第36話 煮え湯

 ローラン卿とソフィアは、テラスにいた。

「てっきり死んだとばかり……夢じゃないんだな」

 ローラン卿がソフィアに甘く語り掛ける。

「私も、ローラン様が今日ここにいらっしゃると教えられて……どれ程この日を待ちわびたか」

 二人の距離の近さが、その関係の深さを物語っていた。

「ソフィア」

 その二人の前にベアトリスが立つ。静かな言葉に、怒りが込められている。

 ローランは、流石に自分の非礼に気付いたのか、ベアトリスに慇懃な礼をする。しかし、それをソフィアが間に入る形で遮る。

「オスカー、少し待ってて」

 そう言うと、ソフィアが歩き出した。話しかけようとするベアトリスに有無も言わせない雰囲気を纏っている。

 二人は、ローラン卿を残し、廊下の先に移動した。忠興と、モーレットがそれを見守る。

「ソフィア、これは一体どういう――」

 ベアトリスが口を開こうとした瞬間、ソフィアがそれに被せて言う。

「黙れ、下郎がっ!」

 いつもは柔和なソフィアからは想像もできない剣幕である。

「貴族ごっこはお仕舞よ。身の程を知りなさい」

 ズイッと、胸をベアトリスに寄せる。

「見ての通り、ローラン様と私は将来を誓い合った仲、ましてや平民出のお前などが口を挟めると思ったか」

「金で爵位を買って貴族の仲間入りをしたつもりかもしれないけど、品性は金では買えませんわ」

 一気に捲し立てる。あまりのことに、ベアトリスは面食らったように立ち尽くしている。

「どんなに着飾ったところで、売女にしか見えないわ。分かったら端っこで大人しくしていなさい」

 そう言うと、ソフィアはそのままローラン卿のところに戻って行った。ベアトリスと言葉を交わす気すらないということである。

 「かー、女は怖いね。自分の家を乗っ取ったベアトリスに恥を掻かせるために、今日まで従順なメイドを演じていたってか……」

「これで、ローラン卿と結婚すれば、貴族社会に返り咲きってことか」

 モーレットが愉快気に声を上げた。

 ベアトリスも、ここに至って、ソフィアの真意に気が付いたようである。

 肩が震えている。

「何……平民が、夢を見たらいけないの……」

 いつもは居丈高な声に嗚咽が混じっている。

「剣で手に入れた爵位と、金で手に入れた爵位に何の違いが……人を斬らない分、金の方がよっぽどマシじゃない」

 口調も、いつもの上品ぶったものではない。地の調子が出ている。

 そんなベアトリスの手を忠興が取る。

「左様、戦は剣のみでするものではありませんぞ。勝負はまだ……これから」

 そう言って、お辞儀をする。

 忠興なりに気を使ったのである。

「ヨイチ……」

 ベアトリスが涙を拭う。

「いざ」

 忠興が、ベアトリスを会場に誘う。ベアトリスもそれに従った。


 果たして、会場に戻ったベアトリスに、ジュリアン王子が近づいてきた。忠興が一礼して道を開ける。

「先ほどは、オスカーが失礼した」

 気弱そうな男であるが、誠実さがにじみ出た顔をしている。

「無粋な男なのだ、許してやってくれ」

 にこやかに話しかける。王子とオスカーは、王とその側近の息子同士で、年も近い。謂わば兄弟同然の間柄なのである。

「君がオスカーと踊り終わるのを待っていた……と、いうのは王子らしくはないかな」

「どうにも引っ込み事案なのが、私の悪い癖だ」

 そう言って、ベアトリスに手を差し出す。

 確かに、この王子は軟弱とも揶揄される男ではあるが、フロンの騎士らしく女性を立てるという騎士道精神は持っている。

 友人の無礼を、自分が清算しようというのである。

 いや、それだけではない。ベアトリスもまた、居並ぶ他の女性の中でも群を抜いた美しさを誇っている。

 それを再び、王子がその美しさを会場中に知らしめたのである。

(なかなか……)

 その様子を忠興は、好意を持って見ていた。

 先ほどのローラン卿とソファイの踊りは、お互いの感情をさらけ出すような官能的な踊りであった。

 それに対し、王子の踊りは、徹頭徹尾、ベアトリスの美しさを引き出すことに徹しているように忠興の目には見えた。

 そこに、忠興は王子の度量を認めたのである。

 ソフィアに煮え湯を飲まされたベアトリスであったが、王子のお陰で面目を保つことができたのである。

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