第3話 日常

 竜也は家を後にした。可愛い妹に見送られて。


 学校までは歩いて数十分、遠くもないし、近くもない。

 竜也がその高校を選んだ理由は――単に一番近いから。


 学校まで一本道。この町で一番広い道だ。

 広いといっても、片側一車線の車道に人一人分の歩道が付いているだけの、小さな道路。

 それでも行き交う車や人は少なくない。

 竜也が住んでいるのはそんな場所だ。


 学生の量が最も増える時間帯。

 

 ……まぁ、遅刻はしないだろう……。 


 ある学生は脇目も振らず走りゆく。

 ある学生は呑気に音楽を聴いて歩いてる。

 ある学生は能天気に友達同士でおしゃべり中。


 竜也は呑気な学生のうち一人だった。


 制服で身を包み、一見すれば周りを歩く学生と恰好は同じ。

 しかし、少しばかり特殊で、およそ一般的だとは言えない点があった。

 それは、竜也の左手が、包帯でぐるぐる巻きになっていることだ。

 それも大けがを負ってしまったとか、そういう理由ではない。


 突として、竜也の背中に衝撃が走る。


「よっ!」


 気付けば一人の少女が竜也の隣を歩いていた。


 並びの整った白い歯を見せニッと笑っている。

 この少女の名前は雨霧あまぎり可憐かれん

 凛とした表情を張り付けた小さな顔は、短い髪がお似合いのボーイッシュな雰囲気をまとっていた。


 しかし、歩く度に小さく揺れる、高校生にしては豊かな胸が、制服越しでも周囲にその重量を主張していた。

 薄く肌の見える黒いストッキングが太ももに密着し覆うことで、制服のスカートから垣間見る境界線――絶対領域。

 それが余計に際立たせているのか、引き締まりつつも女性らしい柔らかな曲線を描くその足は、生足だとしても破壊力は計り知れないだろう。


「――我が背後を取るとは、何奴!」

「あなたの可愛い彼女さんだ!」

「――――」

「――――」

「……」

「な、い、や、やややっぱし今のなしぃぃい!」

 

 一瞬の沈黙、それを破ったのは可憐だった。

 ……ああああ! 勢いで言っちゃったよぉぉ……。 

 気恥ずかしさに可憐は顔を真っ赤に染める。

 

 そんな彼女の様子を、さも興味なさげに竜也は見ていた。

 まだまだ残る朝の倦怠感を、いつものように彼女の可愛らしさで吹き飛ばす。

 つい顔を緩めてしまう竜也に気づかず、可憐は重そうな胸を上下に動かし、


「スーーーーーー……ハーーーーーー。ンンッ! ふー」


 そして、精一杯に意地悪そうな笑みを浮かべて、竜也を見る。

 

「――竜也、まだその汚れ、落としてないの?」


 ……仕返しのつもりか?

 さっきのは完全に自爆じゃないか、と竜也は思ったが、おもむろに左手の包帯をほどき始める。

 

「これのこと?」

 

 現れたのは左手に刻まれた黒の奇怪な模様。


 手の甲の中心には十字架が刻まれていた。

 それに被らないように曲線や直線で描かれた幾何学的な模様は肘にまで及んでいる。

 といっても、全体的にその模様はにじんでいた。

 

 一見すると、可憐の言ったように絵具か何かの汚れだった。

 

 竜也は、可憐がうなずくのを見て、


「フ、カッコいいだろ? これは我が絶大なる力の封印の一端をになっている。

 ――と、言いたいとこなんだが……。どうしたって消えないもんだから不気味で仕方がなくてな。

 しかも日に日に濃くなってんだぜ。

 昨日も言っただろ?」


 ほんと困るわ、と呟き、包帯を腕に巻き直す。

 その様子は、言葉とは裏腹に楽しんでいた。


「冗談冗談っ。少しからかってみただけさ、ごめんって」


 そんな彼のことを分かっているのか、謝る姿勢は見せるも可憐もまた、楽しげな表情をしていた。

 そして竜也がニヤリと、


「我が漆黒の邪眼を、天女の煌めきを以って浄化せしめようとしたことに免じて――許そう。

(訳:ヤバい、テレ顔が尊すぎ。危うく死んでしまうところだったよ?)」


 可憐に燃料投下。

 なまじ竜也の厨二言語を理解できるだけに、可憐の顔がみるみる熱を帯びていく。


「〰〰〰〰ッ⁉ な、なななな――――な…………お、オホンッ……。

 ――と、ところで今日、竜也ん家に行く予定だったよね! 忘れてない?

