第一章

分解(1)

 「イリカさんっ!」

 「ふぉへっ?」

 奇妙な声を出しながら顔を上げたイリカさん。口の端からヨダレが三センチくらいはみ出してる。はしたない……。

 王都放送の局内の一室、広い部屋に、数えきれないデスクが並んでる。どのデスクにもパソコンが一台、そして、たくさんの書類が乗ってる。天井からは何枚ものプラスティックプレートが吊り下げられてて、その中の一枚には“社会報道部”の文字。そのプレートの下に五つのデスクが集まってるトコがあり、そのうちの一つがイリカさんのデスク。僕の先輩だ。

 イリカさんはいつも、お昼休憩に入ると、ご飯を五分以内に済ませて、残りの四十分間を睡眠に充ててしまう。睡眠後は高確率でヨダレが垂れてる。ご飯を食べた直後だから、ヨダレが過剰分泌されるんだな、きっと。

 「お昼休憩終わりですよ」

 「んー……あー……ほんとだー……」

 イリカさんは、いつも通り時計を見ながら、いつも通り返事をして、いつも通りティッシュでヨダレを拭う。プログラムで動く機械のように、無駄の無い完璧な動きだ。

 イリカさんはいつも机に突っ伏して寝るから、起きた直後の髪は少し乱れてる。

 やっぱりいつも通りに、セミロングの茶色い髪を手櫛で整え始めるイリカさん。子猫が自分の顔を撫でてるような仕草。


 か、かわいい……!


 この仕草の破壊力といったら、四階からノートパソコンを円盤投げするくらいはある。落ちたあとのパソコンが僕で、投げるのがイリカさんだ。

 イリカさんの指が髪を梳くと、林檎のような桃のような甘いフルーツの香りが漂ってくる。同時に、寝ぼけ眼はパッチリお目々になり、下がってた口角は元の位置に戻る。そして最後に、にっこり笑顔で――

 「ありがと!」


 あぁ……僕はこのために会社に来てるんだ……


 はっ!

 ち、違う! 仕事! 仕事のために来てるんだよ! 冷静になれ!

 普段通りの顔で、ビジネスライクなビジネスゲームをビジネススーツにビジネストークで……。

 「起きれないなら、目覚ましかけてくださいよ」

 「うん、でもシロウ君、起こしてくれるし」

 「イリカさんが起きないからです」

 「へへ」

 いたずらっ子のように笑うイリカさん。か、かわいい……!

 「なんか、ほっぺたと耳、赤いよ?」

 「そ……! れは……おたふく風邪です」

 「え?」

 「そんなことより、そろそろ出発しないと遅れちゃいますよ、記者会見」

 「分かってるよー。でも、おたふく風邪って――」

 「それは……嘘です。いや、嘘じゃなくて、ジョーク。そう、ビジネスジョークです」

 「ビジネスジョーク?」

 「はい」

 「ふーん」

 イリカさんは、僕のビジネスジョークを追及しないで、出かける用意を始めてくれた。イリカさんの用意が終わるのを、自分のデスクで待つ。

 僕のデスクは、イリカさんのデスクと向かい合ってるから、存分に、心ゆくまで、イリカさんの顔を眺められる。まだですか~、早くしてくださいよ~、という感じで。素晴らしい役得だ。

 イリカさんは立ち上がり、椅子の背もたれに掛けられてたジャケットを着て、用意できたよ、といった感じで僕に微笑む。精神を極限まで統一し、おたふく風邪をガードした。

 イリカさんの左隣のデスクを一つ挟んで、ディレクターのデスクがある。彫りが深くて、ダンディーな髭を生やしたサガミさんが書類を読んでる。イリカさんがサガミさんの所へ向かったので、僕もそれに倣った。

 「失礼します」

 イリカさんが話しかけると、サガミさんは書類から目を離して、僕らを見る。

 「警視庁の記者会見へ行ってきます」

 イリカさんの言葉に、サガミさんは頷きながら片手を軽く挙げて応える。いってらっしゃい、という意味だ。

 喋らず、にこりともしないのに、頷いて片手を挙げるだけで、女の子を二、三人倒してしまいそうなサガミさん。これがハードボイルドというものか……。

 それに比べて、僕は童顔で、ヒョロヒョロで、背も高くない。ヒールを履いたイリカさんと同じくらいの背しかない。以前、サガミさんの寡黙さを真似して男力を高めようとしたら、イリカさんに「下痢?」と訊かれた。ハードボイルドには二度と手を出さないと誓った。


