185 ケリーと飛竜の朝
俺は他の者を起こさないようにケリーに静かに近づいていく。
「くしぃ~」
ジゼラが変わった寝息をあげている。
『おきない』
「ジゼラか?」
『そう』
ジゼラは、俺とピイが近づいても起きる気配は全くない。
それがピイにとっては意外だったのだろう。
ジゼラが鈍いと言うわけではない。
むしろジゼラの気配察知能力はずば抜けている。
拠点に魔熊もどきが近づけば、五百メトルぐらい離れていても気付くだろう。
たとえ眠っていてもだ。
だが、俺やケリーが近づいたからと言って即座に目を覚ましたりはしない。
「危険か危険じゃないか、ジゼラは本能的に判断しているんだよ」
『すごい』
「うん。すごいよ」
近いことは俺もできる。
フィオやシロが拠点に初めてやって来た時には目を覚ましたが、家の中で子魔狼たちが騒いでいても必ず起きるわけではないのだ。
恐らく、近くの気配の持ち主が、知っているか知らないかどうか、無意識に判断しているのだろう。
その精度は、冒険者の中でも優れている方だと思う。
だが、俺の気配察知には、ジゼラほどの精度はない。
「ジゼラは文字通り神に愛されし天才だからな。……おい、ケリー」
ピイと話ながら、ボアボアの尻尾をどけると、うつ伏せで寝ていたケリーの肩を叩く。
「ふが?」
ケリーは両手をついて体を起こす。
顔によだれのあとが付いていた。
「こんなところで寝るな、危ない」
「…………テオさんか」
「どうした? ケリーらしくもない」
一流の魔獣学者であるケリーは魔獣との距離の取り方も一流だ。
いつものケリーなら、危険性を無視してボアボアの尻尾の下で寝たりはしない。
たとえ、ボアボアの尻尾の下が暖かくて、モフモフで気持ちが良かったとしてもだ。
「酒、……酒のせいだな」
「そうか、ほどほどにしとけよ」
「……ああ」
昨夜、ケリーはジゼラや皆と一緒に楽しそうにお酒を飲んでいた。
俺たちが拠点に戻って、甜菜を水に浸け、眠りについたあとも飲み続けていたのだろう。
「昨日は、……そうか、そうだったな」
ケリーはお腹の下に転がっていたメモ帳を拾い上げる。
そのメモ帳には、細かい文字でびっしりと何かが書かれていた。
ケリーの研究ノートだろう。
書いている最中に、寝落ちしたのかもしれない。
「ボアボアの尻尾でも調べていたのか?」
「いや、調べていたのは肛門だ」
「……そうか」
きっと、学術的に大切なことなのだろう。
ケリーは二度寝することもなく立ち上がると、陸ザメの方へと歩いて行く。
そして真剣な表情で陸ザメたちを観察し始めた。
顔についたよだれのあとを拭うこともしない。
「ケリー、ベムベムを褒めたら両前腕をこうやって振っていたんだが……」
「ほう? それは陸ザメの感情表現かもしれないな。後で調べておこう。情報感謝だ」
「お役に立ててうれしいよ」
ケリーの仕事を邪魔するわけにもいかない。
それに、まだ起きる時間にも早い。
俺はピイと一緒に皆を起こさないように、そっとボアボアの家を出る。
飛竜が俺について外に出てくる。
「飛竜はいつもこのぐらいの時間に起きるのか?」
「ぐるる」
どうやら、朝ご飯の魔猪を捕まえるために、いつもこのぐらいの時間に起きるらしい。
「これから狩りなのか。手伝えることはあるか?」
「ぐぅる!」
一頭で大丈夫だと言っている。
魔猪の狩りは飛竜にとってはたやすいことらしい。
「そうか、何か手伝えることがあったらいつでも言ってくれ」
「ぐる」
「ところで、この辺りの動物と魔獣の数は、飛竜の目から見て多いのか?」
「がぅ~る……がるる」
「そうか。旧大陸よりは多めか」
「がる」
動物と魔獣の数が多いことは、悪いことではない。
充分な数の動物、魔獣がいるということは、それを支える植生も豊かと言うことだ。
動物と魔獣の肉だけでなく、植物も食料として期待できる。
俺たちも飢え死にしなくて済む可能性が高くなるというものだ。
「がるぅ~」
「ああ、気をつけてな」
魔猪を捕らえに行く飛竜を見送ると、俺とピイは拠点へと歩いて戻る。
「暖かくなってきたな」
『あつくなりそう!』
「そうだな。今日も天気が良さそうだ」
肌寒いのは夜明け直後だけらしい。
昼間も涼しく快適に過ごせるようになるのは、もう少し後だろう。
とはいえ、秋の到来に向けて準備を怠ってよい理由にはならない。
『あたたかいのはきもちいい』
日の光を浴びるためか、ピイは俺の頭の上に乗ると、まるでフードのような形状になる。
表面積を広げて、日の光を効率よく浴びようとしているのだろう。
「スライムも日の光が好きなのか?」
スライムは暗くてジメジメしたところが好きなイメージがある。
少なくとも旧大陸のスライムはそうだった。
『くらいのもすき。あったかいのもすき』
「そうか……ところでピイの臣下たちは元気か?」
『げんき! みんなしあわせ!』
「それならよかった」
スライムの王であるピイの臣下たちは、洗濯、お風呂場の清掃と浄化、下水の処理を担当してくれている。
洗濯とお風呂場担当スライムたちとは、毎日のように顔を合わせているが、下水担当スライムにはあまり会えていない。
下水担当スライムは一日中暗くてジメジメした場所にいるのだ。
もしかしたら、日の光を浴びたくなったりているかもしれない。
『だいじょうぶ!』
「そうなのか。一応見に行こう」
俺は拠点に戻る前に、下水槽の様子を見に行くことにした。
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