薬莢(4)

 目を覚ましたマーノーシュが最初に見た物は、これまでに見たことがないほど眩しく輝く大きなシャンデリアだった。マーノーシュは、自分がベッドの上で寝ていることが分かり、体を起こそうとするが、左手が激しく痛み、うまく体を起こせない。左手を見ると、火傷のような跡ができている。

 「起きた?」

 聞いたことのない声と、聞き慣れないアクセントだが、マーノーシュが理解できる言葉だった。マーノーシュが声の聞こえた方向に顔を向けると、見知らぬ女の子がコップを持って近付いてくる。部屋の中は広く、マーノーシュが寝ているベッドも含めて、ベッドが三台置かれているが、その三台よりも広い面積がフリースペースになっている。見知らぬ女の子は、そのフリースペースを歩いて近付いてくる。

 「誰?」マーノーシュが訊いた。

 「私の名前は、イルハアム」

 「ここはどこ?」

 「セガワの家」

 マーノーシュは、セガワの家で起きたことが夢であれば良いと願っていたが、イルハアムの言葉で現実を突き付けられる。

 「もう一人、女の子は?」

 「あなたは誰?」

 「あたしはマーノーシュ」

 イルハアムが話す言葉は、マーノーシュの言葉と違う部分もあったが、意思疎通は概ね可能だった。マーノーシュを部屋に運んできたのが瀬川であること、マーノーシュ以外の女の子を見ていないこと、マーノーシュが部屋に来てから一時間ほど経っていることなどが、イルハアムとの会話で分かった。

 「部屋から出たい」マーノーシュが言った。

 「出れない」イルハアムが答える。

 マーノーシュはベッドから起き上がる。酷い倦怠感を感じながら、部屋の出口に向かう。出口のドアはロックされており、玄関ドアと同じように、マーノーシュが見たことのない機械が付いている。

 突然、ドアが解錠される音が聞こえた。マーノーシュは慌ててドアから離れて身を隠すが、イルハアムは逆にドアへ近付いた。

 少し開いたドアから、少女が部屋に入ってくる。少女は目の前のイルハアムに気付いて、僅かに微笑む。開いているドアの隙間から瀬川の笑顔が一瞬見えたが、すぐにドアは閉められた。マーノーシュが少女に声をかけながら近付く。少女は驚いた顔で口を動かしたが、声にならない。涙を一筋流すと、少女は蹲った。少女の目の前にいたイルハアムは、屈んで少女の肩に手を伸ばす。

 「セガワ怒らせなければ、セガワは怖くない」蹲っている少女を抱きしめながら、イルハアムが言った。「美味しい物がいっぱい食べられる。綺麗な服が着られる。水汲みをしなくていい。薪も拾わなくていい。山羊の餌やりもない。ゆっくり暮らせる。だから泣かないで。三人なら楽しく暮らせる」

 「それじゃあ、山羊と一緒だ」マーノーシュが静かに言った。

 「山羊で構わない。私たち売られたから」イルハアムがマーノーシュを見上げながら言った。

 「そいつは売られてない。あたしたちとは違う」

 「売られてない? どういうこと?」

 「そいつと少し話せば分かる。ここに来たのは何かの間違いだ」

 「ありがとう、もう大丈夫」少女が鼻をすすりながら顔を上げて言った。「ちょっと、びっくりしただけ。もう平気。この子の言うとおり、セガワを怒らせなければ、すぐに終わったから。私よりも、あなたのほうが心配」少女がマーノーシュを見上げた。

 「あたしは大丈夫」少女の顔を見ながら答えたマーノーシュの目から涙が溢れる。「……ごめん……逃げられなかった……」


 瀬川の家での生活は豪勢だった。食事は三食必ず用意される。食事のメニューは毎食変わる。食事の用意や後片付けをする必要はない。起床後と入浴後に着替えるが、同じ服を二度着ることはない。掃除や洗濯などの家事をしなくても良い。但し、瀬川がいなければ、部屋の移動をすることはできない。瀬川の家から外出することは一切無い。

