#6 あらぬ疑惑

「えっと、どうしたら……」

 クラスメイトが倒れている。それでもわたしの頭はまだ動いている。とにかく、どうする? 回復体位? 心肺蘇生法? いやそもそもこれ生きてる?

 あ、そうそう救急車。こんなときのための救急車。スマートフォン、連絡用に買ってもらったんだった。これで連絡できる……と思いきや、スマホは教室の鞄の中に入れっぱなしだったことを思い出す。

 教室に戻る? それがいいか。教室には先生も向かったのだからちょうどいい。本来、こんな事態は生徒一人の範疇には収まらない。片桐先生を呼ぼう。

「ちょっと、黒鵜! 何してるの?」

 声がした方を振り返る。わたしが入った扉から、杉谷が顔を覗かせている。

「そろそろ二者面談、わたしの番だと思って来てみたら先生いないし」

「杉谷、檜山が倒れてる」

「……なんですって?」

 杉谷はダッシュで近づく。檜山に近寄ると、すぐに彼女の口元に耳を近づける。しばらくそうしていたかと思うと、今度は手首を掴んだ。

「息はかろうじてある。脈もギリギリ……。救急車ね」

 言うなりポケットからスマホを取り出して、すぐにどこかへ電話をかける。この辺り、なんだかんだ言っても踏んだ場数が違うのだろう。杉谷の動きはスムーズだった。

 後の展開は早かった。割合すぐに、救急車が学校に到着する。しかも杉谷が指示していたのか、生徒の出入りが激しい正門からは来なかった。多目的教室は二階なので、窓から正門の様子が見えるのだ。たぶん裏門の方へ救急車は停まったのだろう。サイレンこそ鳴らしていたが、これだと救急車を目撃していない生徒は精々「近所に救急車が来た」くらいの認識しか持たなかっただろう。

 檜山は担架で運ばれていった。途中で合流した片桐先生が救急車に同乗して、病院まで付き添うことになったらしい。

「二人とも、このことはまだ誰にも言わないでね。不要な混乱を招くから」

 と、先生はわたしたち二人にきっちり箝口令を敷いていった。

 わたしと杉谷は教室に戻った。わたしは自分の席に座って、とりあえず鞄からスマホを取り出して胸ポケットに入れた。これからは携帯しようと心に誓って。

 杉谷はポケットから長方形の小さい機械を取り出して、わたしの机の上に置いた。携帯電話とは別の機械だ。そうして適当な椅子を引き出してわたしの正面に座る。

「これから話すことは録音させてもらっていい? 生徒会の活動記録として」

「…………いいよ」

「……聞かせてくれない? どういう経緯で檜山を発見したか」

 とりあえずわたしは、杉谷にことの経緯を話した。とはいえ、進路指導室から出て多目的教室を横切ったときに倒れている檜山に気づいただけで、それ以外に大したことはない。

「進路指導室にいたときや出るときに、何か物音を聞かなかった?」

「物音?」

「誰かが多目的教室に入る音とか、暴れる音とか」

「……特に、それらしい音はしなかったと思う」

「そう」

 杉谷のそんな質問の意図は、読めたような読めなかったような。ただ、彼女の目を見て、なんとなく「そういうことか」という認識は持った。

 杉谷はその後、携帯電話を弄っては耳に当てて、誰かと会話をしていた。それを数回繰り返したのち、わたしの方に振り返る。

「あなたと檜山はどういう関係?」

「……クラスメイトで、部活が同じ。でも教室ではあんまり喋らない」

「あなた、Dスクールについて片桐先生に聞いたんですって?」

「さあ?」

「とぼけなくてもいいでしょう。片桐先生本人がそう言っていたんだから」

 本当にここ最近、わたしのプライバシー権が侵害されまくっているんだけど、どこに訴えればいいのかな。

「檜山もまたDスクールを目指していた……。これはわたしたち生徒会もまるで知らなかった情報なんだけど、あなたは本人から聞いたんですって?」

「それも片桐先生情報だよね? だったらイチイチわたしに確かめなくてもいいんじゃない?」

「確認よ。でもその反応ってことは、事実みたいね」

「あのさあ、まるでわたしが疑われているみたいな状態だよねこれ」

「その通り。まさに今、わたしはあなたを疑っているのよ、黒鵜」

 あー、やっぱり。そんな気はしていた。まだ疑われているだけだけど、これひょっとしたらわたしの人生に王手かかっているやつかもしれない。

「よかったら聞かせてもらえないかな。どうしてわたしが疑われているのか」

「分かった。じゃあまず前提からなんだけど、この件は自殺、事故、事件のどの可能性もある程度あるわ」

「でもわたしが疑われているってことは、杉谷は事件と思っている」

「一番高い確率は事件だからね。カッターで指を切ったり刺したりという事故は聞いたことがあっても、さすがに首に突き刺すなんて事故は聞いたことないわよ。いくら檜山が不器用でもね」

