第12話 不安

「ちと余にも見せてみよ」


 ふかふかのソファに深々と座るウルカが、透過する画面に対して、人差し指で軽く手招き。

 すると、画面はひるがえし、宙を走り、ウルカの顔の前で停止する。


「ほう、これはなかなか……。

 ――あっ……あぁ、そうか、お主らは知らんのじゃったな……。

 まぁ、そうじゃな、説明すると――」


 通常値は、測定時に検出されたヴィ―テの平均を取った値。

 最高値 (推定)及び最低値 (推定)は、測定時の数値の変動を基に、蓄積されたデータと数値計算の併用により割り出した値。


 ウルカは、左肩の紐がずれ落ちた状態に気付かぬまま、話を続けた。


「――通常値の一般的な平均はだいたい1000前後じゃな」

 

  ♢


「全体の数値を見る限り、お主の数値はセルゲイの奴を少しばかり超えとるのう。

 つまり、潜在的な能力に関して言えば、この国で五本の指に入るほどじゃ」

「おぉ! すごいじゃん!

 やっぱすごいなぁ、竜也は……」

「――何を呆けておる。お主も測らんか」

「えっ! ボク? いや、そんな、ボクは――」


 横から可憐は、鋭い視線が飛んでくるのを感じた。

 竜也が目で訴えてくる、そこで逃げようとするのがお前の悪い癖だと。


 確かに自分は変わった。

 でも、それでもまだ、根本にある自信のなさは、ぬぐいきれてない。

 ……こういう時に自覚しちゃうなぁ。


「――そうだね、じゃあやるよ」


 竜也がしたように、可憐は機器に手を置いた。


 ブンッ。

 ――ピー。


 機器から高い音が鳴る。

 表示された画面には、



【ヴィ―テ測定値】

 最高 (推定) : ――

  通常   : 1089

 最低 (推定) : 872



「あはは……なんかエラーになっちゃったね」


 動揺する自身の心を鎮めるため、とりあえずハーブティーを飲むことにした。


  ♢

 

「これは……」


 表示された結果には覚えがある、と、脳内で蘇る記憶を頼りにウルカが、


「おい、可憐よ、もう一度試してみよ」

「――うん」


 可憐は弱弱しい面持ちで、再び機器に手を置いた。

 だが、


「同じ、じゃな」


 最低値に多少の違いはあれど、ただの誤差。

 竜也に促されて何度も試す可憐を、ぼんやり眺めながら、

 ……あれはアルトの時じゃったか、二度目は表示されたんだがのう……。


「ふむ……よぅわからん。

 仕方のない、後で調べておこうかの」


 ウルカが意地の悪そうな笑みを竜也に向け、


「一人、神壽しんじゅ武装を試しとうてウズウズしとるだろうからの、話はこれぐらいでしまいじゃ」

「クク、我が仁愛なる瑞花ずいかを以って終焉となろう。

(訳:色々とありがとね)」


「いや、それはこちらの台詞じゃよ……。

 ――余らはお主らに、おおよそお主らが想像出来ぬほどの危険が蔓延はびこるこの世界との関わりを、強要した。

 なのに何故なにゆえ、お前たちはつゆほどの不安も、不満もこぼさぬのじゃ?」


 ちと聞きとうなった、とウルカは、顔の筋肉を少しばかり強張らせた。


「えー? ボクは割と不満持ってるんだからね」


 なんたって、


「なんたって、ずっと前から、竜也ん家で勉強会という名のムフフを楽しみにしてんだから!」

 

 と、やわらかい、一幕のような芝居かかった口調で話す。


「ぐ、我が鼓動に混沌をもたらすか!

(訳:ハズイだろぉ。やめろってぇ)」


 かっかっか、とウルカの顔に笑顔が戻る。


「ムフフとやらが気になるが、して、お前さんはどうじゃ? 竜也」


 竜也はその顔を、ほんの僅か、誰にも気付かれないほどの一瞬の時だけ曇らせる。

 そして、


「ククク、我が叡智えいち英傑えいけつの前では、全てが無意味。ただ……。

(訳:不安も不満もありはしない。救いを求める者がいるなら、手を差し伸べるのみ。ただ……)」


 ただ、そこで言葉は終わる。


 そうか、とウルカは頷き、竜也に言葉を贈った。


「――竜也、周りを疑え……そして、己の信ずるものを信じろ、じゃ」


  ♢


 竜也たちのいなくなった、豪華で簡素な広い部屋。

 数少ない家具のうちの一つ、ロッキングチェアをベッドの横で揺らしながら、天井を虚ろに見つめるウルカ。


 椅子の軋む音のみが響く部屋に、ドアの開く音が加わる。


「あら~ん、やっぱりそこにいたのねん、ウルちゃんは」

「なんじゃ、ヴェロニカか」

「なんじゃ、じゃないわよ。もうお昼過ぎてるのよ」


 ヴェロニカは、普段と変わらないおっとりとした目と口調で、ウルカを叱る。

 反応の少ない様子を見て、「まぁ、いつもの事ね」と、諦めたように話題を、


「ウルちゃん寝間着のままよ、下着なんかはみ出しちゃって、きゃー! ウルちゃんのセクスィ!」


 テンション高めに変える。

 

