僕が伝えたかったこと

@tsuboy

第1話

 じりじりと肌を焼くような日差しを、僕は覚えている。

「お寺巡りなんか、なんでするんやと思う?」

彼女の声が聞こえてくる。

「何でなんやろ?」

「暑くてしんどくて、そんな感じが奉公みたいな。」

「奉公?」

「孝行、違うか?」

触れたのであれば、音も無く崩れていく儚さを感じていた。

「京都で一番ええとこ知ってるけど、行きたい?」

「うん」と僕は答える。

「あんたやから教えるんやで」と彼女が、僕の目を見て笑った。

「何がええの?景色がええの?」

その声には、僕なりの思いが寄り添っている。

「そうやなあ、とにかくええ場所なん。」

夏の日を思い出す時、彼女はその風景に含まれている。そして、脳髄の奥、その深い辺りが決まって揺さぶられる。

 僕はすっかり諦めていたし、このまま暗い洞穴の中を進んでいくものと思っていた。それはそれで、悪いことでは無かったと思う。でも、彼女に出会えなかったかと思うと、とても寂しい。

「こっちやで」

そう言って、手を引く彼女の顔は薄く影がかかって思い出せない。その後の景色を、僕は正確には記憶していない。だけどイメージとしては、覚えている。白く焼けるように広がった光が目をさして、彼女に手を引かれるまま、思わず目を閉じて、その光をやり過ごす。

風が、むせるような暑さを吹くようにさらい、僕は、ゆっくりと目を開ける。木々が街を囲い、街の様子がお盆の上に綺麗に並べられたサイコロのように見えた。その景色は遠い山に吸い寄せられるように拡がっていて、呼吸が止まったような気持ちで、僕は見つめていた。

「どう?」と言う声を聞いて、その間ずっと、彼女が手を握ってくれていたことに気がついた。


ある種決定的にと思うものが曖昧さの上でころころと転がる景色は、どこかそこらにやっぱり転がっていて、そんな世界の中で何をいくつ見つけられるかというような、ずっと試されているような、ずっと失い続け、ずっと裏切られていたような・・・・・・自分と認めた問いかけにウンウンと頷いて、聞いたふりをしている。

 生きている中で、何らかの『音』がしたことに気が付いて、振り向く。以前気付かなかったことが、リプレイを見るように目の前に再現されたとして、僕らはどうすればいい?時間は手を差し伸べるように起きたことを現象として提示するけれども、僕らはそれに対して充分な考えを巡らせる暇など持ち合わせてもおらず、時折訪れるがつんと殴られたような衝撃で、それが鮮明に蘇るのだ。


 僕らは、ふと訪れた沈黙をどう破ればいいかを探っていた。

「よかったやろ?」

「よかった。」

今、思えば、その時に感じていた開放感は、旅の途中に感じていたものから来ていたのかも知れない。

魂は、時に糸を引くようにして、その生地に思いの跡を残す。君の手に触れるたびに、心が溶け出していくような。レモン・ドロップとふわふわの白い雲。

「私、今、彼氏おるんよ。」

「そうなんや、」

僕は、彼女が『塩分補給に』とくれた飴を口のなかでコロコロと転がしていた。

「どんな人なん?」

「年上の人。献血してて出会ったん。」

「献血してて、何したら出会いになるねんな?」

「別に、なんてことあらへん。その人が貧血起こして気持ち悪そうに寝てたから『大丈夫ですか?』って言うただけやわ。」

「そうか。」

本当に伝えたかったことは何だったのだろう?彼女の今の彼氏の話を聞いたとして、どんな人かわかったとして、僕は何をしたかったのだろう。

僕らは、明日の夜に食事をする約束をして、その日は別れた。彼女が大学のゼミの予定が入っているから、とのことだった。

「わかった。」

僕は、泊めてもらっている友人の家に戻ることにした。


ほんの何日だからと転がり込んだ友人のアパートは、ベッド以外の場所で寝る場所は無く、寝るときはテーブルを立てて横にどけなくてはいけなかった。それでも、さほど嫌な顔もせず「居たいだけ居ればええやん。」と迎え入れてくれた。