「檜山って不器用だったっけ?」

「知らないわよ。あくまで仮定の話。それ以前に、カッターを使用した事故ならば普通、何らかの工作中だったんでしょう? カッターは工作のために用いるのが本来の使い方だから。でも、多目的教室の机には何も置かれていなかった。工作中の事故という線は薄い」

 そうだっけ? 机の上……ああ、そうそう。確かに何もなかった。

「じゃあ自殺は?」

「自分の首にカッターを突き立てて自殺? いくらなんでもラディカルでしょ。それに確実じゃない。もしカッターを用いて自殺するなら手首でも切るのが普通でしょ。首を吊るとか、高所から落ちるとか、他にいくらでも確実なやりようがあるじゃない。カッターで首を突き立てようったって、普通は無意識に怯んで力が入らないわよ」

 まあ、不確実なのは間違いない。ただ、わたしとしてはこの可能性しかないと思うんだけどなあ。特に、事件という可能性、わたしが犯人という可能性はわたし自身にとってはありえないのだから。

「でもわたし、アリバイあるよね。進路指導室に直前まで片桐先生といたんだから」

「片桐先生とともに進路指導室を出てから、しばらく時間はあったでしょ」

「しばらく……? いや、具体的な時間は分からないけどしばらくってほどではないよ」

「でも檜山の首を刺して第一発見者を装うことくらいはできるでしょ」

「わたしを必殺仕事人か何かと勘違いしてない?」

 白刃流に暗殺術はない。あったとしてもわたしの運動能力では使えない。

「そもそも、仮にわたしが檜山を殺すにしてもなんでそんなシビアなことしなきゃならないの? 校内で、目撃のリスクがあるのに。わたしが殺人犯なら下校中を狙って通り魔の犯行に見せかける。同じ部活に所属しているんだから、一緒に下校しようと思えばできなくはないし」

「シビアなのはわたしが、偶然多目的教室にいたあなたを発見したからよ。だからシビアに見えるだけ。実際はそうではないの。あなたは廊下の前にあらかじめ待機させておいた檜山と一緒に多目的教室に入る。何か理由をつけて後ろを振り向かせ、その隙に腕を回してカッターを彼女の正面から首に突き立てる。今は制服が半袖だから返り血がついてもタオルかハンカチで拭き取ればいい。あらかじめ手袋のようなものをしておいて、それを多目的教室のどこかに隠しておいてもいい。どちらにせよ、今回は首から派手には出血しなかったから返り血を浴びる心配はなかったでしょうね。それゆえに檜山は一命を取り留めたのだけど」

 どうにも、わたしが犯人であることが前提のように話が進んでいる気がする。杉谷はさっきまで弄っていたスマホをぶら下げてこっちに見せた。

「今、わたしの仲間が多目的教室とその周辺を捜査している。血の付いたタオルか手袋でも見つかれば言い逃れはできないわよ?」

「さっき、杉谷は進路指導室でわたしが物音を聞かなかったか尋ねたよね? わたしはこの学校の造りに詳しくないけど、杉谷の質問を聞くに多目的教室で何かが起これば進路指導室にいる人に聞こえるってことだよね。多目的教室の扉はけっこう大きな音を立てるみたいだし。今回は偶然片桐先生が進路指導室を出たけど、もしそのまま進路指導室に残っていたらわたしや檜山が多目的教室に入った音を聞くことにならない?」

「どのみち第一発見者を装うなら関係ないのよ、片桐先生が扉の音を聞くかどうかは。あなたは廊下から教室を覗いて、そこに倒れている檜山を発見する。扉を開いて教室に入る。近づいたはいいけどどうしていいか分かず途方に暮れる。このシナリオならあなたが進路指導室を出てすぐ多目的教室の扉が開かれる音を片桐先生が聞いても、特に不自然はないでしょ」

「片桐先生はわたしが待たせていたという檜山を廊下で見たの?」

「多目的教室の方向は目視していないから分からないって」

「じゃあ直接的な証拠はないと」

「間接的にならある。それが問題」

 間接的な、証拠?

