第47話 ここ最近の総括

いつのまにか三月に更新から丸二か月たったわけですが、私は何もしないで過ごしてましたね。

この間に確かに学校が始まったり、親族に一人が死んだりして結構浮き沈みしたりしてたんですけど

パソコンを開いて課題以外のことをする時間がなく過ぎていきましたね。

外にも出かけてないし、家の中で何かしてるわけでもないし

あ、でも、格段にゲームの時間は増えてちょっとはマシになったかもしれんと思うくらいには強くなってきましたねやっぱり弱いのは投入した時間が足りませんでした

よく人生をゲームに例えたりしますが、面白いたとえだしすごいその感覚分かりますよって拍手したくなります。

やっぱ最初のデフォのステータスって大事

それだから私は最初のリセマラ効かないガチャである程度爆死したもののそれに気が付けず人生の序盤を何の経験値も稼がずに(これは言い過ぎ)過ごしてまあ五分の一くらい過ぎたところでやばくねってやっと思ったわけですね(それもまた嘘)

厳密にはもう少し前には気が付いていたし、何ら十分の一セーブポイントあたりでうすうす気が付いていたわけだがそれを認めたくない自分の人格と認知し始めた人格が激戦でそこそこましだったステータスを青から黒にレートを下げてやっと堕ちた化け物から人間のかけら見つけ出す作業が終わったところらへん。それで、五分の一セーブポイントを通過して、いざ何がしたいかってなると消えかかった虚像に引きずられるわ、経験値足りなさ過ぎてしたいことはほとんどできそうもないし(厳密にはないわけじゃないけど、結構茨の道だし今のステータスと経験値じゃたちうちしようもない)いざこれならなんとかなるかもってやつは人生レベルと信用値の問題で今すぐは厳しい。罪やんけ。ま、いいんだけど。私は地道に経験値を稼ぐことを目標に生きていかなきゃならない。誰しも、すぐに反映されない経験値稼ぎなんてにがてなのにね。私は二度と経験値不足で泣きたくないのに、経験値積むことを渋ってる。めんどくさいから、だるいから。調子も悪いし、悪口しか出てこない。困っちゃう。

コロナのおかげで、であるく必要のある経験値稼ぎはしばらくしなくてもいいが家にいる間にも経験値をしっかり稼いでるやつはいる。少しばかり頭おかしすぎるだろと、自制心強めの人間の悪態ついてみたりするけどそれは全部それができてない自分が悔しくできる人への最大の嫉妬なのだから笑ってしまう。嫉妬するなら自分もやればいいのに。なんだかんだ理由をつけては逃げてしまう。一度化け物になるまで追い詰めた自分はとてつもなく都合のいい体となってる。正直ですこと。


今日は書きたいことが多いしここでの文章毎回だけど、まとまらんわ。


人が死ぬ。死。それって、特別なことなの?忌み嫌うものなの?

なんで、人が死ぬと人々は泣くのだろうか。私も悲しいという感情はあるし、物語の中で悲壮な場面に出くわすと泣いてしまうことだってある。でも、現実のことで人が亡くなった時に泣いた記憶はない。悲しさとうらやしさ、空虚な感情がいつも私の隣にやってきて主張を始める。きっと悲しくても泣けないのは親の男は涙を見せぬもの節が根強くいるのだろう。私、女だけど。昔から強い人になりたかった。あらゆる面で強い人に。今だってそう。強くなりたい。私にとって親の言葉は呪いであり核なのだから。だからか、人前で泣くのが本当に嫌でそれを避けるためだけに泣きたくなって休み時間に学校のトイレに駆け込んで泣いた記憶がある。悲しくなるほど悲しい記憶。まあ、これも自業自得といえばそうだし、自分の理想を他人にも強要した結果なので今は学習したけれど、苦しい記憶ではある。違いない。まぁ、私の強く見せたい願望はそのころからピークだっただろうし今もその断片は残り続けてる。何が言いたいかというと、強くなろうとした結果死に対する感情は凍結されたし、ほかの私を傷つける感情はその出来事が終わってから私の隣に来るよねっていうこと。そんな人間らしからぬなりそこないには苦しいっていう感情だけは如実に認知できるから困ってんだよねっていうことなんだけど。こんなにもややこしくまどろっこしく書いてるってことは人に理解してほしいわけでもないけど誰にも知られず消え失せるのは気に食わないっていう私のエゴなんだろうな。贅沢な生き物ですこと。死ぬことは私にとって非日常じゃない。いつもとなりにいるし、いつでも私を飲み込もうとする。ここに書いてることも代り映えのしないことばかりの繰り返しかもしれないけど、私はそれだけぐるぐる回ってる。例えば電車を待つときに、私は一歩下がる。黄色い線すぐ内側に居たら引きずりこまれる、自分から飛び込むかもしれないから。本気でその可能性があるから居っぽ下がる。友達(?)に電車に飛び込んで死ぬのはめんどくさいからやめろと言われたからだろう。非常に効果的な私の引き止め方だ。その一言で私は何度死を先送りにしただろうか。その友達とは現在とっても複雑な関係なのでちょっとめんどくさい。私がその友達に一方的に思ってる。向こうはどう思ってるか知らない。生き急ぎすぎの野良猫だと思われてるかもしれない。まあ、この友達の言葉も私を作る言葉になって呪いになって核になっていくだろう。そう、だから、死んだ人に対して、死に対して非日常だという感覚の人がうらやましい。一度崖の際まで行ってしまえば、戻ってきたと思っても壁の中には戻れない、多くの人が知らずのうちに崖の際に行って、そのまま死んだり戻ったりしているのだろう。きっと一度でも際に行ったことのある人には共感を得るであろう、二度と戻れない完ぺきには戻れない感覚。私は一生で十割分の能力を発揮することはない。過去にもなかったし、これから先の上限は七割以下になっているだろう。


まあ、グダグダ書こうとしてもめんどくさくなるし、課題の提出時間は迫るし夕飯の時間も迫る。

書きたいこと書いておきたいこと、残しておきたいことまだまだあったはずなのに一割もかけずに今回の総括を終わりにします。

次はいつ来れるかな。

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