プロローグ『エピローグのすぐあとに』(後)
「へ?」
灯火が目を見開き、
「なーんて。冗談ですよ、別に約束とかしてませんし。でも会えてよかったです」
彼女も言う。
「いや、約束してないなら知らないだろ……なんで謝らせたんだよ」
「いえいえ、謝らせるだなんて。先輩が勝手に謝ったんじゃないですか? まあ、後輩の機嫌を取っておくのは、悪いことじゃないと思いますけど。あとでいいことあります」
「いいこと?」
「たぶん、ですけどねー。先輩は、頼り甲斐のあるほうが素敵だと思いますよ?」
悪戯っぽく笑ってみせる後輩の少女。
その様子は、いつかの灯火を彷彿とさせるものだ。
違いがあるとすれば、こちらはより完璧に近いということだろう。演技ではない、飾らない素の明るさが垣間見える。
赤みがかった長い髪を、首の辺りでふたつに纏めている。少しだけ制服を着崩している辺り、きっと自分の見られ方をわかっているタイプだ。髪留めにしろ鞄にしろ、いくつか趣味のいい小物で飾っているのが見て取れる。
今風の女子高生、といった印象があった。
「あ……天ヶ瀬、さん?」
灯火が、まるで信じられないものを見るように、震えた声音で名前を呼んだ。
「ん。おはよ、灯火ちゃん。灯火ちゃんって先輩と知り合いだったんだー?」
それに答える天ヶ瀬。
そういえば灯火を探し回ったとき、教室で天ヶ瀬に会っていた。ふたりは同じクラスだ。
「い、いや……それ、わたしの台詞……なん、です、けど……てか何して、」
「え? 嫌だな、もう。もちろんだよ!」
答えるなり僕の手を取って、そのまま有無を言わせる間もなく腕を組んでくる天ヶ瀬。
灯火は過敏に反応して、「うぎょっ」とJKに非ざる声を出す。あり得ないものを見る目とは、おそらく今の灯火の双眸を言う。
「なななななっ!? なっ、なっ! 何してるんですか伊織くんせんぱいっ!?」
そこで僕に振ってくる意味がわからなかったし。
そこで僕ではなく天ヶ瀬が答える意味も、やはりわからなかったが。
「何って。これくらい当然だよ! ね、先輩?」
「はあ――っ!? ちょちょちょっと伊織くんせんぱいっ!? 何デレデレしてるんですからしくもないっ! そういうのを冷めた顔で突き放すのが氷点下野郎でしょう!?」
「えー? 先輩はそんな酷いことしないよー」
「わたしにはめちゃめちゃするんですけど、その人ぉ!」
「それは灯火ちゃんだからじゃない?」
「■■■■■■■――ッ!!」
人類の理解を超越した獣性言語(?)を唸る灯火。
何を言ったのか何もわからないが、それでも天ヶ瀬は笑って答えた。
「――だって、わたしと伊織先輩は、恋人同士だもん!」
灯火は。
灯火は腰に手を当て、空を仰ぎ見ると、一度片手をこめかみに当て、それからやれやれとばかりに大きく首を振ると、腕を組み、改めて空を見てから、息を吸い込み。
「あははははいや何を言い出すかと思えばそんなあり得ない台詞をまさかははははは!」
全身を微細に振動させながら、そんなふうに言った。
なんで震えてるんだろう……。
灯火は続ける。
「いや。いやいやいや。わたしを担ごうったってそうはいきませんよ。ええ。この氷点下ウルトラ変人せんぱい野郎に、こ、恋人! とか! そんな、そんなの絶対あり、あり、あり得ませんからあり得ない絶対あり得ないなんなんですかこれはなんだこれぇっ!!」
無茶苦茶だった。
しかもなかなか酷いことを言われていた。
まあ、あまり反論の余地もない。
「落ち着け、灯火」
とはいえ言われっ放しでいるのもなんだし、何より灯火が荒れ狂っている。
ここは僕が言葉を挟むべきだろうと、そう口火を切ってみたのだが。
「これが落ち着いていられることでせうか!?」
あまり通じそうになかった。
「いいから落ち着け……。何もお前が怒ることじゃないだろ、別に」
「――こ、の……っ」
「んで天ヶ瀬も、いきなり腕を組んでくるなよ」
「はーい」
天ヶ瀬は素直に手を離した。
それにようやく灯火も落ち着いたのか、呼気を整えて、改めて僕を睨む。
「――で! どういうことですか、これは! せんぱいっ!?」
「どうもこうも」
僕は答える。
「そういえば、お前には言ったことなかったっけか」
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ヴぁ?」
確かに、僕という人間を思えば想像もできないことだろうが。
でも、それはそうなのだから仕方がないだろう。改めて、僕は灯火に告げた。
「――僕は天ヶ瀬と付き合ってるんだよ」
その発言に、灯火は完全に絶句し。
天ヶ瀬はわずかに微笑むと、再び僕に向き直ってこう言った。
「ね、伊織先輩。今日、デート行きましょうよ」
「え? あ、いやでもな。さっき、灯火とどっかに行くかって話が――」
「いやいやいや。さすがにそこは彼女を優先してほしいんですけど。灯火ちゃんだって、そこはわかってくれますって。先輩が優しいのは知ってますけど、それはナシですよ」
「ん、……そういうもんか。わかった。じゃあ、そういうことになった、灯火」
告げてはみるが、灯火のリアクションはまったくない。
しかし天ヶ瀬は僕の彼女なのだから誰よりも優先しなければならないに決まっている。
それは、何もおかしなことではない。
「それじゃ、行きましょう先輩! わたしたち先行くねー、灯火ちゃん! また教室で」
「あ、……おぉ、わかった」
そのまま天ヶ瀬に手を引かれて、僕は歩き出す。
灯火を振り返ってみても、彼女は完全に固まったまま、何を言うこともなかった。何か悪いことをしたような気になってしまい、後ろ髪を引かれる思いがした。
けれどそこで、まるで内心を読んだかのように天ヶ瀬が言う。
「――伊織先輩はわたしの恋人なんですよ?」
「ん……あ、ああ。そう、だな……そうだったな……」
「だから、誰よりもわたしのことを優先しないといけないんです。そうでしょう?」
「そうだな……その通りだ」
天ヶ瀬は何もおかしなことを言っていない。
その通りだ。ならば、僕もまたその通りにしなければならないはずだった。
だから。
「―――――――――――――――――――――いやせんぱい寝取られたー!?」
などと妄言を吐いている灯火のことは、放置しておくべきだった。
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