「第一、わたしも片桐先生も進路指導室にいる間は何も物音は聞いていない。だから普通に考えて、わたしたちが進路指導室に入るより先に檜山と犯人の一悶着があったんじゃない? 多目的教室の掃除は、わたしたちが進路指導室に入るより前には消えていたみたいだし、そっちの方が現実的……」

「それが一番あり得ないのよ。だから多少の不自然さに目を閉じて、あなたが犯人である説をわたしは推しているってわけ」

 どういうことだろう。ふむ、わたしの考えが現実的ではない?

「さっき電話で、多目的教室とその前の廊下を掃除していたクラスメイトにそれぞれ確認を取ったわ。多目的教室掃除の子たちは早めに掃除を切り上げて、ゴミ箱の中身を捨てに校舎裏へ全員で移動していた。それは廊下掃除の子たちが目撃していた。その後、多目的教室掃除の子たちは多目的教室へは戻らず直接ここ――つまり自分たちのクラスに戻った。一方、廊下掃除の子たちはその後しばらくして掃除を終えクラスに戻る。戻る直前、あなたと片桐先生とすれ違っている」

「だから?」

「分からない? つまり多目的教室こそ早い段階で空になっていたけど、そこへ入るのに必ず通らなければならない廊下は掃除当番によって監視されていたのよ。あそこは二階だから、窓からは侵入できない。そして廊下の掃除当番は多目的教室の掃除当番以外、誰も廊下を通っていないと証言しているわ」

「それも聞いたんだ。片桐先生から箝口令敷かれているのに」

「事件のことは話していないわ。ただ、『掃除中に廊下を通った人はいた?』って聞いただけ。掃除が終わった直後にあなたと片桐先生が進路指導室に向かったことしかあの子たちは目撃していなかった」

「誰も通っていない? 檜山も他の誰かも?」

「ええ。そして廊下の掃除当番が消えるのとほぼ同時にあなたと片桐先生は進路指導室に入った。そこにある程度のタイムラグはあったでしょうけど、その隙に檜山と犯人がするりと通り抜けたとも考えにくいわね」

「わたしの目が節穴というそしりはまぬがれないけど、見逃したって可能性は十分あるよね? 実際、杉谷の推理ではわたしが廊下に待たせていたという檜山を片桐先生が見逃している。『多目的教室方面は目視していない』って理由で。わたしも片桐先生も進路指導室に入ろうとしていたわけだからやっぱり『多目的教室方面は目視していない』わけで、見逃したという推測はあり得るよ?」

「見逃しはしても、聞き逃したかどうかとなると怪しいわね。あなたが言ったじゃない。多目的教室の扉は大きな音が立つって」

 ううむ。順調に逃げ道を塞がれているな。犯人ではないと自覚しているのに論戦で負けかかっているというのもおかしな話だが。

 少し整理を。

 現場は多目的教室。被害者は檜山純。傷はカッターナイフが首に突き立てられたもの。工作中の事故という可能性は完全に否定できないものの低く、自殺か事件のどちらかが有力。

 重要なのは檜山が、いつ多目的教室に入ったのか。多目的教室は掃除の早い段階で空になっていたが、廊下掃除はまだ残っていて監視状態だった。廊下の掃除当番は檜山をはじめ多目的教室掃除の当番以外誰も通らなかったと証言している。廊下掃除はその後しばらくして消えるが、今度は入れ違いにわたしと片桐先生が進路指導室へ。目視による確認こそないものの、耳によって多目的教室への入室は確認されることになる。しかしわたしも片桐先生も、物音は聞いていない。

 すると檜山が多目的教室に侵入できるタイミングは、片桐先生が進路指導室を出たときしかない。杉谷の推理をそのままなぞるなら先生が進路指導室を出たかどうかは重要ではないが。つまり入室の際に伴う音を誤魔化せたかどうかがポイント。杉谷の推理によれば、わたしが進路指導室を退室後、廊下に待たせていた檜山を多目的教室に入れて殺害、という筋書きらしい。一緒に入れば扉の開閉は一度で済む。進路指導室にいる片桐先生にはわたしだけが入ったと説明しても誤魔化せる。多目的教室でせっせと殺人に勤しんで、後は呆然としたふりでもすればいいし、慌てた素振りを装って進路指導室になだれ込んでもいい。杉谷が偶然通りがかったことで随分シビアな計画になったとはいえ、無理筋とまでも言い難いか。

