十五日の供え物

逢雲千生

十五日の供え物


 毎月十五日になると、祖母は仏壇に、白いお団子と冷たい水をそなえています。

 それ以外の日には熱い緑茶とおまんじゅうなのですが、なぜかその日だけ、白いお団子と冷たい水なのです。

 

 小さい頃は不思議に思いませんでしたが、高校生になると「ひどい組み合わせだなあ」と思いながら見ていました。 

 お饅頭と緑茶ならばわかりますが、お団子と冷たい水など合うのだろうかと思いつつ、あの年を迎えたのです。

 

 高校二年生の年でした。 

 部活で一番大変な大会が終わり、少しだけ時間が取れたので、久しぶりに友達と遊びに行く約束をしていました。 

 しかしその時に限って祖母の具合が悪くなり、十四日に入院してしまったのです。 

 意識もあり、ただの夏バテだろうとの事でしたが、年も年なのでしばらく入院し、その間は母が看病することになりました。

 

 家には帰りの遅い父と大学生の兄、そして私の三人だけです。 

 料理のできない二人には掃除と洗濯を頼み、料理は私がやることになったのですが、急なことだったので、忘れる事が必ず一つはありました。 

 祖母の入院で友達との遊びは断りましたが、もう一つ、大事な約束を忘れてしまったのです。 

 

 あの日は朝から忙しく、病院に泊まった母に届け物をするために父が出かけ、手の空いた兄には買い出しを頼んでいました。

 お昼を準備する前に宿題をやってしまおうと部屋に籠もっていたのですが、時間の感覚が曖昧になるほど集中し始めた頃、下で障子が開く音がしたのです。

 

 我が家はよくある洋風建築ですが、祖母が同居する時に和室のぶつが欲しいと言ったので、ぶつだんのある部屋だけは和風です。

 当然障子があるのも仏間だけなので、帰ってきた兄がお供え物でも置きに行ったのだろうと気にしませんでした。

 

 あまり仏間に行かない私と違い、祖母が大好きな兄はよくお線香をあげているので、特に珍しいことでもありません。

 祖母の代わりに熱心だなと思っていましたが、それから間もなく、下からすごい音が聞こえたのです。

 

 大きな家具が勢いよく倒れた音で、タンスか何かが倒れたのかと慌てました。

 もしかすると兄が何かやらかしたのかと思いつつ、恐る恐る下に降りて兄を呼びますが返事はありません。

 気まずくなると黙り込む兄のことです。

 きっと仏間の何かを倒してしまい、子供のように返事をしないつもりなのだろうと思っていました。

 

 仏間はリビングの隣にあって、廊下からも入ることができます。

 どちらも障子を開けて入るのですが、私は二階から一番近い廊下側から入りました。

 

 中は薄暗く、カーテンを開けてはいましたが夕方のように感じました。

 真夏なのに肌寒くも感じ、なんだか不気味に感じたのです。

 

「お兄ちゃん、どうしたの。何か倒しちゃったの?」

 兄を呼びますが返事はありません。

 逃げられたかと思いながら中に入ると、いっそう寒く感じました。

 

 廊下は汗ばむほどなのに、仏間だけが寒いのです。

 半袖の腕には鳥肌が立っていて、いくら鈍い私でもこれはおかしいと思いました。

 仏間にクーラーはありませんし、リビング側の障子も空いていなかったので、冷気が入る隙間はないはずです。

 それなのに鳥肌が立つほど寒いのは、異常としか考えられませんでした。

 

 薄暗い仏間を見回しても倒れた物はなく、仏壇もいつも通りだったので、とりあえず出ようと振り向きました。

 すると、障子が閉まっていました。

 開けたまま仏間に入ったのに、なぜか閉まっているのです。

 

 閉めた覚えもないのに変だなと思いながら障子に手をかけましたが、いつもなら軽く開くはずの障子が、この時ばかりはびくともしませんでした。

 

 何度も何度も横に引きますが開きません。

 体重をかけて、体を斜めに傾けて、思いきり引いても開きません。

 兄がいたずらで外から押さえているのかとも思いましたが、それなら少しくらいはガタつくのに、この時の障子はピクリとも動かなかったのです。

 

「な、なんで? どうしてこんなに動かないの」

 薄暗く、肌寒い仏間に閉じ込められた。

 そう思った時、後ろで物音がしました。

 

