はじめてのデート ②
店舗を構える店も多いが、即席の露店はもっと多い。
食べ物、小間物、地方の特産品……骨董品や家具まである。
たくさんの店を歩きながら眺めて、杏奈とヒューゴは二、三の店で買い物をする。
フロリアーナにはドライフルーツを砂糖で覆った小さな可愛い菓子を。
ハリーには剣の稽古の後で飲むように、とはちみつ入りのジュースシロップをそれぞれ見つけて求めた。
使用人たちにも、といろいろ買い込んだが、屋敷に届けてくれるということで荷物にならないのもいい。
にこにこ満足な杏奈を連れて歩くヒューゴが、ふと露店の前で足を止める。
「なにかありました?」
「い、いや」
そこは平台にアクセサリーを並べた店だった。
「わあ。素敵ですね」
「そっ、そう思うか」
「細工が丁寧ですし、デザインもちょっと珍しい気がします」
「おっ、見る目あるね! 美人な奥さんにぴったりだよ。旦那さん、プレゼントにどうだい?」
(っきゃあ! ちょっと、奥さんだって、
一瞬ヒューゴの眼力に怯んだものの、店の主は商売人らしく即座に平静を取り戻し、抜け目なく品を勧めてくる。
「奥さん」の一言にすっかり心を射貫かれた杏奈はもうアクセサリーなど目に入っていないが、ヒューゴは品台に身を乗り出した。
「うちは今回、初出店でね。次にこの国にくるのは、何年後か分からないよ」
「そうか」
(ああ、この国の人じゃないのね)
どうりで、異国風を感じるデザインのものが並んでいるわけだと杏奈は納得する。
この国で話されているのは大陸共通語だ。国により多少の訛りはあるが意思疎通には問題ない。そのため、各国を渡り歩く流れの商売人は数多くいて、彼もそんなうちの一人だった。
どこそこの国の王女も買ってくれたとか、店主はまことしやかに述べ立てる。
真偽のほどはさておいて、アンティークから新品まで、露店に出すのは惜しいような品が並んでいるのは確かだった。
「……?」
「奥さん」呼びの余韻を噛みしめつつ、ぼんやりそんなことを考えていると、すっと杏奈の髪になにかが触れる。
驚いて振り向くと、鏡を杏奈に向けて構える店主と、仏頂面のヒューゴがこちらを見ていた。
「……どうだ?」
「奥さん、似合うよとっても!」
髪に付けられていたのは、金細工の花を繋いだ小さめのヘッドドレスだった。
控えめながらも輝きは本物で、こめかみの上から耳の下までの大きさは、まとめ髪にもおろし髪にも使えそうなサイズだ。
(わ、かわいい……!)
一目で惹かれたが、
強請るつもりなどなく、杏奈は素直に感想を口にした。
「とってもきれいです」
そう言えば、強ばっていたヒューゴの口元が微かに緩む。それが嬉しくてまたにこりと微笑むと、旦那様は即座に財布を取り出していた。
「店主、これをいただく」
「毎度ありっ!」
「えっ」
なかなかの金額がさらりと渡されたのを横目で見てしまい、あわあわとしているうちに手を引かれて店を後にしていた。
「あ、あの、あの」
「嫌だったか?」
「そんなわけないです! あの、旦那様、ありがとうございます」
驚いたが、嫌であるわけがない。
今も着けたままの髪飾りは、歩く度に杏奈の耳元で幸せそうにしゃらしゃらと軽い音を立てる。
抑えきれない喜びを浮かべる顔に、ヒューゴは強面を顰めて大きな手で口元を隠した。
「っそ、それなら、いい」
「でも、私も旦那様になにか差し上げたいのですが……」
きょろ、と辺りを見回すが、店が多すぎる。
とても今のヒューゴのように、これという品をすぐには見つけられそうもない。困り顔をする杏奈に、ヒューゴはぼそりと返事をした。
「……後でな。それより、疲れただろう。少し休むか」
「あ、はい」
たしかにずっと人混みの中歩き続けて、けっこうな運動量だ。
この世界に来てからずっと地方に住み、最近は屋敷の中ばかりにいた杏奈にとってお祭り騒ぎの市は楽しいが、ギャップに目が回りそうでもある。
「もう少し行くと広場がある。そこを抜けたところに……」
ヒューゴが指さす方向を眺めようと背伸びをした、その時。
少し先でわあっと大きな声が上がり、道行く人々をなぎ倒して怪しい風体の男が走っていくのが見えた。
「チッ、物盗りか」
ヒューゴが眉を寄せたが、周りの反応を見るに犯人は酔っている上に刃物を持っているようだ。
幸いにも怪我人は見当たらないが、近くに犯人を追う警邏の姿もまだなく、危ないことは変わりない。
非番で妻帯同とはいえ、国軍所属の将軍として見過ごせない事態である。
「仕方ない、アンナ」
「いいんです、行ってください。ええと、広場で待っていますから」
「すまない!」
それだけ言うと、背を怒らせてヒューゴはダッと駆けだした。
(やっ、カッコいい!)
