第5話 誤算

 大河ドラマを見ていた美雪は、思わず立ち上がって画面にくぎ付けになった。

「み、美雪?どうした?」

 家族が、何事かと美雪を見て訊くが、その声も入って来ない。

 忍者が、疾走する馬の背から塀に飛び移り、灯篭にチョンと跳んで前方宙がえりをして着地した。それから庭の向こうの屋敷に走り寄って屋根にするすると上り、軽々と走ったかと思うと、隣の母屋の屋根に音も立てずに飛び移る。

 屋根の上で辺りを見回すのは、その忍者役の若い人気俳優のバストショットだ。

「好きだったっけ?この俳優」

 兄が言うのに、美雪は即、答えた。

「違うわ!」

「そ、そう」

「さっきまでの動きは、宇宙刑事アスクルーの女刑事サクヤ!」

 それで、両親と兄は顔を見合わせた。最近美雪がその子供向け特撮ヒーロー番組にはまっているらしいのは知っていたし、最近は特撮ヒーロー番組がお母様方に人気なのも知っていたが、予想以上のはまりっぷりだ。

「好きなのか?」

「ええ!?」

 美雪は我に返ると、真っ赤な顔を兄に向けた。

「気になるだけよ。たぶん」

 家族も、まさか美雪が隣の席の生徒を美雪が脳裏に思い浮かべているとは思わなかった。

「かっこいいけどな、確かに」

 家族は温かく笑いながら美雪を見、美雪は咳払いをしながらソファに座り直した。

「そ、そうなのよ。優しいし、控えめで目立たないけど凄いの!」

 少しおかしいな、と兄は思ったが、取り敢えずは同意しておいた。

 美雪は、

(深海君が褒められた)

と嬉しくなって、会話がずれている事についぞ気付かなかったのだった。


 放送翌日、崇範は美雪にまじまじと見られ、休み時間は後をつけられ、気が休まらなかった。

(とうとうバレたのか?何で?あれからあの格好で会ってないけど)

 そして、美雪がそういう行動を取るので美雪の友人達もそれに付随し、それが目立つので、崇範まで目立ってしまっていた。

 面白くないのは、堂上だ。

 美雪に話しかけようとしても、美雪の注意は崇範に向いている。崇範が動けば美雪もついて行く。本人はさりげないつもりだったが、丸わかりだった。

 それでも、放課後にあるサッカーの練習試合については知らせ、応援に来てくれと頼んだ。

(サッカーの試合なら、間違いなくいいところを見せられる。運動神経は、俺がいいに決まってる)

 そう自信を持っているが、崇範を、バレていないと思って注視している美雪を見ていると、崇範が邪魔で邪魔で仕方が無い。

 崇範が帰れば、美雪も試合を見ずに帰ってしまうのではないかとさえ思う。

「いい気になるなよ。その他大勢が」

「え?」

 思わず出た呟きに自分は気付かなかったが、一緒にいた、取り巻きの生徒には聞こえた。

 崇範がクラスメイトと、窓から身を乗り出して窓ふきをしていた。そこに近付くと、スッと足を払った。

「!?」

 バランスを崩し、窓の外に上体が泳ぐ。浮いた足をひっかけようとするが、それも堂上が手で払いのける。

 落ちて行く崇範に気付いたクラスメイトが悲鳴を上げ、それで堂上は内心で嗤った。ここで自分がさっと手を出して助ければ、自分の株が上がる。そう計算しての事だ。

 悠々と手を出そうとした堂上だったが、計算違いに青ざめた。

 崇範の手は遠く、掴めない。

 校舎の1階は職員室や保健室、2階は3年生、3階は2年生、そして、1年生は4階だ。落ちれば死ぬかも知れない。

(まずい!)


 崇範も、奇しくも堂上と同じく

(まずい)

と思っていた。

 景色が回って鈍色の空が見えた。体はどこもひっかかる所がなく、ふわりと投げ出される。

 落ちたら死ぬ。そんな時なのに、崇範は懐かしく思った。

(ああ。これは、まるで競技だな)

 鉄棒を離して放り出された後、重力から解き放たれた様に体が浮き、視界がゆっくりと回るように感じられた。体操でさんざん慣れた、お馴染みの景色に似ている。

 背後に倒れ込んでいくようにすると、足が窓の枠に当たり、

(あ、そんな場合じゃなかった)

と思い出した。

 そのまま壁を蹴り、体を捻って、校舎とグラウンドの間に植えられた木の枝を掴む。しかし体の揺れが大きいので、フワッと枝を鉄棒のようにして体をそのまま振って手を離し、体の向きを変えて掴み直す。

 それで、勢いはかなり収まった。

 あとは、別の枝に移って行って降りるだけだ。

 降り立った時、流石に冷や汗が出た。

「大丈夫か!?」

 上からクラスメイトが叫ぶので顔を上げると、他の窓からもたくさんの顔が目を見開いて見ていた。

「ああっと、大丈夫」

 慌てて教師が職員室から飛び出して来た。


 クラスメイト達が興奮して何か言っている。堂上は震えを隠して立つのに精いっぱいで、何も言えなかった。

(誰も見てなかったよな?)

 大切なのは、そこだけだ。

 喜び、興奮し、泣くクラスメイトを見回し、堂上は罪が暴かれる事はないらしいとわかってホッとした。

 しかし、堂上の隣にいた取り巻きの生徒は、しっかりと見ていた。堂上が、足を払うのを。

(殺人未遂か?)

 窺うように堂上を見る。

 堂上はいつも通りの笑顔を浮かべ、

「助かって良かったよな」

と言っていた。

 彼は、堂上が怖くなった……。


 美雪は体の力が抜けたようになった。

 助かったと騒ぐ皆の声に、涙が出て来る。

「よ、良かったぁ」

「それにしても、凄いね、深海」

「驚いたわ!深海って忍者の末裔!?」

 それで、脳内に今の動きを再生してみた。

「忍者だわ!」

 大河ドラマの、あの忍者に間違いない。今や美雪は、異常1歩手前のサクヤのスーツアクターおたく、崇範のストーカーである。確信があった。

「やっぱり美雪もそう思う?凄いよね!」

「深海凄え!」

「カッコいいな!」

 女子のみならず、男子も騒いでいる。

 そして、崇範は目立たないようにという望みに反して、学校一、目立ってしまったのだった。




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