光の手形 ~異世界で神の化身に転生した~
ポンデ林 順三郎
第一章 降臨編
01.授業終わりに魚を買おうと思った話
うちの大学の正門前には、砂利敷の空き地がある。
一昨年までは普通の民家があったらしいんだけど、住人が引越して、ここは更地になった。
それでも一応私有地のはずなんだけど、大体週に一度くらいかな、無農薬野菜や果物の移動販売が来たりする。
農家のおっちゃんが軽トラでやってきて、段ボールに油性マジックの値札を並べ、キュウリやポン柑を売っている。
値段の割に量が多いので、自炊の柱として僕もたびたびお世話になっていた。
その空き地に、今朝は魚屋の行商が来ていたのだ。
内陸地であるところの我が県で海魚が安く手に入ることは滅多にない。
「そんな前時代的な、今の日本の流通力で山も海もあるか」と君は言うかもしれない。
「魚くらいスーパーに行けば売ってるだろ」と笑うかもしれない。
しかし、二年も一人暮らしで自炊を続けていれば嫌でもわかる。人はパンと水のみにて生きるにあらず。小麦粉と豆腐と小松菜だけで生きるのだ。
「ここ、何時までやってますか?」
平静を装って尋ねる。ここでがっついては足元を見られ、値を吊り上げられるかもしれない。
「悪くなるからねえ、昼前くれえかね」
店主のおばちゃんは値札を並べる手を止め、僕に向き直ってお答えてくださった。
その値札たるや。カレイ一枚百七十円。破格である。
「絶対後で来ますんで! 二時間くらいで戻りますんで、まだいてくださいね!」
僕はがっついて叫んだ。
おばちゃんは「待っとるよ」と手を振ってくださった。
今日の講義は一限と四限だけだから、一限が終わったら即行で何か買って帰ろう。カレイが極めて魅力的である。この機を逃せば僕は一生カレイになどありつけぬやもしれぬ。
そんなことを考えていたのだ。
実に半年近くぶりの全力ダッシュで正門を潜り抜けた僕の目の前に広がっていた光景は、地獄であった。
「フギャアアアア!」
「シャアアアア!!」
猫である。猫の大群が軽トラを埋め尽くしていたのだ。
完全に煮付けの胃袋になっていたのになとか、これじゃ買うのは無理だなとか、魚屋さんも災難だなとか、未払いでネット止まってるからツイートはできねえなとか考えながら写真を撮っていた僕は、ふとあることに気がついた。
店主は何処にいるのだろうか。
猫は荷台のみならず、タイヤや軽トラの窓までもを埋め尽くしている。
その猫と猫との隙間から覗く窓の中に、人の影が見えた。
(うわ、これはやばいんじゃないの)
窓の隙間から覗く店主のおばちゃんは、猫への恐怖にパニックを起こしているようだった。それはそうだ。奇声を上げて牙を剥く無数の猫、百年の猫好きだってトラウマを負うレベルだ。
義侠心に基づき、僕は鞄を振り回して猫を追い払った。
「ほらっ、離れろって、ほら……うわっ痛っ! やめっ! このっ!」
噛まれたり引っ掛かれたりしつつも、どうにかドア付近の猫を蹴散らし、おばちゃんを救出する。
過呼吸気味で礼を告げるおばちゃんと共に、荷台を荒し尽くした猫が一匹、また一匹と去るのを眺め終えた僕は、自宅へ戻るとその日は午後の講義を自主休講し、そのまま眠ってしまった。
翌日、猫にやられた傷が元でか、高熱を出して寝込んだ僕は、料金未払いで止まっていた携帯では助けを呼ぶことも出来ず、ひっそりと、孤独死に至ったのだ。
***
「最愛なる家族よ。目を覚ましなさい」
そうして、知らない人から家族呼ばわりされて、目を覚ました。
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