25.巫女と差しでアイスコーヒーを飲んだ話
台風が過ぎ、その後の涼しさが過ぎて、また戻って来た炎天下。
待ち合わせ場所にターミナル駅を指定するという暴挙は、田舎村から久方ぶりに出てきた故のケアレスミスだろうと思うし、僕もそれを指摘できなかったわけだから、文句を言える立場ではない。
東口改札から駅東口へ、駅東口から地下東口へ、地下東口から東南口へ辿り着いた所で、ガードレールに腰掛ける待ち人を発見した。
長い黒髪を押し込んだピンク色のキャスケットに、セルフレームのピンク縁眼鏡は、変装のつもりなのかもしれないけれど、別に彼女は世間的にはそれほど有名でもないし、元々彼女を知っている人間にとっては逆に
そんなことを考えていると、向こうもこちらに気付いたらしく、立ち上がって手を振ってきた。
「あ、いたいた、
きっとこの場にいる人々には、僕の名前はシュー、又はそれをニックネームとするような名であると認識されたんだろう。
しかし、それは凡俗の浅墓な勘違いであると言わざるを得ない。
僕の名前はイーサン=アンセット。神の化身だ。
ここでいう神の化身というのは一般の認識とは異なり、「神の指示により、神を名乗って奇跡を起こし、神の代わりに信仰を集める技術営業」のことを示す。
一般家庭に生まれ育った僕は、十四歳の誕生日に前世の記憶と化身の使命を思い出し、地道な布教活動により、最近自分を信仰する教団を持つに至った。
その最高責任者である“代表巫女”なる役職を持つのが、待ち合わせ相手とのマドレーヌ=テステューさんで、つまり“主”というのは……いや、ここまで説明しても僕自身やっぱ納得いかないな。
なんだ、“主”って、その呼び方。
おかしくない?
「その呼び方やめません?」
「と言いましても、主は唯一にして絶対、万物の主ですからね」
あはは、と笑いながら電波なことをいうテステューさんだけれど、電波についても僕が人にどうこう言える立場ではない。
「それより、わざわざ遠い所をお疲れ様です」
「いえいえ主よ、こちらこそ随分と歩かせてしまったようですみませんね」
主だ何だと言いながら随分軽いのは、
「とりあえず、暑いのでお店入りません?」
と、僕は横断歩道を渡った先の、喫茶チェーンを指差した。
***
僕とテステューさんは、神と巫女の関係ではあるんだけれど、実際に顔を合わせるのはまだ二回目ということになる。勿論、脳内に直接オラクルを授けているわけでもない。僕はそんな能力持ってないし。
半月ほど前に起きた事件で僕達は知り合い、諸々あって彼女は教団丸ごと僕の信者になったのだ。当然宗旨替えによって離れていった信者もいたけれど、全体から見れば微々たるものだった。
歴史のある教団なのに信者のほとんどが反発しなかったのは、まあ色々と理由があるのだろうけれど、教祖の求心力も二割くらいは影響していたのかな。
そんなによく知らないから、何とも言えないんだけど。
そんな僕達なので、一杯目のアイスコーヒーを飲み終え、「天気の話」と「旅程の苦労」を話し終えると、最早、共通の話題と呼べるものは「前回会った時の話」しか残っていなかった。
「そういえば、あの事件の時の話なんですけど」
「あ、はいはい、何でしょう」
当時、テステューさんが教祖を務めていた教団で発生した、殺人未遂事件。
今回彼女がこちらに来たのも、一度改めて僕にその時のお礼を言いたいということでだ。
それだけのために、わざわざ何時間も電車やバスを乗り継いで来ることはないと断ったんだけど、最終的に押し切られてしまった。
事件発生当初は彼女もショックを受けていたような受けていなかったような感じだったけれど、被害者も完治した今となっては、ちょっとした持ちネタ程度の感覚になっているらしい。
流石は、「過去十代で最も女神の力を強く受け継ぐ教祖」と呼ばれた人だ。その胆力、慧眼、才知、魔力においては、常人を大いに上回る。
毒属性で魔力があっても何の役にも立たない、と本人は苦笑いするのだけれど。
「あのユリアンさんの長広舌、覚えてますか?」
「ああはい、一字一句違いなく。えぇと、体温から見るに倒れたのはつい先程外傷もなく争った様子もないし周囲に鈍器となるようなものも」
「ああいえ、別に暗唱はしなくても良いんで!」
いきなり落語みたいな回答を飛ばしてきたテステューさんに、僕は慌ててタイムを取った。
流石は「過去十代で最も女神の力を強く受け継ぐ教祖」と呼ばれた人だなぁ、とは思うけれど。
