「ああ、開演前に、無駄話を一つだけ」

文乃 雛

とんとん、と足音がする。

その者が舞台と思わしき場所に姿を現したとき、特に観客は何も言わなかった。

いや、雑談のような言葉が聞こえる程の観客が居なかったと言うのがこの場合正しいのだろう。

そんな少ない観客の前に現れたのは一人の男。

丸眼鏡に襟の高いシャツ、そして羽織を纏ったその者を見れば胡散臭いというのが第一印象な気がする。

噺家でも無いのに、偉そうに扇子を持って不敵に笑みを浮かべるその者は、全員の顔を見回してから席を一つ。

口を開けば薄っぺらい紙のような音を吐き出した。


「今晩は。私の、この、可笑しな朗読会にお越しいただき誠にありがとうございまする。皆々様の声援のおかげで私はこうしてこの舞台の上に立たせていただいております。……でもまぁ、こう言ってはなんですが。私は皆々様が存在するこの表舞台に立つには少し太りすぎている。柔らかく言うなら、ふくよか。鋭く言うなら、家畜のようで御座います。ですが、私目はこの体躯を気に入っていたりするのであります。何故ならば我が家の家訓が絡んできます。我が家ではよくこう言われておりました。

“ お前に与えるものは少ないが、飯だけは大量に与えてやろう。それが私にできるお前への最大の愛情表現だ ”

と、私は親の発したその言葉を聞いて泣きそうになったのを覚えております。いや、はっきりと申し上げれば私は彼らが言った食事以外にも沢山の愛をいただきました。綺麗な衣服を、清潔な寝床を、暇つぶしの玩具を、それはもう使いきれないほどにいただきました。こんなに幸せで良いのかと思う程頂いたのを今になっても噛み締めるほどであります。…そして、家訓である食事に関しても愛という変換をするならば多く注いでいただきました。毎日三食美味しいご飯をいただきました。また、母がこれまた優しく美味しそうなものがあったと言っては私に流行りの甘味などを食べさせてくれたものです………」


舞台上に佇む者は昔を思い出すように言葉を紡ぎ続けた。だが少しして、はっ、っとした顔を見せては其の者は声を区切ってから楽しそうに目を細めた。


「私の身の上話、または昔話などは興味は微塵も御座いませんでしょう。申し訳ない、今からは遠く昔の貴き文字を、この矮小なる朗読家もどきが、声に出して読ませていただきましょう。」

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「ああ、開演前に、無駄話を一つだけ」 文乃 雛 @atelier-yasyoku

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