第3話 夢じゃない

 サニーが朝の(と言っても、時間帯的には真夜中近くだが)鍛錬へ向かった後。ダンクネス国王であるクロノス直下の秘密部隊『泥鼠グレイ』の面々は、絶え間なく互いに念話を飛ばし合い、一つの真実に近づいていた。メテオは、集まった膨大な情報から推測される仮定をアレスに打ち明ける。


「結論から言うよ。おそらく、その女性はこの世の者じゃない」

「では、生霊や妖の類いか」

「違う。生者だ」


 メテオは、詳しい話を始めた。


 まず、ダンクネス王国にある古くからの伝承で、早朝と夜更けには別の世界が顔を出すというものがある。これはただの昔話ではなく、庶民の間でも稀に起こると知られている現象だ。大抵、肌や髪の色の色素が薄い人間がふと現れて、ふと消える。消える時には決まって瞼を閉じ、眠るようにして掻き消えるらしい。同時に、この国とは異文化の町並みや道具類も見えることもあるとか。


 また、王家御用達の魔道士に確認しても、相手に魔力を感知させずに姿を消す方法など存在しないということだった。


「それから、大巫女にも会って話を聞いてきた」


 ダンクネス王国には統一宗教としてジェットブラック教がある。その大本山は王城のすぐ傍にあり、教会の頂点に立つのはユピテという名の年齢不詳の女だ。


「よく会えたな」

「別の世界について知りたいと手紙に書いたら、向こうから迎えが来たよ」

「それは珍しい。明日は氷が降るかもしれないな」


 大巫女はその高い地位からも、なかなか人の前に姿を現さない。通常は、いくつもの複雑な書類手続きによる審査を経た後に、大巫女のスケジュールに則って面会の日が決まる。そして御簾越しに二言、三言交わすだけで一生の栄誉となる。それが手紙一通で済んだばかりか、大巫女直々に詳しい話が聞けたとなれば只事ではない。


「単刀直入に言うと、現れたのはやはり別世界の人間で、こちらへの害意は無いらしい。大巫女曰く、この地には元々二つの次元が重なっていて、時折その歪みに巻き込まれる形で、別の世界から一時的にこちら側へ来てしまう人間がいるそうだ」

「さすが博識の大巫女。つまり、この件は特別警戒する必要は無いということだな。だが……」


 アレスとメテオは同時にため息をついた。


「たぶん、もう二度と、サニーがその女性と見えることは無いのだろうな」


 メテオはサニーの希望をスッパリと切り落とした。何しろ大巫女の話でも、二つの世界が重なる条件は時間帯だけしか知られていない。もし、また世界が重なったとしても、運良くその女性がこちらへ渡ってくるとは限らないのだ。


「他の女を充てがうと言ってもなぁ」

「黒髪、黒目、浅黒い肌に黒いベロアのエプロンドレス。美形を見慣れているサニーが一目惚れするほどの美人。しかも、サニーと相思相愛になってくれるような酔狂な天使なんて、いるわけないだろ」


 これまでサニーは、年相応に女を好きになったり、気にかけたりすることがほとんど無かった。機会がなかったわけではない。忌み嫌われる色を纏っているものの、構造パーツ的には淡麗な男なのだ。摺り寄ってくる者は数人ぐらいはいた。中には、身分の隔たりこそはあれ、アレスやメテオでも目を瞑っても良いと思える女もいた。しかしサニーは興味を示さなかった。


「あんなに浮足立ったアイツを見るのは初めてだからな。何とかしてやりたいけど、こればかりは」

「そうだな」


 アレスが窓から外を眺めると、離宮の庭で剣の素振りを繰り返すサニーの姿があった。


「失恋の時は、やっぱり酒かな」

「サニー、酒に弱いからほとんど呑めないよ」


 居た堪れない沈黙が数分。

 アレスがこの件はこれで終わりかと気を抜いた瞬間、メテオが爆弾を投下する。


「そうそう。大巫女がサニーに会いたいそうだよ」









 ルーナルーナは目を覚ました。視界に広がったのは、よく見知った白い天井。倒れていた床から起き上がると、花柄の壁紙に白い扉、質素なベッドと小さな箪笥があり、ここが自室であることを認識する。腕の中には、レイナスから借りた本もあった。ほっとしたのも束の間。首筋に違和感を感じて部屋の隅にある鏡の前に立つと、昨夜のことをまざまざと思い出される証拠が残っていた。


「夢じゃなったんだ」


 首筋にある細い傷。血が固まって、すでにかさぶたになっている。


(じゃぁ、あの人や、あの時の景色は何だったんだろう。私の部屋の中だけじゃない。窓の外の景色まで違ったもの。私はあんな大きな屋根の建物なんて知らない)


 ルーナルーナはしばらく記憶を辿り寄せながら眉間に皺を作っていたが、すぐにその表情は和らいだ。


(考え込んだって、分からないものは分からないわ! 今夜は以前ミルキーナ様からいただいたお酒を飲もう。それを目標に今日も一日がんばろう!)


 ルーナルーナは、物事を深く考えることはしない。何が起きてもなんとかなると思っている。これまでもそうであったし、きっとこれからも同じであると信じて疑わなかった。


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