 警視庁までは電車で移動だ。吊革に掴まりながら、二人並んで電車に揺られる。

 僕とイリカさんの間で、吊革がひとつ揺れてる。この距離が、二人の親密度そのものだ。電車に乗り込んだとき、思い切ってその吊革に掴まろうとしたけど、予想通りのチキンハートが僕をこの場所に押し留めた。情けなかったけど、がっついてる男は嫌われるからな、という魔法の言葉で自分を立て直す。

 そう、僕はジェントルマン……慎み深く、思慮深い大人の男だから、がっつかず、余裕をもって、この芳しいフルーツの香りを胸いっぱい肺いっぱいに、鼻から口から毛穴から、全ての穴から吸い込んで――

 ……違う、これは変態ジェントルマンだ。全然立て直してないじゃないか。

 隣から漂ってくるフルーツの香りから気を逸らすため、イリカさんに話しかける。

 「今日はどんな夢でした?」

 イリカさんは、お昼寝すると絶対夢を見ちゃう、と公言する夢見る少女だ。ぶっ飛んだ夢が多いから、イリカさんの夢の話はなかなか面白い。一昨日なんかは、イリカさんが牛乳として搾り出され、チーズとして熟成され、消費者に食べられるまでの感動巨編を、前編・後編の二部構成で、身振り手振りを交えて、僕に披露してくれた。

 『私を絞り出してくれたおじさんがすっごいダンディーなの!』

 イリカさんが目を輝かせながら興奮気味に話す。

 『そのおじさんがね、無口なんだけど、絞り出した私を愛情溢れる眼差しで見つめてて、もう私、出荷される前にそのおじさんに飲んで欲しくなっちゃって、お願い私を飲んで、ってお願いしたら、じゃあ一口だけ、って言って、私を少しだけコップに注いでゴクゴク飲んだの。そしたらね、おいしい、もっと飲みたいって言って、何杯もお代わりしちゃうの、きゃーっ!』

 少し赤くなったほっぺたを両手で挟んで、恥ずかしそうに叫んだイリカさん。僕の脳下垂体あたりにグッときたけど、心の中で般若心経を唱えて、事なきを得た。

 そんな回想を一瞬で終わらせて、現実に戻ると、イリカさんは伏し目がちだった。

 「今日のは、少し悲しかったな……。女の子が、空を飛びたい、って思う夢だったんだけど……」

 悲しそうな表情のイリカさん。

 「それって悲しいんですか?」

 「んー、なんていうか、誰も助けてくれないんだなー、っていう感じ」

 なんだか歯切れが悪い。声のトーンも低い。あまり話したくないのかもしれない。僕は「そうですか」とだけ返して、夢の話を終わらせる。

 しばらく無言が続いた。

 この空気を変えたかったけど、何も思い付けなかった。

 電車は走り続ける。

 地下鉄の窓は真っ黒。

 窓に映る自分。

 助けを求める自分。

 ダレモタスケテクレナイ――

 イリカさんの言葉が反響する。

 リズミカルな電車の音と振動が、この空気を削り取ってくれることを祈った。

 「甘いものと、しょっぱいものだったら、どっちが好き?」

 イリカさんが脈絡なく話しかけてきた。

 「断然、甘いものですね」

 すぐに答える僕。

 「じゃあ、帰りはケーキ買ってこう」

 イリカさんが笑う。

 何だかよく分からないけど、とても嬉しかった。


 「今回の事件も同一犯ということですが、犯人についての新しい情報などありますか?」

 「えー、まず、先ほど申し上げた通り、同一犯の可能性が高い、ということであって、断定ではありません。犯人については、一刻も早い解決を目指して、捜査に尽力しております」

 警視庁の一室、広い部屋に並べられた沢山のパイプ椅子には、隙間なく記者が座ってる。その後ろには、さらに隙間なく、カメラとカメラマンが乱立。シャッター音とフラッシュが引っ切り無しに部屋を走る。

