第50話 端的に言って
レイナスには先触れを出していた。ドアをノックする。すぐに返事が返ってきたので、ルーナルーナは部屋へ入っていった。
レイナスの執務室、別名宰相室は書類の山でごった返していた。どちらを向いても処理中と思しき紙の山。ちょうど部下が全員出払っていたらしく、部屋にいるのはレイナス一人だった。
「ご無沙汰しております」
ルーナルーナに続いて、彼女の後ろに控えていたコメットも恭しく腰を折る。
「少し見ないうちに、また綺麗になったな」
レイナスは、侍女服ではなくドレスを着込んだルーナルーナを眩しそうに目を細めた。
(レイナス様って、こんな褒め言葉を素直に言う人だったかしら?)
ルーナルーナはふと違和感を感じながらも、それを悟られまいと上品な笑みを浮かべてみせる。
「本日はお忙しいところ、わざわざお時間を作ってくださいまして、ありがとうございました」
「問題ない。少しぐらい息抜きもしないと、さすがに身が持たないからな」
レイナスは前髪を掻き上げながら、部屋の中を見渡した。
「適当にその辺りへ座ってくれ。今、茶でも淹れよう」
「私がします」
ルーナルーナは咄嗟に壁際のパントリーに駆け寄った。
「姫になるのだろう? そんなことは侍女や下の者に任せれば良いのだ」
ため息をつくレイナスの顔は疲労の色が濃い。ルーナルーナは、どうしてもそれを放っておけなかった。
「茶葉はどんなものがありますか? よろしければ、疲労回復によく効くものをお淹れします」
ルーナルーナはレイナスの返事を待たずに頭上の戸棚を開いた。さすが宰相室。様々な種類の茶葉がストックされている。ルーナルーナは自らの知識と照らし合わせながらしばらく悩むと、そのうちの一つを手に取った。
「レイナス様、改めて御礼を言わせてください。私にたくさんの魔導書を貸して下さり、しがない侍女に学びの機会を与えてくださったこと、誠にありがとうございました」
ルーナルーナとレイナスの間にあるローテーブルからは、少し癖のあるハーブティーの香りが立ち上っている。
「私は読んでいない本を貸しただけに過ぎない。それも後宮へ行くついでだった。礼を言われる程のことではない」
「しかし、魔法を習得することで、私は以前よりも自分を守りやすくなりましたし、仕事でも大変役に立ちました」
「それは良かった。だが、魔法の習得は誰もができることではない。本人の素質と努力が全てだ。だから私の成果ではなく、君の力なのだ。これは誇って良いことだと思う」
ルーナルーナはレイナスの絶賛に体中がむず痒くなる思いだった。
「でも……私が御礼を言わなければならないことは他にもあります。キプルの木の栽培を始めてくださったとミルキーナ様から伺いました」
「あれについては、もちろん王妃からの依頼はあった。しかし、それ以前に私が好きで始めたことだ。キプルジャムさえあれば、また君はこの国に帰ってきてくれるのだろう?」
「えぇ。頻繁には無理でしょうが、私でもお役に立てることがあるのでしたら、サニウェル殿下に止められなき限り、すぐにこちらへ参ります。他にも何か恩返しができれば良いのですが……」
と、その時、レイナスの表情が固くなった。ルーナルーナにはその原因が分からない。レイナスは黙ってハーブティーを一口楽しんだ後、しっかりとルーナルーナを見据えた。
「では、一つ私の願いを叶えてくれないか?」
「はい。私にできることでしたら」
「持ち色を白に変えた君を見てみたい。あの日、君は変身して後宮を抜け出し、あちらへ向かったと聞いている」
ルーナルーナは、魔法の習得の成果を見せよという意味だと捉えた。
「はい、分かりました」
ルーナルーナはソファから立ち上がると、目を閉じて魔力を全身に巡らせた。そしてあの日の姿をしっかりと脳裏に思い描く。次の瞬間、ルーナルーナは金色に光るパーティクルを全身に纏い、驚異的な変化を遂げた。
今はあの時とは違い、姫に相応しいドレスを身に着けている。あの日、既にルーナルーナの変化した姿を見ているコメットでさえ、口をあんぐりと開けてその姿に見入ってしまった。
「ルーナルーナ。やはり君は美しい。そして、賢い女だな」
レイナスも立ち上がると、ルーナルーナの前へ移動する。そして、ルーナルーナの白くなった髪を一房取ると、それを自らの唇に寄せたのだ。予想外の行動に、ルーナルーナは呆気にとられて固まってしまう。コメットは、小さく叫び声を上げた。
「ずっとこの姿を見たかった。そして、妻にしたかった。端的に言って、君のことが好きだったんだ」
「レイナス……様?」
「そんな顔をしなくても取って食ったりはしない。君はダンクネス王国へ嫁ぐ高貴なる姫君であり、姫巫女。国益を生み出す金の雌鳥。宰相の私は、君を見送り、君の幸せを遠い地から願うことしかできない」
(まさかレイナス様が、私をそのような目で見てくださっていたなんて、全く気がつかなったわ)
ルーナルーナはなぜか泣きたい気持ちでいっぱいになっていた。サニーと出会うまで、レイナスはルーナルーナにとって憧れの対象だった。その気持ちは、もしかすると恋に近かったかもしれない。けれど今となっては、それがすっかり変わってしまい、自分の中で一番と思えるのはサニーだけになってしまったのだ。自分が白状者のような気がしてならないが、これはもうルーナルーナの中で揺らぎようのない事実だった。
「私、あの……」
「待て。さすがに君の口から決定的なことを言われてしまっては、しばらく私も立ち直れそうにない」
レイナスは、ようやくルーナルーナの髪を手から解き放つ。その時の笑顔は、ルーナルーナが見たこともない程に甘く、優しいものだった。ルーナルーナは無意識に唇を噛みしめる。
「これからは、キュリーとも協力して君を守っていく。どうか新しい国でも達者でいてくれ」
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