最終章 宗教戦争編

36.妻と母が相争っている話

 僕、イーサン=アンセットは神の化身である。


 前世、別の世界で普通の大学生として暮らしていた僕は、不幸な事故により十九歳でその生涯を終える。

 そしてその後、神の采配によりこの世界に転生した。

 十四歳の誕生日に前世の記憶と、神に与えられた使命を思い出した僕は、それ以来「神の化身」として日夜布教活動に励んでいる。


 神の化身とは、直接地上に干渉できない神に代わり、神に与えられた力をもって奇跡を起こし、信者を集める存在だ。


 奇跡の力を私利私欲に用いぬよう、また、神の名ではなく自らの名を広めたりせぬよう、魂に首輪のろいをつけられてその行動を制限されている。

 具体的には、「生きたまま八つ裂きとなって一千一秒の間絶えることなき苦痛を与えられ、死後も地獄の最下層で無限の罰を受け続ける」とか、マシな方でも「死後も天界に迎えられることはなく魂ごと無へ返される」とか、そういうふざけた奴だ。


 そんな神の化身業を始めてから、丸十年と少し。

 僕はとっくに前世の享年を追い抜いていた。


「あら。随分とお疲れですね、シュよ」


 聖央都中央大聖堂セントセントラルセントラルカテドラルでの朝拝を終え、聖央都東セントセントラルイースト中央大聖堂セントラルカテドラルへ向かおうとした僕を呼び止めたのは、宗教法人・真なる神を祀る会(通称・真神会しんしんかい)の創始者にして、現在は聖央都総合事業所で実務の中枢を取り仕切る総指導者マスターオブマスター、マドレーヌ=テステュー……ではなく、彼女が育てた司祭の一人だ。

 毎週末に行われる聖央都中央大聖堂での朝拝では、聖典朗読の指揮を執っていた。

 司教以上はともかく、司祭助祭クラスになると個々人の名前もうろ覚えなんだけど、僕を「主」と呼ぶのは、大体テステューさんの息のかかった人間だと見て間違いない。


 ああ、うん。

 サラッと流しかけたんだけど、この大聖堂ね。名前ね。

 僕が付けたわけじゃないんだけどさ。


 真神会では礼拝所を収容人数によって大聖堂カテドラル聖堂チャーチと呼び分けるんだけど、信者の多い地区にある事業所には複数の聖堂があることも多い。

 大聖堂が複数ある場合は、最も重要な儀式を行う場を中央大聖堂セントラルカテドラルと呼び、例えば霊廟都市グレイバラ総合事業所の中央大聖堂なら霊廟都市中央大聖堂グレイバラセントラルカテドラルと呼称することになる。


 ここまではいい。問題はここからなんだよ。


 四年前の僕の二十歳の誕生日、僕の生まれ育った街は教団によって聖地認定を受け、同時にその名を聖央都セントセントラルと改めた。

 宗教法人としては税金は払ってないんだけど、この街の急発展は実際教団の力が九割だ。自治体の名前を一つ変えるくらいは何でもない、とのことらしい。


 街の名前が聖央都になったんだから、当然そこにある中央大聖堂は、聖央都セントセントラル中央大聖堂セントラルカテドラルとなる。

 スッと言えるようになるまでに、一ヶ月くらいかかった。 


 なお、先だって聖央都大字中央に新しく出来た事業所には、聖央都中央セントセントラルセントラル中央大聖堂セントラルカテドラルと呼ばれる建物がある。

 口に出して呼ばなきゃならない時は、後ろ手に指折り数えている。


 で、その聖央都中央大聖堂セントセントラルセントラルカテドラル総指導者マスターオブマスターを勤めているのが件のテステューさんで、この司祭は朗読指揮リーディングリーダーを担当している。


 いや、だから、僕が考えたわけじゃないんだよ。

 僕運営とか組織とか全然絡んでないからね。

 命名段階で知ってたらツッコミくらい入れるからね。


「お疲れって、そう見えますか?」

「見えますよ。後光に書いてありますもの」

「えっ」

「冗談です」


 ぎょっとして振り返った僕を見て、くすくす笑う。

 何だよ後光って。そんなの出てないよ。出てないよね。


「ひょっとして、嫁姑問題ですか?」

「おおっ。流石ですね」


 かつて真神会の前身となった教団で「過去十代で最も女神の力を強く受け継ぐ教祖」と呼ばれていたテステューさんは、異常とも言える洞察力を持っていた。流石はその弟子と言った所だなぁ、なんて素直に思っていたら、


「その大戦争中の国家元首が、今朝ほどラウンジの方にご来訪されましてね」


 と早々に種を明かされてしまった。


「今はマドレーヌ総指導者がお相手中でしょうから、東事業所に出られる前に、ご挨拶だけでもして行かれませんか」

「あ、そうなんですか。じゃ、顔だけ出して行こうかな」


 この時間帯だと信徒用喫茶店、通称ラウンジ(普通の名前だ)には朝拝帰りの一般信徒もちらほらと見られるけれど、ここは司祭以上が貰える割引券無しではちょっと敷居の高い値段設定のお店なので、普通の人は寄るにしても事業所お向かいの個人経営喫茶に集まる形になる。ので、基本的にそれほど混雑するということはない。

