最終話

「なぁ、ネームレスサマ」

「なんだオンド」

「……姫様と本当にやり合う気か?」

「ああ」



 待機室で俺は突然やってきたオンドに質問をされた。ここは決闘場。もう契約書の効果がないため誰でも自由に出入りできるようになっている。そのため、ヨームは俺と戦う場所としてここを選んだ。


 目が覚め、俺の能力をヨーム達に話してからあっという間に二日が経った。どうやら別の世界に行きたいという願望を持つのは王族だけではなく、魔族全体だったようだ。あっという間に俺の話は広まった。


 意外なのは誰もヨームが戦うことを止めなかったことだ。姫を犠牲にしてまで別世界を見てみたいとでも言うのだろうか。俺が思っていたより、魔族とは白状な奴らなのか。ちょうどいい、オンドが様子を見にきたんだ。そこらへんはっきり聞いてみようではないか。



「……オンド、お前は姫であるヨームが戦うことに関してなにも思わないのか?」

「いや……まあ、心配ではある」

「ならばなぜ誰も止めない?」

「たぶん何とかなるからさ」



 簡単にそう言い放った。どうにも噛み合わない。オンドめ、俺が一旦元の世界に帰ってからゴージィとかいう彼女ができてすっかりヨームに恋慕していた頃のことを忘れてしまったのか?

 ヨームと戦う相手であるこの俺が、ヨームのことを一番心配しているとは笑わせる。……苛々していても仕方がないな。そろそろ入場する時間だ。



「俺はそろそろ行く。それで結局、お前はここに何しに来たんだ?」

「一言、ネームレスサマに言っておきたいことがあってさ」

「なんだ」

「……死ぬなよ?」

「は? 殺すなよ、の間違いではないか?」

「そういうことでいいよ」



 よくわからんが、俺はとりあえず先へ進んだ。そしてあの日のように、決闘場への重厚な扉の前に立つ。……大勢の観客の声が聞こえる。たしか観客席は満員だそうだ。よくもまあ、自国の姫が暴虐の限りを尽くされるかもしれぬのに観戦しようなどと思えるものだ。

 やがて、扉が一人でに開いた。どうやらヨームはすでに決闘場の反対側で待機しているようだ。



「うおおおおお! ネームレス様ぁ!」

「魔人様! 大魔人様! 魔王様!」

「一体どっちを応援したらいいんだああああ!」



 勇者とここで戦ったあの日と違い、観客どもの顔色がいい。ところで俺は魔族達から英雄扱いを受けており、国内の一番大きな公園に銅像すら建てられるらしいのだが、ヨームと戦うことによって嫌われたりしないだろうか。心配ってほどではないが、少し気になる。



「来たね、ネームレスくん」

「ああ。ヨームもよく怖気付かずにこの場へ立ったものだ。その点は評価しよう」



 ヨームはいつもと変わらぬドレスを身に纏っている。普通のドレスよりは動きやすそうだが、それでも戦闘向けではない。

 手には彼女の身長以上の長さがある立派な杖が握られている。この世界の杖にはマナ魔法の発動を促したり威力の増幅、発射飛距離の延長といった効果があると聞いた記憶がある。



「ヨーム、お前は俺の初めての友人だ」

「うん、私にとってもネームレスくんは大事な友達だよ」

「……だからと言ってそちらから仕掛けてきた勝負、手を抜くつもりはない。大怪我をしても恨むなよ?」

「大丈夫、そのつもり。でもネームレスくん、私からも言わせて」

「なんだ?」

「私、本気出すから。どうか死なないでね?」

「ふははははは! たいした自信だ」



 しかしそのセリフ、さっきオンドからも聞いた。この俺が死ぬほどの攻撃など、俺の世界の勇者以外に放つことができるものか。この世界の勇者による本気の攻撃すら耐え切って見せたのだ。

 王族専用の席にエッツラ王が現れた。彼が声を上げ、右手をあげれば始まるという手筈になっている。



「二人とも、準備は良いかの!?」

「うん、いいよおじいちゃん」

「俺もかまわん」

「では……始めじゃああああああああ!」



 さて、始まった。俺の力さえあればヨームを小突くだけで気絶させられるだろう。なるべくそれを狙って行こう。とはいえ魔法くらいは使ってくるだろう。回避性能を高めるために速度上昇魔法を自分に唱えて……。



「第九十項目魔法アース・ナインティーンっ!!」

「な、なにぃ!?」



 九十項目だと……!? しまった、ヨームがそこまで高度なレベルの魔法を使うことを予想していなかった。

 ヨームが杖をつくと地面が盛り上がり、やがてそれは山のようになる。俺はその山に飲み込まれ天辺で頭だけ出している状態になってしまった。全力でもがいているが流石に九十項目の魔法、すぐには抜け出せそうにない。しかも締め付けがこの肉体で苦しいと感じる程に強いのだ。



「第八十八項目魔法ファイア・エイティーンエイト!」



 ヨームは自分で作った山の一部に杖を突き刺し、火の魔法を唱えた。その瞬間からこの山が下の方から真っ赤に染まっていく。ぐつぐつと音を立てつつ俺がいる頂点まで達したその紅は、まるで火山の噴火のように一気に吹き出した。もちろん、俺を巻き込んで。



「ぐおおおおおおおおおおおお!!」



 ヨームは自分の魔法を消したのか、俺が空中へ打ち上げられた瞬間に山が消え去った。俺はそのまま落下し、地面へと墜落する。

 ……なるほど、なるほどな。オンドとヨームの言っていた死ぬなよ、とはこのことだったか。魔族共のやけに余裕ぶった態度はこのためだったか! 