 楽しみなんだからね!」


 竜也の自宅で勉強会を開くという約束を、可憐は1か月も前から取り付けていた。


「忘れるわけがないだろ。

 ――今宵、我は煉獄の炎と化す。

(訳:ドキドキしてきたぁ)」

「よかった!

 ここで待ち合わせね!」


 と、屈託のない笑顔をして、脱いだ靴を下駄箱にしまう。

 

 そういえば、と可憐はふと思い出す。

 ……思えばあの頃からかな、ボクが変われたのは……。


  ♢


 可憐が竜也と出逢ったのは、今から二年前。高校に入ったばかりだった。

 

 当時の可憐は、自分に自信を持てずにいた。

 そして内面は、外面にも影響を及ぼしてしまう。

 髪は伸ばして目を隠す。しかもその髪は、ボサボサに乱れていた。

 友人などいない。

 自ら作りもしない。

 

 いつも教室で一人、本を読む。

 それも、周囲の、何考えているのか分からない目に怯えながら、 

 ……こ、こわい……。

 可憐は知っている。

 教室で自分だけが浮いていることを。

 ありもしない噂を立てられていることを。


「貴様、我が軍勢、『血塗られた十字架エマギネス・クルス』に加わらないか?

(訳:友にならないか?)」


 ――唐突だった。

 へ? と可憐は心の中で呟く。


「何を腑抜けている? どうした?

(訳:言い方悪かったかな? どうしよ)」


 ……な、なにこの人⁈ 

 ……いきなり、い、意味の分からないことを――っ!


「くっくっく、我が力を以って貴様の呪縛を解かん!

(訳:どうしたら話してくれるんだろう?)」


 ……なんで、話しかけてくるの……。

 それでも、

 ……黙っていれば……。

 黙り込んでいれば、いつもいつかは皆飽きて去っていく。

 ――チャイムが鳴り響く。


「くっ……終焉来たりし時、対なるは開闢の時!

(訳:授業が始まるか、また来るね)」


 やっと去ってくれた、と内心呟き、だけど、

 ……あの人ももう、こんな事に時間を割いたりはしないだろう。

 なぜか心を曇らせる。


 だが、

 

「我が灼熱の業火に触れよ!

(訳:また、きたよー)」


 と、再び彼は話しかける。

 

 そんなことが、何度もあった。

 だから、可憐は思う。

 ……もうやめて。

 ……ボクなんかに――!

 だけど、

 日々話しかけられているなかで、心の内から芽生えた何か。

 日々話しかけられる度大きくなる、この心地がいい何か。

 

 わからない、確かめたい、いつも話しかけてあなたに、

 なんで? と、


「え、ど、なん――え?」


 ちゃんと言えなかった。他人と会話するのが久しぶりだったからか。

 それでも、


「ククク、我の内なる深淵と闘魂とうこん混淆こんこうにより生み出されし混沌なり!

(訳:やっと話してくれたぁ!)」


 と、目の前の男は仰々しく身体を動かし、

 

「貴様に眠るその抑えきれぬ力……今こそ解き放つ時!

(訳:そんな風に塞ぎ込んでたら勿体ないよ?)」


 と、変な構えで手を差し伸べてくれた人物こそ、竜也だった。

 

  ♢


 学校での一日が終わり、下駄箱から靴を出す可憐が、

 気になったんだけど、と隣にいる竜也に切り出した。


「結局あの時、どうしてボクに話しかけてくれたんだ?」

「――さぁな? もう忘れた」

「うっそだぁー」 


 普段と変わらない、家までの道。

 

 何気ない会話をして、

 何気ない風景を眺め、

 何気ない日常を送る。


 だが、竜也と可憐の足が同時に止まった。

 

 音がしない。匂いもしない。

 何より竜也と可憐以外の視界に映る何もかもが動いていなかった・・・・・・・・


「なにこれ! どうなってんの!」

「お、落ち着け! 手を!」


 竜也は真っ先に可憐の手を掴む。

 可憐は未知の恐怖に足がすくんでいた。

 そんな二人などお構いなしに、更なる異変が彼らを襲う。


 地面から眩い光が放ち始める。

 

 と、同時に彼らの視界に一つの影。

 それは悲愴な表情を浮かべ、一心不乱に向かってくる妃夏の姿だった。


「にぃに! だめえええ!」

「――妃夏!」


 妃夏の叫び声を置き去りに視界が歪んでいく。

 

 二人はただ、その光景を眺めることしか出来なかった。

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