 「今回で四件めですが、これまでの被害者の方達との間に共通点などありますか?」

 「現在までに、被害者間の関係などは確認されておりません」

 「やはり無差別ということでしょうか?」

 「そのような点も含めて、捜査に尽力しております」

 警察の事件説明に続いて、記者の質問が始まったけど、三件めの事件の会見と同じような問答ばかり繰り返されてる。被害は増えてるけど、捜査の進展はあまりないようだ。

 「万が一、今後も同じ事件が続いた場合、警察側の責任も無視できなくなるのでは?」

 「警察の威信をかけて全力で捜査しておりますが、国民の皆様自身におかれましても、より一層、防犯意識を高めて頂くことで――」

 「国民に責任を転嫁するんですか!」

 「いや、そうではなく、警察としましても――」


 「やっぱり、新しい情報なかったですね」

 隣を歩くイリカさんに話しかけた。

 おいしいケーキ屋さんが近くにある、とイリカさんに誘われ、二人で街を歩いてる。勤務中だけど、デートとみなして良いだろう、という暴走を抑えるため、さっき、こっそりトイレで、掌に人という字を書いて呑み込んできた。効果は抜群だ。

 道路脇には沢山のイチョウが並んでる。夏の暑さが一段落して、夜は肌寒いくらいの気温になってきたから、イチョウが黄色くなる準備を始めてる。紅葉の季節だったら最高のデートだったんだけどな……って、もう効果切れ?

 「もしかしたら何か掴んでるかもしれないけど、それにしても情報少ないね」

 目当てのケーキ屋さんを探してるイリカさんが、前を見ながら応える。

 イリカさんの横顔は、まつ毛の長さがすごい目立つ。僕の二倍くらいある。

 以前「マスカラすごいですね」と言ったら、「地毛だよー」と返ってきた。とりあえず“天は二物を与えず”を粉砕しておいた。二重のパッチリお目々も備わっているので、イリカさんは人形みたいにかわいい。間違えた。人形なんて比べものにならなかった。

 「殺され方と死亡時刻くらいですよね、こっちに流れてるの」

 勤務中だということを思い出して、ビジネストークを続行する。

 「あとは、二件めのときの目撃証言? 少年がいたってやつ」

 「でもそれは二件めだけですし、全然関係ないかもしれませんよ」

 「んー、あと、被害者全員お金持ちとか」

 「それは強盗目的だからじゃないですか?」

 「でも、お金持ちの家って、すごいセキュリティだよ。侵入するの大変だよー、きっと」

 これまでの事件は全部お金持ちの豪邸の中で起きてる。だけど、防犯システムが働いた事件は一件もない。犯人がどうやって侵入したのか、警察は一切公表してない。捜査が進んでないから、公表できないだけかもしれないけど。

 「そうなんですよね。やっぱ、お金以外の目的があるんですかね。家主は例外なく殺されてますし」

 「お、はっけーん。あそこだ」

 会話をぶった切ったイリカさんの目線を追うと、カフェテラス付きのケーキ屋さんが見えた。

 「なんか、凄いおしゃれですね」

 ケーキ屋さんなんて来たことがないから、自然に出てきた感想だった。

 「気に入った? じゃあ……」

 一呼吸置いて、僕の顔を覗き込むイリカさん。

 「今度は、デートで来よっか?」

 「……え?」

 え?

 今なんて言った?

 デート?

 デートって言った?

 心臓が狂ったように急加速。

 イリカさんは、僕をじっと見つめて……

 「うそ」

 前歯を見せながら、にーっと笑う。

 「さ、早く買って帰らないとね」

 歩くスピードを少し上げたイリカさんに、少し遅れてついてく。

 僕の心は既に地球を三周はしてるはずなんだけど、なかなか戻ってこない。どこへ行ってしまったのか。

 遠くから車の急ブレーキの音が聞こえてきた。

 そうそう、そうなんだよね。

 車も心臓も、急には止まれない。


 ケーキを買って、電車に乗って、会社に戻っても、その日はずっと夢の中にいるような感覚で、感情がふわふわして、落ち着きが無かった。

 十分に一回くらいはイリカさんの嘘がフラッシュバックして、一瞬だけ仕事の手が止まる。で、またすぐ仕事を始める。ニワトリがエサを食べてるトコを思い出した。あいつら、落ち着き無いんだ。

 買ってきたケーキを職場の仲間と一緒に食べてるときは、イリカさんと話せないどころか、顔すら見れなかった。どんなケーキを食べたかもよく覚えてない。茶色かった気がする。