 とはいえやはり、わたしからすれば無理のオンパレードだ。第一、わたしには檜山を殺す動機がないし、殺すにしても杉谷に言ったように目撃されるリスクの高い校内で犯行に及ぶなど言語道断だろう。それにわたしは殺し屋でもないし必殺仕事人でもないから、音を立てずに檜山を殺すのは難しい。杉谷は油断を誘ってと言っていたが、わたしの運動能力の低さを考慮に入れていない。

 杉谷からすればそれ以外考えられないというのはあるのだろうけど、探偵生徒会、もう少しマシな推理はないのか。

 檜山が多目的教室に入ったタイミングと同様に気になるのは、多目的教室に争った形跡がないことだ。檜山がどれほどの能力を持っているのかは知らないが、たとえ中学二年生の女子といっても人間である。殺害しようとすればよっぽどのことがない限り抵抗はある。その物音も聞こえなければ、抵抗の形跡が現場にも残っていない。

 これが自殺なら話は早くて、暴れた形跡がないのも当然なのだ。だからわたしは自殺の線が強いと思っている。不確実に思える自殺の方法は置いても、檜山には自殺するに足る動機――Dスクールの入試さえ受けられないという絶望的な動機があるのだから。

 わたしの推理が正しい保証はない。ただ、この場はどうにか杉谷を打ち負かさないといけない。単に彼女の推理の粗を指摘してわたしが犯人である証拠はないと胸を張れば本来は済む話だが、そうはならない。

「わたしはやっぱり自殺だと思うんだよね。不自然な点はあるにしても。檜山が自殺する動機はあるけど、わたしが檜山を殺す動機はない。ていうか杉谷のその推理、檜山が自殺だったとしても問題ないよね? 要するに檜山が多目的教室に侵入できたタイミングは、わたしが進路指導室を出た直前しかない。わたしが多目的教室方面に目線を移す前に檜山がするりと侵入するっていう手段しか」

「でもあなたは、物音を聞いていないんでしょ。もし自殺なら、あなたは聞いているはずの物音を聞いていないと嘘をついていることになる。だからわたしはあなたが犯人だと思っているのよ」

 ああ、そういうこと。

「無論、自殺の線も捨てていない。でも逆に、殺人の線をはじめから捨ててしまって、犯人に証拠隠滅の時間を与えるのも馬鹿らしいからね」

 杉谷がわたしと一対一で向き合っているのは、そのためでもあるのか。この間に、生徒会の面々が多目的教室の捜査をしている……。自殺の線を完全に捨てていないから、まだ説得の余地はあるのか…………?

 しかし、だから面倒というべきか。

 もし檜山がこのまま死亡し彼女の口から真相が聞けなくなり、一方わたしが殺害したという確たる証拠も出なかった場合、彼女はきちんと自殺という結論に落ち着いてくれるのだろうか。

 探偵の存在意義に照らし合わせるなら当然そうなってくれるはずだ。だが、わたしはそこまで彼女を、探偵生徒会を信用していない。仮にそうなって自殺に結論が落ち着いたとしても、いつかそれを脅迫の材料にされかねない。

 檜山の件が実はお前の殺人だったと言いふらすぞ、とか。

 これは被害妄想が過ぎるにしても、そもそも殺人の嫌疑自体わたしからすればナンセンスなのだ。なにせわたしは殺人をしていないのだから、疑われる余地もない。檜山が回復するまででさえ、容疑者でいてやる義理はない。

 加えて探偵生徒会と銘打っていても中学生だ。わたしが檜山のことをうっかり片桐先生に話してしまったように、どんな守秘義務もうっかりで漏れかねない。それに壁に耳あり障子に目ありで、どういうふうに『黒鵜白羽が檜山殺害の容疑者である』という情報が漏れるか分かったものではない。そしてそういう情報は、伝言ゲーム式に細部を取り払われて最終的に『黒鵜白羽が檜山を殺した』になる。

 一度貼られたレッテルはそれの真偽に関係なく剥がれることはない。名前を変えて、人生をやり直すくらいのことでもしない限りは一生そのレッテルが付きまとうし、名前を変えてもしつこいやつは何時まで経っても食い下がってくる。

 だから身に降りかかった火の粉は、燃え広がる前にかき消さなければならない。

 そのための羽が、今のわたしにはある。

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