 ガタガタと重い物が動く音で、それからゴトンと何かが落ちる音も聞こえました。

 誰かいる。

 それだけはわかりましたが、振り返る勇気はありません。

 仏間に閉じ込められただけでも怖いのに、ここでお化けなどに出てこられたら気を失うのは確実です。

 

「誰か、誰か開けて。お兄ちゃん、お父さん、誰か開けてってば」

 障子を破らない程度に叩きながら呼びますが、誰も返事をしません。

 リビング側からも音がしませんし、それどころか、人の気配すら感じないことにようやく気づいたのです。

 

 後ろからは畳を音が聞こえますし、障子はまったく動きません。

 兄がいると思っていた家の中には気配がないのに、誰もいないはずの後ろからは人の気配がするのです。

 

 もう怖くて怖くて必死で、何度も何度も障子を引きました。

 涙が出ても叫んでも障子は開かなくて、それなのに背後の気配はどんどん近くなってくるんです。

 

 誰かの息遣いが聞こえましたが、もう焦りと恐怖で混乱していて、ただただ障子を開けることしか考えられません。

 けれど背後の気配はすぐ後ろにあります。

 

 ああ、もうダメだ。

 そう思った瞬間、びくともしなかった障子が勢いよく開いたのです。

 

「うわっ」

 障子の向こうには驚いた顔の兄がいて、買い物袋を落として私を見下ろしていました。

 

 障子が開いた瞬間、背後にあった気配は消えてしまいましたが、まだ肌寒さは残っています。

 慌てて廊下に飛び出すと、久しぶりの暑さを感じて、ようやく息をすることができたのでした。

 

「どうしたんだよ、ばあちゃんの真似でもしてたのか」

 兄が仏間を覗き込みながら聞いてきましたが、私は答える気になれませんでした。

 

 そのまま部屋に戻って震えていた私でしたが、兄に心配されて下に降りると、いつの間にか帰ってきていた父にも心配されました。

 そこで先ほどの怖い体験を話すと、父ではなく兄に言われたのです。

 

「お前、団子と冷たい水を供え忘れただろ」

 そう言われてやっと思い出しました。

 朝から忙しくて、何か忘れていることはないかと思い出そうとしましたが、今月のお供え物をすっかり忘れていたのです。

 

 仏間を覗いた兄が気がついてくれて、私が降りてきた時にはきちんと供えられていましたが、何で大事なのことを忘れていたんだろうと頭を抱えてしまいました。

 

「お前なあ。あれほどばあちゃんが言ってたのに、なんで毎回忘れんだかな」

 

 おばあちゃん子で信心深い兄と違い、仏様にも神様にもほとんど興味のない私は、祖母が毎月十五日に話してくれる話を覚えていませんでした。

 

 兄から聞いた話になりますが、なぜ毎月十五日に祖母がお供え物を変えているのかというと、十五日が祖母の姉の命日だからだそうです。

 姉といっても歳が離れていて、祖母にとっては母親のような大切な存在だったといいます。

 

 兄弟の多かった祖母の家では、兄弟の面倒は兄と姉が見ていました。

 なので、祖母は母親がわりになってくれていた一番上の姉を慕っていて、今でも子供に戻ったような気持ちになるのか、いつもより幼い顔をして話しているのだそうです。

 

 大好きだった姉が病気で亡くなると、祖母は命日以外にもお供え物をしようと思い、白いお団子と冷たい井戸水をつきめいにちにも供えるようになったというのです。

 白いお団子は姉の大好きだったお菓子で、冷たい水は暑い時期に苦しんで亡くなった姉が、少しでも涼しくて安らかな気持ちになってくれるようにとの願いからでした。

 

 お供えを続けられるようにと、姉のはいを嫁ぎ先に持ってきたほどで、祖父から呆れられるほど熱心だったと父も言っていました。

 

 後日、退院した祖母に聞いたのですが、あの仏壇には時々救いを求める何かがやって来ることがあり、そのたびにお供え物を切らすと出てくるそうなのです。

 

 熱心すぎた供養が災いしてか、それは今でもたびたびあります。

 

 祖母も高齢になり、兄も就職して家を離れました。

 父も母も供養には無関心なので、私が大学を卒業した後はどうなってしまうのか心配です。

 

 だって、足が悪くなった祖母がお供え物をしない日になると、仏間から何かが畳を動く音がするのですから。



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十五日の供え物 逢雲千生 @houn_itsuki

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