伯父の部屋で看病をしている父へ町に遊びに行くことを告げ、使いの者と、町で一番と噂されている宿へと赴いた。

 賓客を泊める部屋に、齢六十をすでに超えるというのに、背筋がしゃんと伸びたかくしゃくとした老女と、あどけなさの残る赤い帽子をかぶった無表情の少年が、彼らを待っていた。


 使いの者が一礼して部屋から出て行くと、老女は席へ座るよう呼び掛けてくれたので、柔らかい二人掛けのソファのど真ん中に悠々とロジャーは一人で腰かけた。夕焼けが差し込む部屋の中で、テーブルの上にあるロウソクが、淡い光を灯していた。


「ごめんなさいねぇ、ロジャー。伯父さまのお見舞いに来ていたところを呼びつけて」


 やんわりと老女は、孫に話しかけるように言う。色褪せた赤いフード付きのケープをまとい、胸に紫のコランバインが三つあしらわれたブローチが光っていた。もはや名前は無きに等しく、ただ、組合員から“おばあさま”と呼ばれる人狼駆除組合の頭領その人であった。


 昔から、この頭領とは顔見知りだった。幼い頃、なにがしかの理由で母と人狼駆除組合の本部へ寄ったときには、わざわざ仕事の合間を縫って、彼女の執務室に置いてあった絵本を読んでもらったこともある。


 一番記憶に新しいのは、父が数年前、人狼を追って誤って崖を滑り落ち、足を痛めたため、現役を退かねばならなくなったときだ。この頭領は帰還した父と共に村にやってきた。まだ十代半ばのロジャーに、深々と父とロジャーに申し訳ないと謝りに来た優しい人だとも。だから、なんとなく自分も、この頭領を祖母のような、身近な相手として感じていた。


 お茶と菓子を勧められ、滅多に口に出来ない高級な紅茶をすすった。向かいに座る少年も、黙々と焼き菓子を頬張っている。普段、茶など口にしないが、香りと味がいいことはよくわかった。焼き菓子も、やはり普段食べなれていない物だが、香ばしい匂いと絶妙な甘さが美味かった。

 カミラにも、食べさせてやりたいな、となんとなしに思っていると、頭領はたくさんあるから持って帰るようにと、わざわざ包みをくれた。


 それから、にこにこしながら、最近の様子などを尋ねてくる。それに対し、今は自分が猟師として働き、父が村をまとめあげていること。また、無論カミラが人狼であることを伏せ、村人にもカミラが流れてきた口実として言った、川の氾濫に流されてきたカミラを助け、恋仲になり、今はまだ本人には告げていないが、婚姻のための資金を貯めていることを告げた。


「あらまあ、本当に好きな人ができたのねぇ。こちらのほうでも、ロジャーはどこそこの娘と仲がいい、なんて噂をちらちら聞いたけど、いいことだわ。もちろん、あなたの猟師としての腕がいい噂も、聞いていたけれどね」


 そして、昔を懐かしむように頭領は目を細める。


「愛する人がいるということは、まことに素晴らしいことよ。己に生きる力をくれる」


 焼き菓子の食べかすで口周りを汚しながら、隣にちんまりと座る少年の口元をテーブルに置いてあるナプキンで拭ってやりながら、頭領は語った。そして、本題だと述べた。


「この子に、四歳年上のお姉さんがいるんだけどね。とても優秀な組合員なのだけど、どうにも、人狼に対すると気が触れてしまうような、おかしい子なの」


 そこで言葉を区切ると、瞑目めいもくし頭領は押し黙った。迷いが感じられるような、暗い表情だった。しばらく、誰も口を開かなかった。続きの言葉がどうしても想像できず、この沈黙を破る気にもなれなかったので、ロジャーも黙って、茶を口にしながら頭領が口を開くのを待った。そして、頭領はまなじりを決し、ゆっくりと話の続きを言い切った。


