続いていく茶番

といろ

続いていく茶番

 今日はもうずっと、嫌いな声が聞こえている。


「今日は成人式だよ。おめでとう」

 冷える途中のぬるま湯みたいな温度感で家族に迎えられながら、起床した。早起きといえる時間に目を覚ましたのは久しぶりだ。適当に応えて身支度をする。

「うん、ありがとう」

 こういうときの声がどうにも苦手だ。白々しくて寒々しい。だけどそこに少しの熱があることは、客観的に知っていた。夏、栓を抜き忘れた浴槽はちょうどこんな質感をしている。

 着慣れないスーツに袖を通しながら、思い出すのは七年前。中学校の制服を着ていたあの日々のこと。懐かしい思いも、それなりにあるはずなのだけど、目の奥が少し痛むだけで思い出される映像はなかった。

 時計を確認して、姿見を確認して、思考が回り出す前にと家を出る。一応、まだ交流のある数少ない友人たちと連れ立って式に参加することになっていた。

「いってきます」


 とはいえこの寒空の下、三十分も前に待ち合わせ場所に着いてしまったのはどう考えても早すぎる。だけど変にあの場所に留まっていたら、式に出る気はなくなっていただろう。


 何も考えるな。


 明確な理由があるわけではないけれど、思考を止めることが正義のような気がしていた。朝目を覚ました時からずっと。

 お気に入りリストに登録している曲の中から、最近聞いていないものを選んで再生する。懐かしいという感想が頭を過って、慌てて別の曲に切り替えた。今は過去に目を向けないようにしたい。先々月くらいに流行った曲を探して、再度再生ボタンを押した。


「よ、久々じゃん。てか早くない?」

 肩を軽く叩かれたので振り返る。記憶とあまり変わらない友人がそこにいた。


「ひさしぶり。ちょっと楽しみで早く着いちゃってさ」

「あー、わかる。だって、会うの一年くらい? ぶりだもんな」

「うん」

 サアァと脳が冷えていく。きっと、寒いからだ。冬のせい。冬のせいだ。


「懐かしいな~、毎朝あのマンションの下で待ち合わせしてさ、学校通ってたよな」

 友人の声と耳鳴りが同じ距離で聞こえていた。音以上の情報が上手く取得できなくて、それでも、必死になって返事をする。

「そうだったなあ」


「そうそう! それでさあ……、あ! おいお前ら! 遅いぞ~!」

「わりーわりー、ってか久しぶりじゃん!」

 話の途中で待ち合わせをしていた残りの二人がやってきた。遅いぞなんて言いながら、会えた喜びを噛みしめる。ああ、確かに懐かしい。二人はやや照れくさそうに、だけどそれが当たり前みたいにこちらへ向かってきて、簡単な挨拶と最近の状況を話し始めた。


 その話は確かに面白くて。自分も質問を返して、された質問には答えて、それが夏休み明けの登校時みたいで、

「よし! 行こうぜ」


 話が途切れた一瞬を待って、先陣を切って歩き出した。



「みんなどうなってんだろうな。楽しみだなー」

「そういえば二組のあいつ、今日は子供もつれてくるらしいぜ」

「え、結婚相手もこの地域の人なの?」

「一コ下だったんじゃなかったっけか」

 背後で広げられている友人たちの話を聞きながら、記憶の中から名前を探す。探したところで、もしかすると初めから知らないのかもしれない。


 結局、会場につくまでにはっきりと思い出せたのは、話に出ていたうちの二人くらいが関の山だった。



 会場は思ったよりもだだっ広いだけの空間で、ショッピングモールで催されるヒーローショーのそれよりも幾分かチープなステージが置かれていた。聞き取れないアナウンスが何度も流れている。

「さっきのアナウンス、なんて言った?」

「え? なんか流れてた?」

 友人たちは会場の空気にすっかり溶け込んでいた。四人で来たものの、すでに散り散りになってしまっている。


 せっかくなので会場を少し見て回ることに決めた。

 色とりどりの振袖とバリエーション豊富なスーツをぼんやり眺めて、袴姿の集団からは反射的に目を逸らした。逸らした先には、袴姿に幟を背負った男と一升瓶を持った男が並んで立っている。すごいな、とだけ思って両目を閉じた。どこかでガラスか何かが割れる音が聞こえた気がする。さすがに、彼らの名前は思い出せた。

「それではもう間もなく、成人の日を祝して……」

 簡易のステージに、司会と市長が立っていた。アナウンスは途中から聞き取れなかったけれど、たぶん祝辞の披露か何かがあるのだろう。


 ステージ前に並べられた長椅子は三割くらいしか埋まっていない。後ろから四列目の右端に座ってみる。大音量のマイクとおしゃべり。中学校の教室みたいに、何も聞こえなかった。

 それでも前に立つ人からの怒号はなくて、それどころか注意も特になくて、ただハイテンションな司会進行と悪夢のような祝辞が行われている。教室で、自分の机の周りだけが突然陥没してしまったみたいなあの感覚が、こんなところでも味わえるなんて思わなかった。


 いや、嘘だ。なんとなく思っていた。


「新成人を代表して、わたくしの方から宣誓をいたします」

 思考を止めるのを忘れているうちに、見覚えのある人物が壇上に上がっていた。


 その背を見た途端に言いようのない吐き気が胃の奥から競り上がって、可能な限り目立たないようにそっと席を立つ。


 離れても離れても。その宣誓は不思議と、言葉として耳から脳に入り込んでくる。市長の祝辞への謝辞と、未来への抱負を意気揚々と語る声。


 見守ってくれた大人への感謝。育ててくれた両親への感謝。これまで何の過ちもしてこなかったかのように美しい軌跡を、後ろめたいことなど何もないかのような声音で語るのが聞こえる。不安と期待に胸を膨らませている、そんな言葉が聞こえる。現代社会を憂う台詞が聞こえる。変えていくという強い決意のスピーカーで拡散されたのが聞こえる。


 早くここから立ち去りたい。


 とっくに会場を出たのに聞こえる幻聴は止まない。嫌な汗が噴き出る感覚が終わらない。会場から一番近い公園へ何とかたどり着いて、その入り口のガードレールに背を預けた。さっき見た後ろ姿より、もう何年も前の制服姿が脳裏に焼き付いてこの喉をつぶそうとする。


 初めは何かの冗談かと思った。そうでなければおかしいじゃないか。どの口が社会を憂いて、どの口が社会貢献を謳うのか。



「おお、どうしたんだお前。新成人か? ひょっとして式はもう終わったのか?」

 通りがかった男性から声をかけられた。絞り出すように取り繕った声を出す。


「あ、ああ、まだやっていますよ。新成人の挨拶が始まったところです」

「おおそうか。いやあ、俺はそれを聞きに来たみたいなところもあるんだよ。急がないとな」


 それだけ言って去っていく元担任を見送って、友人たちに先に帰ると連絡を入れた。


「くそ、嫌いだ、嫌いだっ」

 今日は今朝からずっと、嫌いな声が聞こえている。それは体の外側からも内側からも、そしてこの唇からも、遠慮なく耳と脳を狙っている。


 そのまま公園のトイレに駆け込んで今朝の食事をぶちまけながら、消えない全部を呪う。他人から見ればこの吐瀉物も、式の二次会のそれと変わらないんだろう。

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続いていく茶番 といろ @toiromodoki

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