 数ヶ月前から瀬川の家に監禁されているイルハアムは、瀬川の家での暮らしを既に受け入れているようだった。決まった苦痛と制約をうまく処理できれば、幸せに暮らせるとイルハアムは話す。さらに、同年代の少女とマーノーシュが来たことで、三人で楽しく暮らせるのではないかと話した。瀬川の家に来たばかりのマーノーシュは、そんなイルハアムの考えを否定していたが、瀬川の家での豪勢な生活に浸かることで、イルハアムの考えを理解できるようになった。

 「あたしは大丈夫。この生活でも。向こうよりも格段にいい生活になった。でも、やっぱりあんたは違うんだよ」マーノーシュが少女を見ながら言った。「こんなところに居ちゃいけない。あたしたちとは違う。あんただけは何とかしてここから逃げなきゃ駄目だ」

 「いいの。私もここで暮らす」少女が強い口調で言った。

 「私も同じこと思ってる」イルハアムがマーノーシュの意見に賛同した。「どうやって逃がす?」

 「セガワを殺すしかないだろ」マーノーシュが平然と答える。

 マーノーシュの迷いの無い回答を聞いた少女は、間髪を容れずに「お願い、やめて」と言って、マーノーシュを睨み付ける。

 少女は、マーノーシュが瀬川を殺すと言い始めることを予想していた。イルハアムは気付いていないが、瀬川の家にあるドアは全て瀬川の手と目が無ければ開かないことを、マーノーシュは勘付いている。瀬川の手と目が無ければドアを開けることができないのであれば、瀬川を殺して手と目を切り取るしかない。マーノーシュの思考がそのように流れることを、少女は予想していた。

 「私、少しずつニホンの言葉が分かってきたから、たぶん、近いうちに瀬川と会話できると思う。お願い、それまで待って」少女が言った。

 「ニホンの言葉が、分かってきた……?」マーノーシュが驚く。「どうやって?」

 「瀬川の言葉を聞いてるうちに、なんとなく……」少女が答える。

 「セガワの言葉って、いつ聞いてんだよ」マーノーシュが質問すると、少女は押し黙って俯いた。「……悪い」

 瀬川の家のドアを開けるためには、瀬川の手と目が必要であることに早い段階で気付いていた少女は、マーノーシュが瀬川の殺害を提案してくる前に、監禁状態を解消したいと考えていた。少女の結論は、瀬川の説得もしくは瀬川との取引だった。瀬川の説得にしろ、瀬川との取引にしろ、日本語を話せることが最低条件であるため、少女は積極的に瀬川とコミュニケーションをとり、少女たち三人の解放の下準備を進めていた。

 少女は既に、瀬川の家にある物の名称であれば、すべて発音できるようになっていた。瀬川が話す言葉の半分は理解できる。最近では、文字の読み書きを瀬川から教わっていた。瀬川の家を出たあと、必要になると感じていたからだ。

 少女は、マーノーシュとイルハアムに対して、瀬川の家を出たあとの展望を伝える。少女たち三人が最終的に故郷へ戻るため、少女が日本語を習得するまでは、三人で瀬川の家での生活を続けることが最善であることを、少女は説明した。イルハアムは直ぐに納得したが、マーノーシュは難色を示す。

 「セガワを甘く見てないか? あいつは優しくない」マーノーシュが言った。

 「優しくなかったとしても、殺すのはいけない」少女が答える。

 「優しくないっていうのは、なんていうか、もっと怖い意味だ。今、セガワを殺さなきゃ、あたしたちが殺される。それくらいの怖い意味だ」

 少女は、マーノーシュの警告を切実に理解していた。スタンガンを容赦なくマーノーシュに押し付けた無表情の瀬川。スタンガンの放電を少女に見せつけながら笑う瀬川。瀬川の本質は、他人を簡単に傷付けることができる。少女たちが長期的に瀬川の家に監禁されることで、瀬川が少女たちの誰かを傷付ける確率が高まってしまう。だからこそ少女は一刻も早く、平和的に、監禁状態を解消するために行動していた。

 「……うん。分かってる」少女が答える。「でも、お願い、あと一ヶ月だけ私を信じてほしい。今のまま外に出ても、悪いことしか起きない気がするの」

 少女の言葉を聞いて、マーノーシュが少女を見つめる。

 「あんたの考えを疑ったことなんてないよ」マーノーシュが笑う。「この先もずっと疑わない。あんたの考えが外れても疑わない。待つよ。あんたがいいって言うまで待ってる」マーノーシュが立ち上がる。「とりあえず、一ヶ月、気合い入れるか」少女が体を伸ばして、深く息を吐いた。「……一ヶ月って、どのくらいだっけ?」