 仕事が終わって家に帰ると、もっと酷かった。

 録画してあったテレビ番組を見てても、頭の中は、昼間の出来事の無限ループ。

 あれはほんとに嘘だったのか? もしかしたら、わりと本気だったんじゃないか? ほら、嘘ついたあと歩くの速くなったし、照れてたんじゃないか? いやいや、落ち着けシロウ。そんな希望的観測に頼ってると、また痛い目見るぞ。ほら、高二の夏、グループで夏祭りに行ったとき、ユリコちゃんに「シロウ君てほんと優しいよね。やっぱ、付き合うなら優しい人がいいなぁ」なんて呟かれちゃったもんだから、一週間後に告白したら、え? なんで告白してんの? みたいな目で見られながら振られて、半年間立ち直れなかったことを思い出せ。あぁ、どうしてもっと冷静になれなかったんだ……そもそもあの夏祭りは――

 寝るまでずっと、不毛な議論・妄想・後悔・反省が続いた。

 翌日起きると、少しマシになってた。だけど、気を抜くと無限ループに入りそうな気がしたから、すぐに出かける準備を始める。

 今日はメグと会う約束をしてる。会社は休み。

 メグは僕の幼なじみで、大学に通うために上京した。国内トップクラスの王都大学に合格したくせに、半年で中退。本人曰く『通う必要がないと分かった』だそうだ。そのあとはずっとアパートにこもって暮らす生活を続けてる。生活費はどうしてるのかと訊いたことがあるけど、ネット上でそこそこ稼いでるらしい。親からの仕送りは一切無いと言ってた。

 十五分で出かける準備を済ませて、電車でメグのアパートへ向かう。

 メグのアパートはオンボロで、全体的に茶色くて、駆け上がると崩壊するんじゃないかというくらいボロい階段がある。この階段を踏むと、ギャア、とか、ギョエ、とか、人間のような声を発するので、精神的にも物理的にも恐怖がある。それを十三段登らないといけない。このアパートを設計した人を叱ってやりたい。

 そんなアパートだから、オートロックやドアチェーンなどあるはずもなく、インターホンもない。ドアも、体当たりすれば一発で開く気がする。アパートが崩壊するかもしれないけど。

 そのドアをノック。十秒くらいでドアが開いた。

 「よ」

 「おう」

 おう、と言ったのがメグ。

 彼女はいつも通りジャージ姿で、髪はボサボサ、眠そうな顔をしながら立ってる。

 すっぴんのメグは、少しそばかすがあるけど、キレイだと思う。かわいいというより、キレイ。肌はものすごく白い。きっと、昼間外に出ないからだろう。そこらへんの引きこもりと同じように、メグの昼夜も逆転してる。彼女にとって今の時間は真夜中だ。

 「悪いね、眠いとこ」

 「あいよ」

 返事をしながら、部屋の奥に戻るメグ。

 そこらへんの引きこもりとは違い、メグはモデルみたいにスタイルがいい。ジャージを着た後姿でも、それがよく分かる。小さい頃から、どれだけ食べても太らない体質らしい。遺伝子は本当に不平等だ。まぁ、おっぱいは小っちゃいんだけど。

 半年ぶりのメグの部屋。ワンルームで、玄関から部屋の中が全部見える。蛍光灯をつけてないから、相変わらず薄暗い。メグの部屋の窓の真ん前にマンションが建ってるから、部屋に入ってくる光はくたくたになってる。スキューバダイビングなんてしたことないけど、海の深い場所はこんな感じかも。全然嫌じゃない。きっとメグもそうなんだと思う。

メグの部屋は、光だけじゃなくて、物も少ない。目に付くのは、液晶ディスプレイが三つ乗った机、安そうなパイプベッド、小っちゃいテーブル、僕よりも年上なんじゃないかと思える茶色いエアコンくらいしかない。