ベッドの上で、団扇を扇ぎながらあいつはテレビを見ていた。

「おかえり」

「ただいま」

冷房のついていない部屋には、むっとした熱気がこもっていた。

「冷房つけへんの?」

「つけよか?」

そう言って、あいつは窓を閉めてクーラーのスイッチを入れた。

「入れよ思うたら、いつでも入れれんねん。」

「なんで我慢してたん?」

「別に、我慢言うほどのことやあらへん。」

あいつは、立ち上がって台所に行く。

「なんかな、時々無性に腹が立つんよ。暑かったらクーラー入れる。雨降ったら傘さす。なんかな、そう言う当たり前のこと、そのものが苛立つねん。」

あいつは、冷蔵庫から麦茶の瓶を取り出してコップに注いだ。

「暑うてもクーラー入れんかって、ええやん。」

「死ぬで、熱中症で」

「出たわ、それやって。熱中症って何やねん?」

「何やねん言われてもなぁ」

あいつは、コップの麦茶を飲んでから別のコップにお茶を注いで、僕にくれた。

「何でもかんでも、熱中症や。それ何や?熱射病のことか?」

「まあ、似たようなもんかなぁ。」

「俺、思うんやけどな。なんか、俺ら騙されとんのちゃうか?」

そう言ってあいつは、台所で何かを作り始めた。

「よう知らんけど、テレビでも何でも言うことあるけどさ、そもそも熱中症で亡くなっとんのは、高齢者ちゃうの?何かここ何年で熱中症、熱中症言うてるけど、熱射病で死んどる人は昔っからおったんちゃうの?なんかよう判らんけどよ。なんか騙されとんのとちゃうか?」

冷蔵庫からネギを取り出して、まな板の上でトントンと刻んでいる。

「そりゃな、気を付けなあかんのは、ようわかるで。確かに暑さがハンパないのは、わかる。暑いやろ?」

「そやなあ、暑いなあ。」

あいつは、カチッとコンロの火を灯す。

「そんなん、よう解ってるわ。俺かてアホとちゃうからな。」

換気扇を回す音が、ぶうううんとアパートに響く。

「『温暖化』ってやつとちゃいますか?って・・・・・・俺って、アホですか?」

あいつが、台所から居間の方に歩いてきて、こう聞いた。

「なあ、正直に言ってくれ。俺の言ってること、おかしいか?」

僕は、正直に言った。

「いや、おかしくは無いで。言いたいことも何か、わかる。」

コップの麦茶を

「俺な、時々気が狂ってんのかなって思うことあんねん。」

飲まんといかんな。

「お前さ、鍋に火を入れてんのとちゃうの?」

あいつは、台所に帰って行く。

「自分の脳みそがどっかの実験室のビーカーみたいな試験管に入れられてるような、なんかそれを客観的に感じてる自分っていうか」

ジャッジャッ、ジャッと強火で炒める音が聞こえる。

「だからな、暑いときは暑いでええやん。寒いときは寒うていい。氷河期でも温暖化でも何でもなったらええねん。」

オタマでフライパンを掻き回す音。

僕は、スリープさせておいたPCを開いてジブリの曲の動画を流した。

「でもよ。俺は暑いときは暑いって感じてたいし、寒いときは寒いって感じてたい。冷房なんか掛けるから、暑いんか寒いんかもわからんようになる。」

あいつは、皿に盛ったチャーハンを2つテーブルに置いた。

「そう思わんか?」

「ジブリええやろ?」

「聞いてた?」

「聞いてた。」

僕は、冷蔵庫を開けてビールを2缶取り出した。

「とりあえず、飲もか」


 頭のタガが外れるような感覚が、正しいものであるような気がしていた。それは、飛行機が上空に吸い上げられる時のように、キーンと頭の中で何かが共鳴している感覚にも似ている。

そんな感覚は、競うように空にしたビールの空き缶がゴミ袋の中でガラガラと音を上げ、笑いながら空にした缶を放り込む瞬間に訪れるような気がして、もう一本とタブを開けた。

もっとも、酒なんて必要でも無かった。もう一歩無理をすれば、もう一歩深く降りていけば・・・・・・カチリとどこかで音がして、頭のタガが外れるような気がしていた。そうすれば、目の前のカーテンがはらりと落ちて、正しい世界を感じられるような気がしていた。


僕は、あいつの部屋の床に寝そべって、暗くなった天井を見つめていた。アルコールにふやけた世界は、ぐらぐらと視界を歪めて天井の線を幾つも湾曲して見せていたけれど、その分冷めている自分の内の何かを感じていた。ゆらゆらと揺れる天井の、動かない点を探して、そこに自分を重ねる願いにも似た気持ちを抱いていた。そして目を閉じて、友人に、今日一日に、感謝をした。明日、何が起こるのかと思いを馳せた。

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