「はい、では内容のことで何かありましたか?」
首を傾げながら、氷水をカラン、と鳴らして一口。
僕もコップを手に取り、咄嗟のツッコミで乾いた唇を軽く潤して続ける。
「ほらあの、蟹やウニがどうこうって」
「ああ、先程蟹やウニを使って教祖が送ってきたメッセージ、というくだりですね。メッセージ内容の話ですか?」
打てば響くような会話だけれど、こうしてすぐ結論が出てしまうことが、さっきから会話が続かない一因でもあるんじゃないかな。
「そう、それです。ユリアンさんもテステューさんも、当たり前のように話を進めちゃったので」
蟹やウニというのは、事件の直前、僕や、同行者のユリアンさん達がテステューさんと初対面した時に、彼女が自分の代わりに椅子へ座らせていた、妙にリアルな模型のことだ。
あれ自体も意味はわからなかったけれど、あれにメッセージが込められているということの意味を、聞きたくても空気的に聞けなかったことが、今日までずっと胸の奥でもやもやしていた。
話の種にするついでに、この機会に疑問は解いておきたいしね。
「あれは簡単ですよ。まず、蟹が意味する所はピースサイン、つまり『平和にやりましょう』ってことです」
どうしよう、一つ目からあんまり簡単じゃないぞ。
「ウニは、外面の近寄り難さ、鋭さと、内面の柔らかさの暗示。つまり、『モンタン司教は案外良い人ですよ』ってことですね」
ウニを見せられてそこまで理解できる人間がいるんだろうか。
あ、いたいた。ユリアンさんだ。すごいね。
「ホヤは、不要になった時点で自分の脳を食べてしまう動物です。要するに『あまり頭だけで考えるな』って意味ですね」
なるほどなぁ。
「シャルル司祭に思い直してもらおうと、様子がおかしくなった数日前からメッセージを送り続けていたのですが、結局私の想いは伝わらなかったようです」
テステューさんはそう、哀しげに目を伏せる。
そりゃ伝わらんわ。
そして会話が途切れた。
***
水を飲み干したコップの中で、融けた氷が崩れて、小さく音を鳴らす。
「でも、主には本当に感謝してるんですよ」
ぼそりと、テステューさんが呟くように言う。
そう言われても、どうも僕にはしっくり来ない。
「何かあんまり僕の手柄って感じもしないんですけど。それに、テステューさんのことだって、教祖から巫女に降格? させちゃいましたし」
事件はユリアンさんが真面目に証拠を探す気にさえなれば、彼だけでも大体解決できていただろうし。
モンタン司教は一応僕が命を救ったことになるんだけれど、正直僕は大したことをしたつもりはないし。
何より、他人の信教、拠所や、教団内での立場を、突然現れた僕なんかが壊してしまったことには、未だに心の奥で引っ掛かりがある。
「あはは、いえ、感謝っていうのは、むしろそっちの方なんです」
元教祖は、そんな僕の負い目を、笑って否定した。
「私、元々教祖なんてガラじゃなかったんですよ。女神の子孫って肩書きも重くって」
柔らかくなった氷を一つ口に含み、噛み砕く。
軽く舌で弄んでから飲み下し、続けた。
「
「一応、名前くらいは。商売敵ですからね」
「そこの教祖の娘が私の一つ上で、大学の同回だったんですけど。その子も将来教団を継がなきゃならないって、二人して、やだねー、なんて」
そう言って、とろけたような表情で、テーブルの上にぐてんと身体を倒す。
そのまま上目遣いで僕を見て笑った。
「あっちは大した教義も縁起もないんですけど、まぁ地縁だけは強い所で」
何だか名家の跡継ぎ問題みたいな話だけれど、実際に名家の跡継ぎといえば、そうなんだもんなぁ。彼女の家が代々教祖を務めていた宗教法人・女神の涙は、歴史も長く、規模が縮小されたとはいえ現在も比較的多くの信者を抱える教団だった。
これが一般企業なら結果を出せば自信もついてくるのだろうし、彼女の能力ならばそれも不可能ではない気はするけれど、宗教団体が出すべき「結果」とは何だろう。信者の増加、政界進出、教育機関の創設、書籍のベストセラー。そんなことは何にもならない。
現世利益にせよ死後の安寧にせよ、信じる者すべてに与えられないのであれば、宗教としては二流も良いところだ。
僕は感心と納得の表情で、こう口を開いた。
「へぇ。ところで、その“氷柱の輪”で明日、氷のトリックを使った殺人事件が起きますよ」
自分でも、何を言っているのかよくわからなかった。
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