第9話 幸せの味1

「いただきます!」


 我が家の朝食になぜか夏野が参加し、ガツガツご飯を食べている。

 朝は白米派らしく、梅干しと佃煮で遠慮なくかき込んでいく。

 別にいいんだけど他人の家で飯を食うなら少しばかり遠慮した方がいいんじゃない?

 いや、別にいいんだけどね。

 とか言いつつ俺は白い目で夏野を見てやる。

 なんて小さい人間なんだ、俺は。


 俺の視線に気づいた夏野は、米を食べる手を止め俯き出した。

 どうやら俺の意図が伝わったようだ。

 そうだよ。他人の家では遠慮をしよう。


「あの……そんなに見つめられると……食欲旺盛な女性が好きでしたか?」

「違うわ! お前に見惚れてたんじゃない。呆れてたんだよ!」


 意図は全く伝わって無かった。

 1ミリも1マイクロも。


「ねえお兄ちゃん」

「なんだ妹」

「この大飯喰らいは何?」

「知らないのか。こういうのは無遠慮と言うんだぞ」

「ちょっと先輩! せめて可愛い後輩と紹介をして下さい」

「可愛くないわ! 朝から勝手に家に来て、ガツガツ飯食う後輩なんて可愛くないわ!」

「……可愛くないですか」

「あ、いや、容姿は可愛いけどさ」

「え?」


 冬白川のギロリと刺すような視線が痛い。

 すみませんでした。はい。


「ねえねえ勇児」

「なんだよ」

「別に他の女の子と遊ぶのは構わないんだけどさぁ」

「うん」

「二股かけたらちょん切るからな」

「だから何を!?」


 また母親は冷たい声で俺にそう告げる。

 心配しなくても、同時に女と付き合う甲斐性なんてないよ。


 俺はため息をつきながら立ち上がり、母親と桜、冬白川の分の皿を集めて洗い場に行こうとした。


「先輩」

「なんだよ」


 夏野は俺を呼び止め、ずいっと茶碗を突き出し、


「おかわり」

「いいかげんにしろ」


 学校へ行く準備が整い、冬白川に弁当を持たせる。


「じゃあ、気をつけてな」

「うん……」


 冬白川は、心配そうに俺と夏野を交互に見ている。


「心配するな。お前が危惧するようなことは起きない」

「そうです、心配しないで下さい。私が先輩と結婚しますので、冬白川先輩は実家にお帰り下さい」

「だからそういうことは起きないって言ってんだよ。それよか早く行ってくれないと俺も登校できないから」

「あ、うん……じゃあ行ってきます」

「琴ちゃん、いってらっしゃーい」

「いってらっしゃい」


 冬白川は最後までこちらをチラチラ見ながら玄関を後にした。

 そんなに俺って信用ないか?

 ……と言ってもまだ二日、三日ぐらいの付き合いだし分かんないか。

 これから紳士なところを見せて、信頼を得ないとな。

 とか言って、俺の悪い所がどんどんバレて、信頼得る前に愛想つかされたりして。

 ……そうならないように気をつけよう。


「なんで冬白川先輩と一緒に登校しないんですか?」


 夏野は率直に疑問をぶつけてきた。

 そりゃそうだ。

 普通はそう思うよな。


「あいつは学校で有名過ぎるぐらい有名だろ? 彼氏ができたなんて話になったら、何が起こるか分からない。俺だって下手したら殺されそうだしな」

「なるほど……その点、私とお付き合いしてもそんな問題になりませんよ! ただただ可愛い彼女ができるだけです!」

「可愛いとか、自分で言うか?」


 可愛いけどさ。


「そういえば先輩って、格闘技をしていないのになんで強いんですか? 学校の七不思議の一つとして扱われている奇妙な話です」

「俺はそんな怪談話になるほど有名じゃない。親に仕込まれたんだよ」

「そうそう。おとうちゃんと一緒に色々教えたよねぇ~」

「ええっ!? ではお義母さんも強いんですか!?」


 母親は夏野の言葉にニヤリと口角を上げる。 


「私? 私は現役時代に紅き血風の二つ名で他のレディースを震え上がらせたもんだよ。私の通る道は――」

「もういい。親の黒歴史なんて聞きたくないから」

「黒歴史だなんてカッコ悪い。私のは紅歴史よっ」

「意味わかんねーわ。胸張って話す話でもないからな」

「いいえ! さすがは秋山先輩を仕込んだお義母さん! 私、痛く感動しています! ささ。話の続きを聞かせて下さい!」

「聞くな。人の親の黒歴史をほじくり回すんじゃない」

「あれは私が中学1年の時」

「お前もこれ以上乗るんじゃない!」


 疲れる。

 メチャクチャな人間が二人もいたら、ここまで疲れるものなのか。

 妹は相変わらず、我関せずと本を読んでいるし。

 お兄ちゃんもお前みたいな平静な心が欲しいものだよ。


 冬白川が家を出てから時間を少し開け、俺は夏野と学校へ向かった。


 揺られる電車の中で、修行だと言って空手の息吹をしだす夏野。

 こいつ恥とか無いのかよ。


 連れだと思われるのは嫌なので、少しばかり距離を取って他人のふりをした。


「どうしたんですか、先輩?」

「話しかけるな。お前は自分のやっていることに集中していろ」

「ちょっと、そんな態度取られると気になるじゃないですか! 一体何だって言うんです!?」


 俺の服の袖をぐいぐい引っ張りながら、夏野は大声で喚き散らす。

 頼むからそっとしといてくれ。

 同乗者の視線が痛いんだよっ。


 学校の最寄り駅に到着し、飛び降りるように電車を出て通学路を歩く。


「お前、いつもあんなことやってんのか?」

「はい。だって強くなりたいじゃないですか!」


 それは肉体的な意味ですか?