 司祭の後をついて聖央都総合事業所セントセントラルジェネラルセンター玄関付近にある信徒用喫茶店に到着すると、なるほど、確かに母がテステューさんと談笑していた。

 遠目には何の話をしているのかよく判らないけれど、随分と盛り上がっているように見える。

 他人の話は積極的に拾うも卓越した洞察力故に早々に話の核心や本題をついてしまい、会話が長続きしないテステューさんと、同じ話を何度も繰り返し、たとえ数分前にその場の誰かが口にした話題だろうが平気で俎上にあげられる母とでは、「雑談」をする上での相性が非常に良いらしい。


「本当、マドちゃんが義娘むすめだったら良かったのにねぇ」

「我々は皆シュの愛し子ですから、お母様から見れば孫に当たりますね」

「ふふっ、マドちゃんはインテリねぇ」


 近付いた所で、何の話をしているのかよく解らない。

 なお、ここで言う「マドちゃん」とは、母がテステューさんを呼ぶ際のニックネームである。


 僕はひとまず声をかけることとした。


「おはよう、母さん」

「あら、イーちゃん。おはよう」

「おはようございます、主よ」


 僕が二人と合流したのを見届けた司祭は、では私はこれで、と一礼して場を後にした。


「イーちゃんも聞いて。あの鬼嫁たら酷いのよ」


 先程までにこにこしていた顔を急にしかめ、母はそんなことを言う。


「鬼嫁って。またいつものくだらない喧嘩でしょ」

「主よ、くだらないとは言いますけど、一応世界規模の話ですよ」

「一応って言っちゃってるじゃないですか」


 一応世界規模のくだらない喧嘩。

 うちの母と妻の、大人気ない争いだ。


 妻と籍を入れたのは去年のことで、当初は嫁姑関係も良好と思われたんだけど、切欠は些細なことなんだよなぁ。些細な世界規模なの。


「この後また別の事業所で朝拝あるから、愚痴はまた今度聞くよ」

「もう、イーちゃん! 貴方どっちの味方なの!」

「これでも両方の味方だよ。テステューさんも、お忙しいのにお時間取らせてすみません」

「いえいえ、私も楽しかったですよ。午前中は書類仕事だけですから、何とでも出来ますし」


 不満そうにする母を出掛けに見送ろうと、玄関方向を振り向いた所でだ。


「あ、やっぱりここだった!」


 妻が来た。


 わざとらしく肩で息を吐きながら、膝に手をついて小休止。

 それから母に詰め寄ると、左手を自分の腰に、右手を胸に当てた姿勢で、諌めるような声音と表情を作って、大きく溜息を吐きながらこう言ってみせた。


「お義母さん! 週末のこの時間は朝拝でみんな忙しいんだから、迷惑かけちゃ駄目じゃないですか」


 対する母は目を眇め、拗ねるように口を尖らせて答える。


「貴女にお義母さんと呼ばれる筋合いはないわぁ」


 筋合いあるからね。僕の嫁だから。


 助力を求めてテステューさんを振り向けば、困ったような苦笑を浮かべながら、手を振って廊下を奥――自分の執務室のある方だ――へ向かって行くのが見えた。

 まぁ、仕事優先だよなぁ。


 事業所の職員や一般信徒は遠巻きに様子を窺っているけれど、特に干渉しようという気配も見られない。


「大体、迷惑かけているのは貴女の方じゃないの! 何なの、“本家・真なる神を祀る会”って!」

「それはお義母さんが解ってくれないからでしょ! 教団分裂もやむなしです!」


 ラウンジ脇の広い廊下の中心で、嫁姑はまるで舞台女優のように声を響かせ、大袈裟な身振りで言い合いを繰り広げる。

 どう見てもすっごい仲良しなんだよなぁ。


「神の化身であるイーちゃんを生んだのは、母の私! だから聖母は私でしょう!」

「神の子を生んだ親が聖母ですよ! サニーの子供を生んだら私が聖母になるんです!」


 まるきり子供の喧嘩だよ。


 聖央都中央大聖堂は元々あった“真なる神を祀る会”(本家と区別して元祖と呼んだりもする)の管轄なんだけど、聖央都東中央大聖堂は“本家・真なる神を祀る会”の管轄だ。

 お陰で、毎週末僕は二つの事業所で別々に儀式を行わなきゃならないということになっている。


 半ば悪ふざけで勝手に教団を分裂させる幼馴染み、にして我が妻、レイン=アンセットもどうかと思うけど、それで分裂しちゃうのは、レインの手腕がどうこうって話でもないよなぁ。

 真神会の前身の教団が、わりとあっさり宗旨替えをしたのは九年前だけど、その気風を引きずってもいるんだろう。

 別にいいんだけど。


 僕は、たまたま近くを通った青年司祭に「ちょっと急がないと本当に遅刻なんで、後お願いします」とだけ告げ、嫁姑戦争を前に硬直する彼を尻目にして、玄関前ロータリーへ向け走り出した。

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