第12話 ヒーロー参上

 わけのわからない東風一家は泣きながら美雪に話しかけ、男に翻意を懇願する。

 崇範達は、表情を引き締めてそこを離れた。

「行けるか?」

 佐原が建物を見ながら言う。

「とっかかりはたくさんあって、むしろ楽ですよ」

「言うねえ」

「深海、マットもないんだぞ!?」

 慌てるのは新見コーチだが、

「ウチのエース、お前の愛弟子だろうが。信じろ」

と新見は笑った。

「むしろ、難関は門ですねえ。有刺鉄線と警察官の壁が……」

 崇範が屈伸しながら言うと、佐原が、

「任せろ。跳ばせてやる」

と笑った。

 門の前から外れた塀際で、佐原が腰を落として両手を膝で組む。

 崇範は走り出すと、その組んだ手の上に乗る。するとタイミングを合わせて佐原が崇範を飛ばした。

「うわっ!?何やってるんだ、そこ!」

 誰かが叫ぶ。

 高い塀と有刺鉄線を超え、前方宙がえりで着地すると、勢いのままに窓枠に飛びつき、テラスの手すりに乗って上へ上へと登って行く。

 不意に吹いた風にあおられそうになるが、どうにか持ちこたえ、6階に辿り着く。

 ベランダのガラス窓はすでに割れており、そこから飛び込むと、とにもかくにも、まずはタイマーに飛びついて引き抜いた。

「深海君!」

 美雪が笑顔で笑う。

 ここで、目を丸くして唖然としていた男がやっと復活した。

「どうやってここまで――いや、どうして邪魔をする!?」

「東風さんが助けを求めたから」

「お前、深海崇範だろう?お前だって、東風のせいで人生を狂わされたんじゃないのか!?父親も家も母親も、体操選手としての未来も諦めたんだろうが!」

 美雪の顔が曇った。

「それでも、東風さんのせいじゃない。父を殺したのはあの少年達だし、母は自分で死んだし、僕は今の生活を自分で選んだ。誰かのせいにはしたくないし、恨んだところで、いい事なんてないですよ」

 男は顔を真っ赤にし、次いで、真っ白にした。

「俺には、そういう生き方はできないな」

 抑揚のない声で言って、ポケットから折り畳みのナイフを出して構えた。

「深海君――!」

「邪魔するなら、お前も向こう側だ」

 言って、ナイフを横に薙ぎ払う。それを難なく避け、それを何度か繰り返すと、ゴミの集められた一角に突き当たる。後ろは壁、右はゴミ、左は壁。逃げ場はない。

「終わりだ」

 男は、ナイフを握り締めて突っ込んで来た。

 崇範はゴミの山から横目で見つけておいたパイプを掴んでナイフを握った両手首に打ち下ろし、ナイフを叩き落すと、回し蹴りで男を吹っ飛ばした。

 そして、いつもの決めポーズをしてしまう。

「あ。しまった。ついクセで」

 男は大の字になってフローリングの床の上に転んでいる。

 その隙に、そそくさと美雪の拘束を解く。

「深海君」

「防火扉を開けて玄関に向かって行って」

「深海君は?」

「この人が心配だから、もう少し残るよ。

 ご家族も心配して待ってるから」

「うん。ありがとう。じゃあ、あとでね」

 美雪は振り返りながら、部屋を出て行った。

 男が短い失神から目を覚ましたのは、そのすぐあとだ。

「う、ううん」

「あ、大丈夫ですか。そのまま。

 気分は悪くないですか?腕とか足とか動きますか?」

 そばにしゃがみ込んだ崇範に訊かれ、戸惑いながらも言われるがままにチェックをした男は、崇範が、

「良かった。頭を打ったし、首とかも心配だから」

と安堵すると、1拍置いて、噴き出した。

「俺の心配か」

「バイトでこういうのは慣れてるんですが、これ、蹴る方も蹴られて吹っ飛ぶ方も、素人がいきなり全力でやるものじゃないんです。危ないので」

「なぜだ」

「捻ったり頭を打つとか――」

「どうして俺の心配なんかする。一応、お前の彼女を殺しそうになってたんだぞ」

 崇範は困ったように首を傾けた。

「元、ですかね」

「別れたのか?」

「まあ。東風さんが気にするし、僕も、母の自殺はこのせいかなと思って……」

 いつもの控えめな笑顔で俯く。

「俺が言うのもなんだが、親は親、子は子。割り切れよ。どうせ結婚したら独立するんだし」

 男は言って、

「本当に俺が言うのもなんだな」

と苦笑する。

「奥さんとお子さん、お気の毒でしたね」

 男は起き上がり、溜め息をついた。

「不思議だなあ。あいつらが死んで、1人になって、何もかもなくしてホームレス生活を始めて、楽しい事も心が動く事も、何にもなかった。いつも暗くて重い何かを被ったような気がしてた。

 何でだろうな。今は、スッキリした気分だ」

 晴れやかに男が言うのに、崇範はちょっと心配そうな顔になった。

「フラフラしませんか?眩暈とか」

「大丈夫だって。

 悪かったな」

 男は顔を歪めて笑った。

「いえ。東風さんに謝ってあげて下さい」

「ん。そうだな。そうしよう」

 男が袖で乱暴に目元を拭いた時、警官がなだれ込んで来た。







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