「ロジャー、あなたにその子を殺してほしいのよ」


 思わずカップを持つ手が揺れ、中身が少しテーブルへと零れてしまった。頭領が綺麗なハンカチを渡してくれたが断り、自分の服の裾でぬぐった。そして息をつき、頭領を見た。

 自分は一介の猟師で、殺し屋などではない。これが、例えば、ぬしとして有名な鹿を狩ってくれ、とかであったら快諾もできるものだが、この頼みはとんでもないことだった。

 猟師は、必要以上に生き物を殺さない。それがロジャーの中の掟であった。冗談じゃねえや、と言いたかったが、仮にも昔の父の上司、それでなくとも今尚、組合員の頭領たる女性でもあるので、彼なりに多少は気を使って断りを入れた。


「ばあちゃん、俺ァ、殺し屋なんかじゃないよ。頼む相手を間違ってる」


 正直なところ、ついにこのババアも耄碌もうろくしたか。と心内で、舌打ちした。だが、頭領は首を横に振った。


さとい子でね。勘もいいし、下手な殺し屋じゃ代わりに殺されちゃうのよ」


「あなたの三だか四つだかの掟に、人を殺すなってあるでしょうよ」


 付き合いきれないと思い、皮肉混じりに突き返すと、困ったような微苦笑を浮かべる。


「任務にのぞむ際にはね。正当防衛については、否定ができないわ。……つくづく、人狼というのは、憎らしい。人ひとりの人生を、ああもげてしまう」


 嘆くように放たれたその言葉が、なにか言外に言い含められているような気がしたが、ロジャーは意に介さず黙ったままでいた。頭領は茶を一口飲み、居住まいを正した。


「彼女と任務を共にした者の半分は、組合からの除名か、二度と任務を共にしないよう計らってほしいと希望するのよ。あんな惨いことは、見ていられないと」


 頭領は、詳細を語り始めた。

 あまりに任務の成果が惨いのだという。人狼は確かに人へ害なす魔物で、憎らしいと皆思っている。だが、その少女――キティは人狼がなるべく苦しむように、また殺したとしても、その死体を弄ぶのだという。


 両親が人狼に食い殺される様を目の当たりにしていたのを、そしてそれを助け、少女に手を差し伸べた覚えが彼女にもあった。その恐怖と憎悪は、本人しかわかるまい。だから、思わずそのような凶行に及ぶのかもしれない。それに残虐な殺し方を、他の組合員がしていないわけではない。と考え、はじめは少し時間をもらえるようみなに伝えた。

 一度、本部の近くで彼女が対応する任務があったので、こっそりと見に行った。そのときの惨状は、たとえ両親が人狼に食い殺されたことを加味しても、――口に出すことすらはばかられるほど――人として許されざるべき域まで、達しているとしか考えられなかった。


 頭領たる自分が言うのもおかしなことかもしれないが、彼女の人狼の狩り方は、尊厳もなにもない、まるでままごとの道具のように、人狼を好きなようにほふり、その死体を弄ぶ。

 人狼駆除組合は、もちろん人狼の駆除が一番の仕事ではあるが、彼女が設立した目的の一つとしては、はじめは互いに愛する人を失った人びとが集まって、寄り添い、心の傷を癒すための家族のような役割も持たせたいと思っていた。今でこそ金銭のやり取りも多く、そういった人ばかりではない大きな組合とはなったが、その思いは今でも、曲げるつもりはなかった。


 そして、キティが起こすその惨たらしい成果に、人狼駆除組合かぞく頭領おばあさまとして、決断を下さねばなるまいと。


 思い起こせば、あの少女は任務を終えると嬉しそうに頭領へ語るのだ。人狼の耳を削いでやった。まず四肢の腱を切って動けなくするのがコツで、それから爪をはがしてやったりした。死んじゃった後は、目を取り出してみたりしたのよ。と。

 子供特有の、ある時期に少し残酷なことをわざと好んだり、口にしたりすることがあるのは、頭領が今まで育ててきた子たちを見ても、そういったことはあった。なので、どこまでが本当かしら、と思いながら聞いていたが、彼女は嘘を一片たりとも吐いていなかったのだ――。


 彼女は十六を迎えた。子供と言えば子供だが、嫁にいってもおかしい歳ではない。分別はついて、当然であろうと頭領は考える。だが、あの惨状を目の当たりにした上で、どう考えたとしても、少女は教え諭したところで、理解しないだろう。実際、何度か、掟にも“速やかに駆除するよう”に、記述があることを指摘してみたが、その時は小さな子供のように頬を膨らませ、


