イヴ
といろ
イヴ
古びた館へ入ると何百の、いや何千もの機械でつくられた瞳が私を捉えた。ここへ来る前に老婆に聞いた話によれば、館の主人は機械技師だったらしい。寒さのあまり暖をとれる借家はないかと尋ねたところにこの館を紹介されたわけだが、あのニヤケ顔は何か裏があるのではないかと疑わざるを得なかった。
館は広いし旅人一人が少し休むくらい何の問題もないそうだ。今後の話のネタにもなるだろう、なんて言われてしまえば、宿も資金もなく好奇心だけが人並み以上の私に館は行かないという選択肢はなかった。出迎えてくれた機械たちは多くが人を模した形をしていてそれぞれに与えられた役割を全うしている。
ある機械は私を見るなり近寄ってきて、鞄と外套を預かってくれた。そのまま私の半歩後ろを歩いてついてくる。また別の機械は、館のものと思しき地図を腹部の画面に写し出して問いかけるように私を見た。案内係なのだろうか。地図で大広間を指定すると、実に自然な動きで移動を始めたので、後を追った。
機械がたどりついた先は大広間で、やはり案内をしてくれたようだ。思わず礼を言うと深々とした会釈が返ってきた。よく出来ている。館の主人は機械技師として確かな腕を持っていたのだろう。当の本人はもう死んでしまっているとのことだった。それならば、他の機械たちはどうなっているのだろうか。
私はもう一度案内の機械に触れて、今度は収納庫と書かれた場所を指定した。再び動き出した機械に連れられて着いた先は、油と金属の匂いが充満する、広間と同じくらいの大きさの部屋。「ははあ、これはすごい」思わず声に出していた。部屋を埋め尽くす勢いで多種多様な機械たちが並んでいる。
片隅に置かれた水色の機械は、水槽で自由に生物を育てられる玩具らしい。こっちのは映写機のようだ。夢中になって物色していると、ピアノのような機体がカタンと音を立てた。まるで私に弾けとばかりに鍵盤を差し出している。譜面台の代わりにある画面には文字が浮かんでいる。見ると曲の指定があった。
ぽろん、鍵盤に触れると当然のように音が鳴る。年季が入った機械のわりに美しい音だった。たまたま知っていた指定曲を弾いてみる。完璧とは言わないまでも、なんの曲かはっきりとわかる程度には弾けたのではないだろうか。私がほどほどに満足して指を止めると、また画面に文字が浮かんでいた。
「素晴らしいです!聞き惚れました!」
唐突に褒められ驚いたものの、気分はいい。画面上で赤やら青やらの光で賛辞と祝福の言葉があったあと、「もっと上手く弾いてみたいと思いませんか?」と続いた。どうやらただ演奏するための機械ではなくて、上達を手助けするためのものだったようだ。
魂胆は見えたが、やはり悪い気はしないので機械の提案に乗ることにした。次も同じ曲が指定され、弾き始めると先ほどの誤りを上手く弾くための指遣いが鍵盤と画面に表示された。弾き終えると再び感想があり、さらに良くするための助言がもらえる。これは楽しい。私はさらにその機械での演奏を続けた。
同じ曲を弾き続けていると、脳裏に時折何かの映像が浮かぶようになった。これはなんだろう。夢?舞台はこの館の門によく似ている。ただ、幾分か新しいようだ。洋服を着た可愛らしい少女がこちらに向かって微笑んでいる。「あなたの産み出すお人形は素晴らしいわ!わたし見惚れてしまいそうよ」
「お人形?なんの話だ」私は尋ねた。しかし返事はなかった。私は機械を弾くのをやめた。すると少女は消えてしまった。不思議な体験をした。あの少女は何だったのか。いや、そもそもあの映像は何だったのか。もしや、と思い。機械にもう一度触れる。演奏をすれば、また見ることができるかもしれない。
選曲に少し迷って、画面上の楽譜を一つめくったページのものを選んだ。期待通りに映像が流れ込んでくる。先ほど見た少女が変わらない姿でくるくると回ってみせた。「ここまで長かったけれど……、ああ!ついにあなたの機械人形が認められたのね」こちらを見て言う少女は、幸せに浸っているようだった。
映写機のそれよりも鮮明な映像にのめり込んだ私はさらに演奏を続けた。そのうち、演奏する内容によって映写される場面が違うことに気がついた。春、夏、秋、冬……と季節が進んでいく。楽譜をめくればめくるほど場面が進んでいくらしい。そのどれもに、はじめの少女はいて、こちらに笑いかけている。
譜面通りに弾いたはずなのに、変な音が響いた気がした。それは一瞬のことで、私はまた映像に意識を戻す。「ねえ、大丈夫なの?」少女がこちらに向かって尋ねた。これまで見た笑顔と変わらない表情で、少し恐ろしくなる。「そんなこと、しなくても……。無理しないで。あなたの機械人形は素敵よ?」
次の譜面に映ると、少女はそれまでと違う服を着ていた。「まあ!新しい洋服をくれるの?嬉しい」少女は、それまで着ていた服よりもよっぽど高価に見えるドレスの裾を広げてご満悦だった。「それにしても……、突然プレゼントなんてどうしたの?」一瞬の間。そして少女は、嬉しそうに再び礼を言った。
譜面に不協和音が増えている。何かの意図があるようには思えない。映像には初めて見る男が映し出されていた。「君のつくる人形は素晴らしい。しかし、もっといいものを作りたくないかい?」どこかで聞いたことがあるようなセリフを吐いて、男は片側の口角を上げる。隅にいる少女は少しも動かなかった。
そして私は次の曲を弾く。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」少女がこちらを覗き込んで言う。見覚えのない機械が足元に散らばっている。「あの男が持っていってしまったあの子は、幸せに過ごせているのかしら。まさか乱暴されていたりなんて……」少女はやはり、微笑んだまま。なのに心配そうに言う。ドレスの裾を握り締めていた。
少女の表情とセリフが噛み合わないのがあまりに不穏で私は演奏する手を止めてしまった。しかし、どうやら遅かったらしい。演奏がなくとも映像は消えない。坂道で転がり出した車輪を止める術がないように、その物語は進んでいる。嫉妬の声がした。「たかが機械人形師風情が」声は大きくなっていく。
流れている曲が変わった。ぱちぱちと音がする。煙に包まれた館が見えたけれど、あの少女は見当たらない。ここへきて映像が乱れ出した。館の裏口から次々に機械が運び出されている。顔の右側と右下半身が融けた少女が機械を運んでいた。「ぁ、た、に……は、す……き、わ」と同じ言葉を繰り返している。
映像はそこで途切れて、代わりに焦げたような臭いが辺りを包んだ。かつ、かつと足音が近づいてくる。音を立てて扉が開いた。「貴様か?」入ってきたのは初めて見る人物だった。「イヴを燃やしたのは貴様だな?」知らない名前だった。それでも大体の想像はつく。話は通じないだろう。私は駆け出した。
命からがら走って逃げた。繰り返し呼んですすり泣く声が耳につく。館の外へ出ても走り続けた。臭いも熱さも疑う余地がなく本物だったからだ。声が聞こえなくなってからようやく振り返ると、館があったはずの場所には焼けた建物の残骸だけがあった。
後日もう一度あの場所に行くと、古びた館は元通りそこにあって、薄く門を開いていた。これは私の見立てだが、人形を焼かれたあの人形師は、恨みをぶつける対象を探し求めているのだろう。
足を踏み入れる気にはならなかったけれど。
―――――――――
Twitterで書いていた奇妙な物語です。
イヴ といろ @toiromodoki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます