釣りガールと異世界のマグロ

安川某

釣りガールと異世界のマグロ①

 歓喜。待ち望んだチャンスが巡ってきた。メディア関係者を含めて実に三十名を超える者たちが、この最新鋭遠洋漁業船、第一東進丸で旅を共にしている。


 この北極海で稀に見られる新種の魚を釣り上げ、それを食らう誘惑に魅せられ、わざわざ東の果ての国からこうして集まったのがこの場にいる者たちであった。いずれも母国では名の知れたアングラー(釣り師)。例えば腕組みをしたまま微動だにせず闇夜を見つめる大男、”鉄壁のヴァルトマン”。食った魚はパンより多い”血祭り右近”に、何かと色々早い”韋駄天ハインツ”。さらには魚の臭いに性的興奮を覚える”変態マーシー”あたりが有名どころ。だがその中でも一際目立つのは百九里流花(ももくりるか)だろう。


 ルカは小柄な身体をぴんと伸ばして、夜の大海を見つめている。


 船が停止すると同時に、アングラーたちがそれぞれのタックル(釣竿やリールをまとめていう)を振り上げ、渾身の力で遠投する。空を切る鋭い音ともに、それぞれの仕掛けが海面にダイブする。


「オーロラだ! 北極のオーロラだ!」


 誰かが言ったその声に、ルカは一瞬、顔を上げて空を見た。

 緑とも紫とも言える光のカーテン、もしくは何かの生き物が空を這っていった跡にも見える。

 綺麗、と思うにはあまりにも非日常的な光景で、むしろ凶兆のような不安がルカの胸を突く。

 

 空に気取られた瞬間、殴られたような衝撃がルカの上半身を襲った。

 ルカの目が捉えたのは、海面。三メートルもない目の先に広がる荒波がルカの鼻先をかすめる。”かかった獲物”がルカを海中に引きずり込もうとしていたのだ。


 獣が身悶えするような声を捻り出して、ルカは我に返った。と同時に、ぎりぎりのところで船のヘリに右足の裏を叩きつけ、踏みとどまる。踏みとどまれなかった。予想を超えた暴力に身体ごと船のヘリに叩きつけられる。四十数キロにしか満たないルカの体重を軽々と翻弄する巨大な何かが仕掛けに食らいついているのだ。


「マグロだ!マグロだぞ」


 周囲が叫ぶ。ルカが虚な目で見たその海面に巨大な何かが姿を現し跳ねた。現れたのは巨大なマグロ、それも白いマグロだった。


「シロマグロか!それもこんな北極海で……!」


 船長が驚嘆の声を上げたが、ルカにはあれがただのアルビノのクロマグロには見えなかった。


「綺麗な、青い目……」


そんなものが、いるはずがない。つまりーー。


「新種だ!」


 その場にいた者たちが歓声を上げる。しかし、


「おいこっちに来るぞ!」


 青い目のシロマグロは着水すると同時に、その巨体をくねらせると、この第一東進丸の横腹目掛けて猛然と突進してきた。

 そんな馬鹿な魚がいてたまるかこのばか。誰もがそう思った。


 その時、ルカの顔にまとわりつくように何かがあることに気づいた。それは緑と紫の光の波。オーロラのように見える。気づけば船全体が、その光に飲まれていた。


 そしてその光は輝きを増していき、やがて光の波を突き破るように青目のシロマグロが再び海面から姿を現したのと同時に、ルカの意識が飛んだ。


 つまりこれが、百九里流花が異世界に渡ったその日の出来事である。

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