 ぬかったわ……姫であるという立場であるが故に、強くないだろうと、鍛錬などしていないだろうと、勝手に思い込んでいた! めちゃくちゃ強いではないか。勇者なんて比較にならないほどに! 



「よかった、ネームレスくん、生きてるんだね!」

「く、くそが……ギガンエイド、ギガンアクセル!」

「よし、来て!」

「うおおおおおおっ! 魔王キック!」



 ヨームに向かって速度上昇からの飛び蹴りをかました。しかしヨームは冷静に、一直線に飛ぶ俺を横に避けながら杖で叩いてきた。杖と俺が接触した瞬間、俺の体は一気に力を加えられた方向にすっ飛んでいく。



「ぐおっ、ぐあああ!」



 ……ど、どうやら詠唱せずに魔法を発動したようだ。それを杖に込めて殴り付けてきたのだろう。まさか魔法だけでなく武器の扱いも慣れているとは。さっきまでヨームのことを心配していた俺を殴りつけたい気分だ。こうなったら一か八か。この一撃にかけるしかあるまい。



「ソ、ソードダークネス!」



 素早く剣を抜き、放った俺の最高火力の一撃は地面と空気をえぐりながらまっすぐヨームのもとへ飛んでいく。俺が剣を抜いた時点でこの攻撃をすることは分かっていたようで、ヨームは杖を両手に持ち……。



「第百項目魔法、インパクト・ハンドレッド!」



 魔法を唱えながら打ち返してきた。……百項目魔法まで使われてはどうしようもない。

 すでに多大なダメージを受けている俺は跳ね返されてきたソードダークネスを満足に回避することができず、腹のど真ん中に受けてしまった。俺が初めて死にかけた日を想起させるような痛みが全身を駆け巡る。それもそのはず、ただでさえ威力の高いソードダークネスがヨームの魔法の力が加算されたことにより……背中まで突き破ったのだ。



「ぬわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ……ッ!!」

「や、やりすぎちゃった……ネームレスくんっ!!」



 ヨームが駆け寄ってくる。彼女は俺に触れるなり、回復魔法を唱える。



「第百項目魔法ヒール・ハンドレッド!」

「はぁ……はぁ……」



 腹を貫通していた剣が捻り出され、俺の傷口は塞がった。また百項目魔法か。とんでもないなヨームは。

 ……ああそうな、俺が魔王と分かってからいち早く慣れてしまった様子だったのは強者だった故か。

 そして、今思えば、人族共がしきりに魔族をどうにかしようとしていたのはこのせいだったのかもしれない。欲望ではなく、魔族全体に対する恐怖心に駆られていたのだ。そしてマナの優位性を生かして、この強力すぎる力を封じ込めようと……。



「ごめん、ごめんねネームレスくん。死なないで……っ! 死んじゃやだよ!」

「こ、このくらいで……死にはしない。たぶん。だから泣くなヨーム……」

「ぐす……本当にすごいね、ネームレスくんは」

「どの口がいう……俺の完敗だ」

「……ってことは!」

「ああ、お前らの娯楽に好きなだけ付き合ってやる……」



 ここまで徹底的に叩きのめされてしまってはそういう他あるまい。好きにしてくれ……と言った感じだ。ただ一つだけ条件をつけてしまおうか。それくらいなら許されるだろう。



「よ、ヨーム……」

「どうしたのネームレスくん」

「……俺からもお願いがある」

「いいよ、なんでも言って」

「魔族全体で……俺が強くなるのに協力しろ」

「うん、わかった!」



 生きており、傷が塞がったとはいえ身体が十分に動かない。やがて兵士達が駆けつけてきて俺を担架に乗せた。そして決闘場から待機室へ運ばれ、俺は一旦そこで寝かされることとなった。

 ヨームは隣で優しく俺の片手を握っているが、何かを思い出したのか、それとも思いついたのか。ゆっくりと話しかけてきた。



「そういえば、そっちの世界の魔王は私達が魔人のことを記録するように、自分たちのことを本にするって言ってたよね」

「ああ、その通りだ」

「……記録係の魔物、いないんだよね? せっかくだし、ネームレスくんの世界に行ったら……私が書こうか」

「それは頼もしい。いい考えだ……」



 記録が得意な自分の親しい友人に、あの本を任せる。なかなか悪くない。いや、むしろ素敵だ。ヨームになら大切な俺の記録を任せてしまってもいい。一度、俺のことを記録しきったゆえ尚更だ。

 そういえばこの世界での俺の記録の題名はどうなったのだろうか。この際だしきいてまるか。



「なぁ、ヨーム。こちらの世界の俺の記録、結局題名は決まったのか?」

「ううん、まだ。しっかり記録はし終わったのに、未だにそれだけがどうしても決まらなくて。……それにネームレスくんはさらにあれから活躍したから、どのみちそれも書き直さなきゃ」

「そうか……」



 無論、まだ俺の世界の俺の記録も題名は決まっていない。……俺は題名のない魔王ネームレス。まだ、不完全な魔王だ。勇者に敗れ、ヨームに敗れ。となると、双方、題名が決まっていないのは都合がいい。



「ならばヨーム、本に題名を付けるのは……まだまだ先にしてくれ。先程言った、俺の世界での記録もだ」

「いいけど……どうして?」

「俺が弱いからだ。カッコいい題名をつけたいが……その題名自体に負けてしまいそうなほど。だから、俺は題名のない、名前のないままであり続ける。少なくともヨーム、お前を圧倒できるほど強くなるまではな」

「ふふ、わかった。でも私を超えるとなると、長くなるよー?」

「構わん……。それまで俺は、題名のない魔王でいつづけるさ」



 題名のない魔王ネームレス、俺はこの名前をいつまで使い続けることになるのだろうか。

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