 机の上の灰皿から煙が上ってる。

 「コーヒー飲む?」

 灰皿から吸いかけのタバコを取りながら、メグが訊いた。

 「じゃ、もらう」

 「ん」

 メグはタバコを咥えて、ほとんど使われてなさそうな台所へ行く。

 コーヒーを用意するメグを横目に、パイプベッドに座る。ここが僕の定位置。

 机の上の三つのディスプレイはどれもつけっ放しで、どのディスプレイのウィンドウにも沢山のアルファベットが並んでる。なんかのプログラムかもしれない。

 ヤカンを火に掛けたメグが戻ってきて、タバコを吸いながら椅子に座る。

 「どんな情報見つけたの?」

 煙を吐き出してるメグに訊いた。

 「結構すげーよ」

 メグが答える。

 メールにもそう書いてあった。

 一年前、僕が王都放送に就職が決まったとき、メグは内定祝いだと言って“面白い情報があったらすぐ教える券”をくれた。ジョークだと思ってたら、二日前に『結構すごい情報見つけた』とメールが来た。昔から、メグは意外と律儀だ。

 「金持ちが殺されてる事件の情報。出回ってないやつ」

 「どんなやつ?」

 「現場付近で目撃された少年いんだろ? 実はな、そいつの正体、警察分かってんだよ」

 「ほんと? ってか、どこ情報? それ」

 「けいさつ」

 メグがニヤニヤしながら答えた。もしかして、警察のネットワークに侵入したのか、こいつ……。

 「捕まるよ、ほんと」

 「うまくやればバレねーよ。システムいじったりするわけじゃねーし」

 「犯罪だよ」

 「ちょっと情報見て、俺の心の中にひっそり置いとくだけだって」

 「もう僕に教えちゃってるし」

 「そりゃあ……シロウはさ……ほら……」

 メグの声がだんだん小さくなり、何かごにょごにょ言いながら、タバコを灰皿で揉み消してる。

 「……信用、してるし」

 とっくに消えてるタバコを灰皿に擦りつけ続けるメグ。

 なんだ? 褒めてくれたのか?

 メグが黙ってるので、話しかける。

 「んー、まぁ、いや、そういう問題じゃないでしょ」

 「……うっせぇなぁ! 聞かねぇの?」

 「……聞く」

 「素直にそう言やぁいいんだよ」

 メグは、机の上にあったタバコの箱を乱暴に掴んで、中から新しいのを一本取り出した。タバコに火をつけると、いつもより深めに煙を吸って、溜息をつくように吐いた。

 「少年は、少子対策法の養子だとよ」

 台所の方をチラッと見ながら、メグが言った。お湯が沸きそうな音が聞こえてる。

 「もう身元、分かってるの?」

 「それがな、身元は分かってねーらしい」

 「ん? 少子対策法の養子なんでしょ?」

 「たぶん、正式な養子じゃねーんだろうな」

 僕は首を傾げて、よく分かりません、とジェスチャー。

 「俺もよく分かんねー。国のミスとかで戸籍登録されなかったのかもな」

 ヤカンがけたたましく音を鳴らし始めたので、会話を中断し、メグが台所へ向かった。

 少子対策法――最近それ関連の仕事をしてるので、わりと詳しく知ってる。

 制定されたのは十四年前。海外の難民受け入れを、未成年だけ大幅に増やして、少子化を抑えようとしてる法律。受け入れられた子は必ずどこかの世帯の養子になるから、身元が分からないなんてことないと思うんだけど。

 メグが言った通り、もし国のミスで戸籍登録されなかった奴が連続強盗殺人してるとしたら、国はボロクソに責められるだろうな。あ、もしかして、だから警察は公表しないのか?

 メグが両手にカップを持って戻って来た。机とベッドの間にある小っちゃなテーブルにカップを置いて、また椅子に座る。

 気になったことを訊いてみる。

 「それ、いつくらいの情報? 最近?」

 「見つけたのは二日前だけど、データが作成された日付は四件めの事件の直後だから、四日前くらいか」

 「じゃあ、警察隠してるんだ、その情報。昨日の記者会見、なんも言ってなかったし」

 「だろうな」

 メグが置いたカップを取って、熱々のコーヒーを一口飲む。砂糖とミルクがたっぷり入ってる。さすが幼なじみ。

 メグがくれた情報は確かに凄い。凄過ぎて、どうしたもんかと悩む。

 「実はな……」少し前屈みになるメグ。「とっておきの情報はこっからなんだよ」

 まじすか……。

 「冗談?」

 「マジ」

 指の間に挟んでるタバコで、メグが僕を指す。

 「警察な、犯行現場で、その少年取り逃がしてんだよ」

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