第39話 巫女の一生

 メテオがすぐさま部下に確認させると、念話で報告が上がってきた。


『神具がない』


 サニーとメテオは、神具を特別な箱に仕舞い込み、さらに魔法で簡単に開かないように細工していた。しかし、箱ごと行方知らずになってしまった挙句、中が暴かれてしまったのだ。


「あの箱は、王族の血でなければ開かないようになっていたはずだ」


 サニーが悔しげに唇を噛みしめる。


「つまり、犯人は一人しかいないじゃないか!」


 開封には、王家の者の血を一滴垂らし、さらに強力な魔力を注入しなければならない。そんな方法を見抜いて実行に移せそうな王族は王と第二王子ぐらいのもの。さらに、半身の神具の片割れと迂闊に合体させそうな者と言えば、簡単に特定できてしまう。


 サニーは忌々しげにその名を吐き捨てた。


「オービット……!!」


 それを不思議そうに眺めていたのが大巫女だ。


「嬉しくないのかえ? 世界が一つになれば、そなたらは共に生きることができる」

「馬鹿も休み休み言ってもらいたい。例え同じ世界で生きられるようになろうとも、その世界が奈落の底へまっしぐらであれば、誰もが不幸せだ!」


 サニーの声が高い天井を突き破るように大きく響き渡る。これにはルーナルーナでさえ、身を縮めてしまった。


「教会にも事情があるだろう。しかしこれは宗教の一端であり、一つの考え方に他ならない。決して、多くの人々を混乱や恐怖に貶めるようなものではあってはならないはすだ!」


 対する大巫女にはまだまだ余裕が見て取れる。薄っすら笑みさえ浮かべていた。


「それは王家の都合。この世界はいずれ一つになることが大昔から定められておる。それが少しばかし早まっただけだ。そなたが案じずとも、全ては女神の御計らいにより、穏やかに収束していくことだろう」

「くだらん! さぁ、王の元へ来てもらおうか!」


 サニーは大巫女を拘束するための魔法を展開しようとした。が、なぜか効かない。咄嗟に視線を投げた先にいたメテオも、何か魔法を使おうとしたが、全く発動しなかった。見ると、大巫女の周囲、そしてルーナルーナ、サニー、メテオの周りに半透明の白いベールがかかっていた。


「どういうことだ……?!」

「ここは教会。神力の結界は魔法を上回る。さて、我も立っていられるのが後少しとなりそうだ。最後に昔話でもしてやろう」

「そんな悠長なことを言ってる場合か?! 早く世界を元に戻す方法を吐け!」

「せっかく世界が本来の方向へ向かっているというのに無茶を言う。何、世界がしっかりと合わさるまでまだ時間はある。どうやら神具も正式には融合していないようだからな」


 今は互いの世界の存在が視認できるだけ。しかし、二つの世界が完全に一つになってしまえば、物理的に二つの国が重なってしまうということだ。これは災害に他ならない。

 ルーナルーナも我慢ができなくなって叫んだ。


「お願いです。もうこんなの止めてください! このままでは、皆死んでしまい、世界は滅んでしまいます!」


 けれど、大巫女は穏やかな表情を浮かべたまま、おもむろに天井を仰ぐと、ある物語を紡ぎ始めた。








 ユピテという女にその能力が宿ったのは五歳の時だった。運が良いのか悪いのかは分からないが、よりにもよって街の神殿の巫女プラウの夢に入ってしまったのだ。プラウは街の有力貴族の娘であったユピテとは面識があり、その力を見出すこととなる。ユピテはすぐに親元を引き離され、神殿で暮らすようになった。


 転機が訪れたのはユピテが十七歳の時だ。他の巫女と同様、キプルの実を使った菓子を日常的に楽しんでいたユピテは、ある日突然見たこともない場所に降り立つ。ベージュや白の壁に赤茶の三角屋根が連なるシャンデル王国とは全く違う景色。青や緑の瓦屋根の背丈の低い屋敷がひしめき合い、街ゆく人々は寝巻のような仕様の衣を身につけている。ユピテは呆気にとられて身動きができず、危うくスリに遭いそうになっていた。そんな彼女を助けたのがジェンドル、当時のダンクネス王国第一王子である。


 ジェンドルは生まれながらの統治者であった。ユピテの世界に興味をもったジェンドルはすぐにシャンデル王国へ赴き、王家でもなかなか解決できなった様々な問題へ次々に道筋をつけていく。時には四大公爵家のお家騒動をまとめ、時には税制改革を王家へ進言し、時には農業改革を行った。もちろんユピテは神殿をバックとした勢力でジェンドルの支援にまわり、ジェンドルとはやがて恋仲に発展していく。


 そうしている間にジェンドルは、シャンデル王国内で民衆の圧倒的な支持と名声を手に入れた。ここで動きを見せたのがシャンデル王家だ。王家としては、突如現れた王家よりも目立つ英雄は役に立つものの、手綱をしっかり掴んでおきたい。王家を凌ぐ存在になられては困るのだ。そこで活躍に対する報奨という形で、王女がジェンドルに下賜されることになった。同時にシャンデル王国のある大陸の端にある未開の地を領地として与えたのである。つまり、体の良い追放だった。