「そ、早くそれをゆうのじゃ!」


 ウルカは、顔を赤く沸騰させ着替え始める。と同時に外から声が鳴り、再びドアが開いた。

 半裸姿の陛下と、それをうっとりとした表情で眺めるヴェロニカ、のように見える一枚絵がを目に映してしまった人影は、


「オ、オオ、オルロワと、へ、陛下の、あ、あれが、こここれで――」


 と、機械じみた、ぎこちない動きで後退していく。


「な、なにを想像しておるか!

 戻ってくるのじゃ、エカテリーナ!」

 

  ♢

 

「し、失礼致しました! 陛下!」

「フフ、リーナちゃんは、あれ何だと思ったの? 何してるとこだと思ったのかしら?

 フフ、いいのよ、言わなくて! わたし知ってるから!」 


 恥辱で唇をかむエカテリーナに、ヴェロニカは口元が緩む。


「フフフ。

 ところでウルちゃん、あの子たち、いつまで居られるのかしら?」

「――3日じゃな、これはもう彼奴あやつらには伝えておることじゃ」

「それにしても少ないわよねぇ、三日なんて。

 ウルちゃん非情よ〜」

「馬鹿か貴様は! 理由があるに決まっているだろう!

 ――ですよね? 陛下」

「うむ。

 3日後……恐らく余らの、いや、彼奴にとっての選択の時がくるだろう。

 お前たち、気を引き締めておるのじゃよ。

 ――そこからじゃ……。

 そこからこの、停滞しきったこの世界がようやっと、悠々と歩みを始めるじゃろうて」


 ウルカが苦笑を浮かべる。

 

「しかし非情、か……。ふ、確かにな……」


  ♢


 ……明日はもう実践、か。

 

 竜也は、月明かりの射しこむ薄暗い部屋の中で一人、窓から外を眺めていた。

 神壽武装、それ自体がアシストしてくれるおかげで、使い慣れるのにそう時間はかからなかった。

 

 ふと、昼頃にしたウルカとの会話を思い出す。

 

 言えなかった、ただ、その言葉の先を、


「――ただ、この世界の懐かしさだけが俺の内を満たす、か」


 ……ふ、馬鹿馬鹿しい。

 自分にとってこの世界は初めてだ。当たり前の事実。

 だが、それでもどこか、否定しきれない。

 ……それも全て、あの夢の所為だろうか……。

 毎夜見る不思議な夢。

 内容はほぼ、直ぐに忘れてしまうのだが、沸き起こる感情は妙に覚えている。

 ……もしかしたら………


いな! 無知蒙昧もうまい驟雨しゅううの如くなり!

(訳:いや、バカな考えなど捨てちまえ!)」


 ベットの方へと向かう。

 が、その行動は、ドアの外からの聞きなれた声で中断された。


「ねぇ、ちょっといい?」


 純白の、胸元が大胆に空いたワンピースの寝間着姿で、部屋へと入る可憐。


「今日のウルカちゃんの質問、ふふ、ボクの返答……可笑しいよね」

 

 その声は、寂しく震えている。

 

「だって……不安に、不安に決まってるじゃないか……」


 可憐の目には、涙が溜まっていた。


 知っていた。そんなこと、気付かないわけがない。

 気付いた時には彼女の顔を、体を、自分の方に引き寄せていた。

 

 薄暗い静寂の部屋。


 竜也の高鳴る心音が、部屋を包み込む。


「……あたたまる。

 ふふ、ありがと」


 可憐は囁き、竜也の胸に耳を軽く押し当てたまま、


「――キミは本当に、不安なんて、ないの?」

「ククク、闇夜に深き深淵たる我が魂に死角なし。

(訳:ああ、当たり前だろ)」

「ほんとキミって人は……。

 でもね――」


 竜也の胸にそっと手を添える可憐。


「キミはそんな風に、自覚なしにね、痛むここを押さえ込んでしまっていることが、あるんだよ……」


 この時の、独り言のように呟いた可憐の言葉の意味を、竜也は理解できていなかった。


「ふふ、ねぇ、こんなにベッドが広いんだよ。

 今晩は一緒に寝ない?」


 ただ、可憐の、やけに積極的な雰囲気だけが竜也の脳裏に焼きついた。

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