第9話 悪夢

 翌日、崇範はいつも通りに登校した。

 崇範を見て好奇心を顔に浮かべて囁き合う生徒もいれば、同情的な目を向けて来る生徒もいる。それでも、いつも通りにしている事が一番早く鎮静化できると、崇範は中学の時に知った。

 教室に入ると、教室内は不自然に静まり返り、皆は色々な表情を浮かべて崇範を見た。

 その中を、怯みそうな気持も、憤りも、すべてを柔らかな笑顔の仮面の下に押し隠して席まで進み、座る。

 また、会話が不自然に再開されていく。

 と、美雪が登校して来て、クラスメイトに挨拶をしながら急ぎ足で隣の席まで歩いて来る。

「お、おはよう。たっ」

「た?おはよう、東風さん」

 美雪は葛藤するように1人で悶絶していたが、赤い顔で上目遣いになって、

「うう……おはよう、深海君」

と挨拶し直した。

 目が合い、崇範まで赤くなる。

 それで、向かい合って俯く。

「何やってんの?最近行動が不審だけど、輪をかけて不審なんだけど」

 美雪の友人が2人を等分に眺めながら言った。

 と、堂上が来る。

「おはよう、東風さん」

「お、おはよう」

「深海も」

 そして、崇範が返事をする間も無く、続ける。

「なあ。慰謝料ってどのくらい?」

 教室の中が凍り付いた。

「命を代えた金で生活するって、どういう気分?」

 美雪は血の気が引いて崇範を見たが、意外と崇範は平気だった。

「そういう質問はよくされたよ。

 まず、民事で訴えたのは、犯人は勿論事件の詳しい内容も少年事件では教えてもらえないから、知るためには民事裁判を起こすしか方法はなかったからだよ。

 それと、そうやって裁判で慰謝料の支払いを犯人側が負っても、多くの場合、そのまま払われることがないのが実情だ。僕の場合も、支払われてないよ。

 教えてくれたら、こんな手間をかけなくて済むのに」

 堂上は、追及が不発に終わったためか、不機嫌そうな顔をした。

「そうなのか。へえ。

 母親がレイプされたのは?3人に輪姦されたんだってな、気の毒に」

 今度こそ、教室内が水を打ったように静まり返った。

 崇範が何か言う前に、松原がフンと失笑した。

 それで皆はガヤガヤと各々会話に戻って行った。

 堂上も席に帰って行く。

 何事も淡々と受け流す。それでも、腹が立たないわけではない。血の気が引くような気分にならないわけでもない。がまんしているだけだ。

 そんな崇範の手を、美雪がそっと包んで、固く握り込んだ指を開いて行った。

「ケガするわよ。仕事にも差し支えるでしょ」

 崇範は、凍った血が、解凍されるような気がした。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 美雪の友人や周囲の生徒が、訊いてもいいのかと迷うように2人を見た。

 と、崇範の電話が着信を知らせた。

 どこからかと見ると、病院だ。崇範は急いで廊下に出て、電話に出た。

「はい、深海です」

『あ、深海崇範君ですか』

 病棟の看護師が、硬い声で確認する。

「はい。母に何か」

 心臓が、不安に跳ねる。

『深海彩菜さんが首を吊って亡くなりました』

 完全に血の気が引いた。


 葬儀は密葬にした。新見に連絡したら、新見と弟の新見コーチ、佐原だけで来た。

 通夜も葬儀も、手順は、父、祖母と送ったので、大体わかっている。市営の葬儀場の1番小さい部屋で通夜を行い、葬儀は明日なので、一旦家に帰る事にした。

 送ろうかと言われたが、近いからと、1人で帰る。

 アパートに入ろうと近付いたら、いきなりカメラのシャッター音がした。

「あなたは、週刊誌の」

 黒いダウンのコートを着たきつい感じの女性だ。さんざん付きまとった記者の1人だった。

「聞いたわ。ご愁傷様。

 とうとう1人ね」

「話す事はありません」

 鍵穴に鍵を差し込もうとするが、こんな時に限ってなかなか入らない。廊下の電灯が切れているので替えて欲しいと言っても、なかなか大家は替えてくれないのだ。

 記者はするりと近付いて、言葉を重ねる。

「バイトをしながら高校に通ってるのよね。アクションは身が軽いしお手の物かもしれないけど、将来は日本の体操界をけん引するだろうと期待されていた選手が、誰かのスタントとはね。悔しいでしょう」

「全スタントマンが激怒しますよ、そんな事を言ったら」

 やっと刺さった鍵を回し、薄いドアを開ける。

 中に滑り込んでドアを閉めようとしたら、そのドアを押さえて、彼女が言う。

「彼女ができたのね。それも、よりによって東風重工の社長の娘。君は本当に悲劇に縁があるのね」

 離せと言いかけていた崇範だったが、その言葉に手が止まった。

「東風さんが何か……?」

「知らなかったの?あなたのお父さんが社運をかけて出願しようとしていた特許を巧みに横取りして、倒産に追い込んだのは東風重工の社長よ」

「――!?」

「東風重工はそれで更に、大きく盤石になったわ」

 指先が冷たくなっていく。

「崇範?おい、何をしてる?」

 新見の声がして、崇範は佐原に部屋の中に押し込まれ、新見と新見コーチが、玄関先で記者を追い返す声がしていた。

「やっぱり心配になってな」

 新見と新見コーチも、部屋に入って来た。

「東風さんのお父さんが、父を倒産に追い込んだって……」

 3人は、視線を交わした。

「僕のせいだ。僕が東風さんの事を話したから、母は父の死んだことを思い出して――」

「落ち着け、崇範。な」

「深海、深呼吸だ」

 佐原と新見コーチに言われ、取り敢えず崇範は深呼吸した。

 いや、しようとしたが、空気が入って来ない。

「彼女が悪いんじゃない。ましてやお前が悪いんじゃない。巡り合わせが悪かっただけだ」

 新見がそう言うが、とても崇範にはそうは思えなかった。

「東風さんとは、付き合えない」

「深海」

「東風さんが悪い訳じゃないけど、だめだ……」

 3人は深く息を吐いた。

「取り敢えず、寝ろ」

 佐原に言われるがまま、崇範は目を閉じた。


 見るかと恐れていた悪夢は見なかったが、現実に悪夢が進出して来た。

 翌日発売の『週刊スクープ』には、『続く悲劇』と題して、崇範がスタントのアルバイトをしながら古くて狭いアパートで暮らし、高校に通っている事や、学校で怪文書が撒かれた事、事故を装って窓から突き落とされた事、そして、出来たばかりの彼女が東風重工の社長の娘、敵の子であったと書かれていた。

 葬儀場と隣接する火葬場で骨を拾い、外に出たところでマスコミに囲まれて、崇範はその事を知ったのだった。




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