 これには王の臣下達からも反対は上がった。何より、王女が可哀相だと哀れんだのである。しかし、どこの馬の骨とも分からぬジェンドルがこれ以上力を持つことは、上流階級の誰もが望んではいなかった。そもそもジェンドルは異国の王子という身分を隠していたのだ。


 結果的にジェンドルはシャンデル王家の姫を娶り、未開の地へと向かった。そう。ユピテは捨てられたのである。ユピテには手紙が残された。


『そろそろダンクネスに戻ろうと思う。共に生きていけないのが、何よりも辛い。すまない。』

 

 ジェンドルは、王家からある種見放されてしまった姫をダンクネス王国へ連れ帰った。色白のジェンドルの故郷は、黒が最も高貴な色とされている。黒は闇に溶け込んで身を守ることができるため、昔から夜を生きるダンクネス王国にとって大切な色なのだ。つまり、王族にも関わらず黒を持たないジェンドルは迫害されていた。そんな所へ戻るなんて、死地へ向かうのと同じである。


 ユピテはカッとなった。そこからは死に物狂いで出世街道を走った。駆け抜けた。そしてついにはダンクネス王国でも巫女の資格を取り、シャンデル王国とダンクネス王国、両方の大巫女として君臨したのだった。この頃には、ユピテはこの世で唯一、両方の世界で生きられる女になっていた。


 ジェンドルとユピテの交流はその後も続いた。ジェンドルと姫の間に子どもができてからもだ。ジェンドルは持ち色が白にも関わらず、奇跡的に王子から王になった。そして、視察を名目に年に一度だけダンクネス王国の教会を訪れる。それ以外は、年に数回、秘密の文通を。


 ジェンドルは七十六歳まで生きた。キプルの実の副作用でほとんど年をとれなくなったユピテは、大巫女としてジェンドルの葬儀も取り仕切った。かつてない程に大掛かりな国葬だった。その直後、ユピテはジェンドルの妻である元姫から、ダンクネス王国の秘宝である神具を密かに受け取ることになる。これをユピテに渡すこと。その願いがジェンドルの最期の言葉だったと妻は話した。


 ユピテは一人になった。寂しさややるせなさは、大きく膨らんでパチリと弾けてからは、ほとんど感じられなくなってしまった。要するに麻痺してしまった。ジェンドルが死んでから初めて、なぜ彼の夢に一度も行かなかったのだろうと悔やんだ。しかし、その理由は見ないふりをした。


 でも、誰かを恨んでいたわけではない。もちろん、ジェンドルを横取りした姫のことも、シャンデル王家のことも。ただ、なぜ世界が二つに分かれているのだろうと不思議に思った。


 その時だ。初めて懺悔の間の天井に秀麗な絵画が姿を現した。ユピテは、死んでもなおジェンドルは自分のことを想ってくれているのだと思った。そして決意する。この二つの世界を一つにすると。


 ユピテは外見こそ変わらぬものの、緩やかに老衰していった。それに抗うように、世界を一つにする方法を探り、神話を研究することに精魂を注ぎ込んだ。そして、ジェンドルと自らを繋ぐ神具の正体をも突き止めたのである。


 その後も、ユピテが眠りに落ちてうなされない日はほとんど無かった。あの時、元々ジェンドルと同じ世界に存在していたのであれば、こんなことにはならなかったのに。ジェンドルはユピテの世界で正当に評価され、それに相応しい地位につき、その隣には自分がいたであろうにと思うと、悔しくて、やり切れなくて仕方がなかった。


 こんな悲しみを、辛さを、次代に引き継いではならない。今も多くの巫女を始めとする人々が世界を越えて絆を育んでいるのだから。ユピテは強い使命感を持ち、ついに本格的に動き始める。


「それが、確か三年前だったかの。時が過ぎるのは早い。しかし、ジェンドルのいない時間を生きるのは恐ろしく長く、もう我には耐えられぬ」


 大巫女はこう締めくくると、くらりと揺らめき、その場に倒れてしまった。同時に、展開していた神力による結界が全て解除される。ルーナルーナは真っ先に大巫女へ駆け寄った。


「そなた、あの者と生きたいか?」


 大巫女の顔は青白く、血が通っていない人形のように見えた。ルーナルーナは大巫女の体を支えたが、その体重はあまりに軽い。


「今はそれどころではありません。すぐにお医者様を連れてきますから……」

「我はもうこれまでだ。最後に、そなたへ良いことを教えてやろう。そなたがダクーに永住したいならば……」


 ルーナルーナが、その衝撃の方法に顔を真っ赤にした瞬間、大巫女はその瞳をそっと閉じた。長い長い、一人の女の戦いは、ここに幕を下ろした。魂の光がほのかに白く輝きながら、体から抜け出して天へと昇って行く。


 ルーナルーナは胸元で手をクロスし、魂の行く先は隔てなく広い一つの世界でありますようにと祈った。その後ろでは、サニーとメテオも沈痛な面持ちで祈りを捧げ、巫女の最期を見送っていた。


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