「どうしてあんな酷いことをする人狼に、痛みをわからせてあげないの? 不公平だわ。第一、掟の最後には“人狼は憎むべき魔物として、一切の情を与えぬことを心得よ。”って書いてあるもの」


 と、その度にのたまうのだ。


 頭領が若き頃、人狼への憎しみをたぎらせ戦い続けていた日々、そこに人狼に尊厳があるなど思いもしなかったが、一度、立ち止まる時があった。

 だが、キティはもう、戻れないところまで来ている。戻る気も、振り返ることもせず、前へただ、血が滴る道を迷うことなく、遊びに行くように突き進んでいくだろう。そのことを、ロジャーに語り終え、そして隣に座る少年に顔を向けた。


 姉の歪みは、この弟にまで至っている。


「これは、この子の、セシルの願いでもあるわ」


 ロジャーは黙ったまま、全てを聞いた。この少年にこそ分別がつくとは思えないが、それでも、姉を殺すことをいとわないのか。まずはそこが疑問だった。


「坊やは、姉ちゃんが死んでもいいっていうのか。もう二度と会えないんだぜ」


「…………」


 少年は黙ったまま、言葉を考えるように俯き加減になり、それからしばらくの合間を持って、うーん、と呟くと面をあげた。


「お姉ちゃんは、きっとお母さんたちが死んじゃったときに、一緒に死んじゃったんだ。あれは、お姉ちゃんの顔をした、悪魔だよ」


 少年は無表情で、平淡な声音でそう言い切った。その声音が、正直なところ、気味が悪かった。生意気盛りの年頃の少年にしては、感情の起伏が異常に薄く、この精彩を欠くような、のっぺりとした雰囲気を感じるのは、いったいどうしてなのだろう。

 ロジャーは、物思いにふけりながら、少年の言葉に答えないまま、黙り込んだ。


 だいたい、これを引き受けることに俺になんのメリットがあるのか。断ってしまったほうが一番だ。危険が多すぎる。

 そう思ったとき、頭領がぱん、と軽く手を叩いた。そして、懐から小さな巾着を取り出すと、セシルへ握らせる。


「セシル、長話で疲れたでしょう。わたしとロジャーで話をつけるから、あなたは廊下にいる人にこれを渡して、町で遊んでらっしゃい」


 一瞬どうしたら良いのかわからないように、少年は硬直した。だが町への興味もあったのだろうか。平淡な表情は変わらないまま、頷いて外へと小走りに出ていった。


「……あの子、お姉さんの前では、人が変わったようになるのよ」


 少年が走り出たほうを眺め、ぽつりと洩らしたその言葉の裏に、少年の姉に対する暗い心持ちが、ありありと浮かんだ。それが、深い根を張っていることも。きっとあの少年は、たとえ姉が居なくなっても、精彩を欠いた感情のまま、生きていくような気がしてならなかった。


 頭領は、ロジャーに向き直り微笑むとふところから、今度は便箋を取り出し、開いてロジャーによく見えるようにテーブルへ置く。

 一番に目に入ったのは、手紙の末尾の、父親の筆跡で綴られたサインだった。心臓が飛び跳ねそうな気がしたが、面に出すことなく、冷静に文書を黙読した。


 それは、カミラへの人狼ではないかという疑いと、それに対する調査及び、人狼である場合の駆除を願う内容だった。足が悪く、自分で調査ができないことを悔やんでいるとも、書いてあった。

 生唾がわき、己へ冷静を保つよう叱咤しながら、すっと頭領へ目線をやった。変わらず微笑んだままだった。


「この手紙が届いたのは二週間かそこらも前でねぇ。ただ、キティのこともあったから、ついつい後回しになってしまって、まだ、あなたのお父さまにお返事ができていないのよ。でも、わたしの腹心の部下に、下調べはさせてあるわ」


 瞬時に理解した。この頭領は、カミラが人狼であることを、知っているのだ。二週間以上前であれば、満月の日も重なっている。首筋が粟立つような感覚を覚え、自然と拳を握りしめた。