 精神的な意味ですか?

 精神なら十分強いと思うけど。

 だってあんな状況でも全く気にして無かったから。

 もう無敵じゃないでしょうか。


「一緒に道場を盛り上げていくために、今度から先輩もやりましょう! 私は先輩と、互いに高め合える関係になりたいんです!」

「盛り上げねぇよ! それに俺はそんな意味のわからん方向に自分を高めるつもりはない」

「じゃあ今日の帰りからさっそく始めましょう」

「ねえ、話聞いてる?」


 学校に到着し上履きに履き替え、ふと冬白川のことを思い出し、夏野に釘を刺しておくことにした。


「冬白川のこと、誰にも言うなよ」

「なぜですか?」

「隠したがってるんだから、黙っててやってくれ」

「……秘密の恋の手助けを私にしろとっ!?」

「正直俺はバレたところでどうなってもいいって思ってるんだけどさ……冬白川には快適に学校生活を満喫してほしいんだよ。急に手のひらを返してあいつに攻撃するような男なんかも出て来るかも知れないだろ?」

「そりゃ……無きにしも非ずと言ったところでしょうが」

「なっ。また飯ぐらいなら食わしてやるからさ。協力してくれよ」


 朝からバカみたいに遠慮なく食われるのは勘弁だが、冬白川の平穏のためなら致し方あるまい。

 こいつ食うことが好きそうだし、これで釣れると思う。


 夏野は黙ったまま俺を見つめ続けている。

 そして指を3本立てて、


「おかわり、3杯までお願いできますか?」

「わ、分かったよ」


 そんなに食うのかよ……


「毎日じゃない……よな?」

「何言ってるんですか。今日から死が二人を分かつまでです!」

「だから結婚しないよっ!? 飯を作る話してるだけなのに、重すぎるよお前!」


 俺は嘆息しながら教室へと向かい。


「じゃあ頼んだぞ」

「承知しましたっ!」


 教室につくと、やはり冬白川は大勢の人に取り囲まれていた。

 いつもの光景ではあるが、羨ましい限りだ。

 俺の周りには人なんて集まらないし。

 集まるどころか、寄り付くこともないし。


 なんだよこの差は。

 でも、こんなに差があるのに冬白川は俺の嫁なわけで。


 …………

 それに、昨日は冬白川を抱いて寝てたんだぞ。

 なんて幸せな時間をだったのだろう。

 うん、思い出すだけでニヤつきが止まらない。

 実際のところは寝てたから記憶ないけど。


 でも起きた瞬間の抱き心地は今でも腕の中にある。

 柔らかくて、いい匂いで……天使っ!!

 俺は天使を抱きしめていたのだっ。


「何だあいつ……クネクネして笑ってるぞ」「しっ。見るなって」


「…………」


 俺は顔を赤くしたまま黙って自席についた。

 そしてさっと顔を伏せる。


 やっちまった……

 全力で恥ずかしすぎる。

 ただでさえぼっちなのに、さらに気持ち悪がられたら……

 寂しい上に、辛い学校生活が待っているぞ。


 その後、放課後までできる限り顔を伏せたままで過ごした。

 みんなお願いだから、早いとこ今日の事は忘れてね。


「先輩ぃぃ!!」


 バンッと勢いよく扉を開いて夏野が現れた。

 また来たのかこいつ……

 だが、今日はなにやら目に大量の涙を浮かべていた。


「ずみまぜん……ぎょうばいっじょにがえれまぜん」

「そ、そうなのか……じゃあまた明日な……っておい!」


 夏野はこちらに飛び込んできで俺の脚に抱きついてきた。

 なんなんだよこいつ。


「今日は稽古があるので真っ直ぐ帰らなければなりません……でも、私の心は先輩と共にあります!」

「大袈裟なことを言うな! ただ普通に帰宅するだけだろ!」

「明日はまた昨日みたいに一緒に帰って、それから……朝から先輩の家でご飯を一緒に食べて学校に登校しましょう」


 ざわっと教室全体が騒がしくなる。

 あ、こいつまた勘違いさせてるな。

 今日はもうあんまり目立ちたくないってのに。


「話の間を省くんじゃない! 今の説明だけを聞いたら、家に泊まったって思われるだろうがっ! お前は昨日帰宅して、今朝家に来た。そうだろ? なっ?」

「だって先輩の家に冬白川先輩が――」

「あーあーああああーーーー! 何ぃー!? 聞こえないんだけどー!」


 こいつ約束忘れて、しれっと冬白川の話をしようとしやがった。

 わざとなの?

 それともすぐに約束忘れちゃう、鳥頭なの?


 俺は夏野の耳元で怒りを込めて囁いてやる。


「お前、話さないって約束だったろ?」

「あ! そうでした。忘れてました!」

「頼むぞ、まったく」


 ため息をつきながら俺は帰宅の準備をする。

 周囲はひそひそ話をしながらこちらを見ているが気にしない。

 なんだか一気に疲れたからどうでもよくなってきた。

 説明するのも面倒だ。


「では先輩そういうことですので私帰ります。先輩も約束を忘れないで下さいね」

「お前が言うな。俺は約束を忘れるようなことはしない」

「そうですか。良かったです。死が二人を分かつ――」

「そんな約束はしていない! 飯を食わしてやるってだけだろ! じゃあな」

「そうでしたっけ? ではまたおよばれに行かせてもらいます。失礼いたしますっ!」


 ビューンと風の速さで去って行く夏野。

 本当に疲れるな、あいつ。

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