 一ヶ月後、少女は、日常会話であれば問題無く日本語を喋れるようになっていた。日本語の読み書きも、平仮名と片仮名は習得していた。今は、瀬川から紙媒体の国語辞典と漢和辞典をもらって、少女一人で日本語を勉強している。

 瀬川と少女が二人だけで過ごしている時に、少女は、瀬川が操作しているスマートフォンを見せてもらった。少女の掌の中にある機械が一瞬で画像や記号の表示を変えていく。

 「これは、どうやって動いているの?」少女が尋ねた。

 「電池で動いてる」笑顔の瀬川が答える。

 「電池から電気をもらって、そのあとは?」

 「電気をもらった部品が、プログラムに従って、光を出したり、指で触った場所を感知したりしてる」

 「プログラムって?」

 「言葉で説明するのは難しいな。プログラムは、言葉そのものだよ」

 瀬川は、少女が持っているスマートフォンを操作して、プログラムの説明を始めた。パソコン本体の画像。キーボードの画像。キーボードで文字入力している場面の動画。プログラムに必要なアルファベットについて。実際にプログラムを組んでいる場面の動画。画像や動画を見ながら、少女は瀬川に様々なことを質問する。少女にとって、プログラムは魔法のようだった。この魔法は強力な武器になると直感し、少女は質問を繰り返した。

 「例えば、あそこにあるエアコンも、プログラムで動いてる。でも、目に見えるものじゃないから、これ以上説明しても、ややこしくするだけかな」瀬川は言いながら遠くを見た。「……プログラムに興味ある?」

 「うん」

 翌日、少女たちの部屋にパソコンが置かれた。パソコンと一緒に、プログラムに関する本が何冊も置かれている。インターネットに接続されていないパソコンだったが、プログラムを学びたい少女にとって、何も問題なかった。

 「これでいったい何ができるんだ?」プログラムに関する本と国語辞典と英和辞典を同時に読み耽っている少女に向かって、マーノーシュが質問した。マーノーシュは、キーボードを人差し指で押している。

 「ここから出たときに、すごい武器になると思う」少女が本を読みながら言った。

 「ここから早く出なくていい?」イルハアムが不安そうに言った。

 「この勉強してから出たほうが良いと思ってるの。一ヶ月経っちゃったけど、この家の環境で落ち着いて勉強すれば、早く覚えられそう」少女が言った。

 「どのくらい?」イルハアムの不安そうな顔。

 「一ヶ月……じゃあ、ちょっと無理かな……二ヶ月くらいかかっちゃうかも……」

 「そうか……心配……」

 少女の答えに、イルハアムの表情はどんどん暗くなるが、少女の視線は常に本の文字を追っており、イルハアムの表情の変化に気付くことはなかった。


 それから二ヶ月のあいだ、環境の変化は全くなかったが、少女の知識は膨らみ続けた。少女は漢字の読み書きを習得しながら、英単語のスペルも覚えていく。最終的には、国語辞典も英和辞典も使わずに、プログラムに関する本を通読するようになり、階層の一番低いプログラムを理解できるようになっていた。少女が初めてプログラムという言葉を知ったとき、瀬川が少女に説明した内容が正確ではないことも分かった。日本人は頭の良い人種であると考えていた少女は、その考えを改めることにした。

 パソコンを使い始めてから二ヶ月が経過する頃、イルハアムの体調が悪くなった。日本語とプログラムについて充分な知識を得たと判断した少女は、瀬川の説得、もしくは、瀬川との取引を実行することにした。何よりも優先したいのは、イルハアムの体調である。イルハアムの体調を回復させるため、現在のイルハアムの状況を瀬川に伝えた。

 「そうだね、僕も気付いてた。イリカハルムをなんとかしないとね」瀬川が満面の笑みで言った。

 イルハアムの名前すら正確に発音できないなんて、日本人を過大評価していたかもしれない、と少女は思った。

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