 なにがしたいのだろう。彼女の目的がようとして知れず、返答に困った。だがなにか言い返さねば、認めることになる。

 そんなロジャーの心情を察するように、頭領は微笑みを緩めた。そして、遠い昔を思い浮かべるような茫洋ぼうようとした面持ちで、呟いた。


「人狼駆除組合の掟、穴だらけでしょう」


 唐突な言葉に、話が繋がらなかった。しかし、昔、父に教えてもらった四つの掟を振り返ると、言われてみれば、気になる点はいくつかある。カミラ自身も、前に何かの折に、不思議だと言っていたのを思い出した。

 人狼駆除組合は、必ず満月の夜に変化した人狼しか殺さない。それに、わざわざ目立つような服を着て、目印のブローチまで付ける理由が、わからなかった。その点を尋ねてみると、そうよね。と頭領は同調した。


「昔は、わからないように普通の服を着て、人狼と思われる人はすぐに手を掛けた。

 でもね、ある日、わたしのもとへ女の人が来てねぇ……。泣きながら言うのよ。『あなたのせいで、わたしの父は人狼じゃなかったのに殺された。そして、わたしの恋人はなりたくてなったわけでもないのに、人狼になった。わたしはそれでも彼を愛していたのに、あなたたちは殺した』って」


 その言葉には強い悔恨が、含まれていた。いつかカミラが言っていたのを思い出す。確か、二回目の満月の夜の日、二人で朝を迎えて彼女が正気に戻ったときだ。人を食い殺した痕を見て、血にまみれた彼女は泣きながらこう言っていた。


 ――ごめんなさい、ごめんなさい。あの日、わたしが人狼に噛まれなければ、あなたは、こんなことにはならなかったのに!


「当時は、なにを言ってるのか、わからなかった。わたしにとって、人狼を狩ることは間違いようのない正義だった。でも、手に深く刺さったトゲのように、その日のことがずっと残ったわ。年を重ねるごとに、ずっと引っかかるようになってねぇ。それに、そういう人たちが、わたしの命を狙うようなことも、あったわ。

 ……人狼が、わたしの愛する人を殺したことも事実。わたしは、わたしのあの時の決意を覆したくはない。――でも、愛する人を殺される痛みは、知っている。わたしは……、わたしの思いがたくさんの人たちを呼び寄せ、大きな団体として抱えるようになったとき、この組合が、人狼と同じようになりたくないと、思ったの」


 だから、あの掟は、わざと抜け穴として用意したのだという。

 組合員へ表向きには、掟は己の命を粗末にすることのないよう、大切にするため。赤い衣服やブローチは、仲間だと分かり合えるよう、見習いか熟達した者なのかがわかれば、熟達した側も助けがすぐ出せるよう気を遣えるので、お互いが助け合えるように作ったのだと説明しているのだという。それから、頭領は決然と言い放った。


「ロジャー、取り引きをしましょう。相応の謝礼も用意するし、わたしは、あなたが今回の依頼を引き受け、成功させた場合、今このときから、あなたの村で起こること、あなたやあなたの恋人が起こしたことは、一切関知せず、もしなにか問題があったとしても、逆に擁護するわ。


「……本気?」


 老女は優しい微笑みを浮かべた。この慈母のような優しい微笑みに、皆、任務に帰還したとき、安堵するんだろうなと、ロジャーは頭の端に思い浮かべた。


「わたしは、組合を家族だと思っている。家族に悲しい思いはさせたくないし、それを乱す者は、排除するわ。今回のようにね。そして、あなたのお父さまの手紙は、運悪く、郵便屋が紛失でもしてしまったのか、わたしの手元には届かなかった。

 ……あなたにとって、この取引、とっても旨味があると思うのだけど、どうなのかしらねぇ」


 つくづく食えないババアだ。そう心の中で悪態づきながらも、ロジャーの脳裏には、窓辺で物憂げな表情で外を見ているカミラの横顔が見えた。

 初めて会ったときから、普通の女とは違う、どこか冷たいうすを張り詰めたような、寂寥感せきりょうかんを感じさせる彼女に強く惹かれた。人でも狼でも関係ないほど、彼女への愛は、もう揺るぎないものになっている。


 もはや迷いは、消えた。了承の意を込めて頷いたロジャーに対し、老女は父からの手紙にそっと、ロウソクの火をつけた。火は手紙を舐めるように燃やしていき、そこには黒い燃えカスだけが、残った。

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