恐ろしい気迫をまき散らす将軍閣下に、周囲は海が割れるがごとく道を空ける。非常に頼もしい後ろ姿を、杏奈はうっとりと見送った。
路地裏に逃げ込んだ犯人の男は足が速いようだが、ヒューゴならすぐに捕まえるだろう。
(……怪我、しないといいけど……)
ヒューゴの強さは見聞きして知っているが、ほんの少し、心配は拭えない。
これ以上あの身体に傷痕が増えることがないようにと祈りつつ、杏奈は広場へ向かって歩き始める。
人波に流され、逆らい、ヒューゴが指さした方角に行く途中。
スカートの裾がくい、と引かれた。
「うん?」
フロリアーナよりもう少し小さいくらいの女の子が、杏奈の服を握っていた。
見上げるその子と顔を見合わせた瞬間、不安そうな瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれる。
「どうしたの?」
「おっ、おかー、さん、ちがう……!」
(ああ、迷子!)
この人混みである。しかも今日は、みんな同じ色味の服を着ている。きっと杏奈とこの子の母親は背格好や髪の色が似ていて、間違えたのだろう。
声を上げずしゃくり上げる姿がいじらしくて、杏奈はその子の手を引いて道の脇によけた。
「お母さんとはぐれちゃったのね?」
「お、おかあしゃん~~っ」
しゃがむ杏奈はなんとか女の子をなだめて、名前はコニー、五歳だと聞き出した。
「探そうにも、この人じゃあね……」
一応、近くの店主たちに聞くが、子を探している母親の心当たりはないと言われる。迷子センターのようなものもなく、最終的には警邏に引き渡すしかなさそうだ。
だが、遠い詰め所に行く前に、すぐそこの広場に行ってはどうだと教えられる。
「迷子は毎度のことでさ。大人も子どもも、はぐれたらまず広場の噴水っていうのがお決まりだ」
「そうそう」
串肉屋の店主の言葉に、揚げ菓子屋のおかみさんも頷く。
「分かりました、行ってみます」
もしこの子を探している母親が来たら広場に来るように伝言を頼み、せっかくなので揚げ菓子を一袋買って、杏奈はコニーと手を繋いで広場へ向かった。
広場も噴水も、すぐに見つかった。
その周りにも人がたくさんいたが、ここは言われたとおり待ち合わせポイントなのだろう。噴水を見ている人は少なく、人待ち顔でキョロキョロしている者ばかりだ。
ぐるっと噴水を一回りしたが、コニーの母は見つからない。
「いないねえ……食べながら待ってみようか」
しょんぼりするコニーを励まして、噴水の縁に腰掛けて買ったばかりの揚げ菓子を二人で摘まむ。
大道芸というのだろうか、踊りなどのパフォーマンスや楽器の演奏をしている人もいて、広場も賑やかだ。
甘いものを食べて、ギターとアコーディオンの二人組の音楽を聴いているとコニーもだいぶ落ち着いて、ポツポツと顛末を話してくれた。
「そっか、お母さんと買い物に来たのね」
「うん。ご本が、あったの」
風邪で寝込んでいるコニーの兄がほしがっていた本を見つけた気がして立ち止まったら、あっという間に母とはぐれてしまったのだとコニーは言う。
(そういえば、古書店もいっぱいあったかも)
本は娯楽であるが、気楽に読み捨てできるような値段ではなく古書の流通が盛んだ。
「お兄ちゃんにご本をあげたかったんだ。コニーは優しいのね」
「でも、おかあさん……っ」
口の周りに砂糖をつけて揚げ菓子を頬張りながら、また涙を滲ませる。
コニーの背中をトントンと優しく叩いて、杏奈は家にいる二人の子どもを思い浮かべた。
(コニーとお兄ちゃんみたいに、ハリーとフロリアーナも仲良さそうだったな……)
ヒューゴもジュリアも、子どもたちのことはあまり構っていないとグラントから聞いていた。
あの兄妹とこれから仲良くできたらいいと思う。
でも、杏奈は小さな子と関わった経験などない。ヒューゴも近くにいない今、目の前のコニーを泣き止ませることすらできない自分に何ができるのか、と心弱りそうになってしまう。
(……あれ、この曲)
落ち込みそうになった杏奈の耳に、聞き覚えのある音階が流れてくる。
ギターとアコーディオンのデュオが奏でるのは、この国の聖歌だ。
ただし、お祭りっぽくアレンジをされていて、ノリのいいゴスペルのようになっている。
歌うのが好きで元の世界では聖歌隊やチャペルアルバイトもしていた杏奈は、この世界の聖歌にも馴染み、伯爵領ではしばしば教会で歌ってもいた。
(あ、このフレーズ好きなところ。やっぱり歌はいいなあ)
クリスティーナが教えてくれるこの世界の常識や作法より、先に聖歌集を暗記した杏奈である。
心の中でリズムを取りながら曲を聴いているうちに、自然と気持ちも上向きになり、どうにかしてみせるという思いが湧いてきた。
(誰だって最初は初めてだものね。私は妻業もお母さん業も初心者なんだから、できなくって当たり前。初心者らしく頑張る!)
前向きなのは長所だと思う。
小さな揚げ菓子を杏奈も一つ摘まむと、さらにちょっとしたアイデアが閃いた。
「コニー、お母さんがはやく見つけてくれるようにしようか!」
きょとんと見上げるコニーにニコッと笑いかけて、杏奈は座っていた噴水の縁から立ち上がった。
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