第6話 笑う男の顔

『校長の机……一番おおきな引き出しの中だったかな。テレビのリモコンを改造した起爆装置があるはずなんだよね。それが無いとだぁれも殺せないんだ』


 殺せない。


 その言葉に二種類の反応が生まれる。


 ひとつは安堵。


 今すぐにという前提こそつくものの、死が訪れないのだ。


 もうひとつは……絶望。


 自分が殺そうとした相手と、逃げようのない密室に押し込められてしまった。


 この先どうなるのかは――。


「くっそぉぉっ!!」


 塊の中からひとつの影が飛び出し、部屋の隅に設けられている校長用のデスクにかじりついた。


「押さえつけろっ! リモコンを取らせるなっ!!」


 校長に言われるまでもなく、学年主任は教頭の下半身にタックルをかます。


 教頭の行動を許せば命はない。


 それだけでなく、許さなければ


「ははっ、ずいぶんと必死だなぁ。さっきまでの高笑いはどうしたよ!?」


「うるっ、さいっ」


 死に物狂いになるのは教頭の番だった。


 引き剥がされまいと顔を真っ赤にして机の縁を必死に掴む。


 机ごと引きずられようと絶対に放そうとはしなかった。


「諦めろ、この出来損ないが! 裏切ったお前はこうなる運命だったんだよ!!」


「くぅぅっ」


 けれど、教頭の敵はひとりではない。


 校長が教頭の後頭部や指先に拳を振り下ろす。


 何度も、何度も。


 指先が潰れて爪が剥がれようと、お構いなしに痛めつける。


 あと少し力があれば、もしくは校長の邪魔が無ければ、引き出しを開けてリモコンを取り出し自らの手で悲願を果たせただろう。


 しかし――。


「おらっ」


「あっぁああぁぁぁぁぁっ!!」


 抵抗虚しく教頭は体ごと持ち上げられた後、床にたたきつけられてしまう。


 当然、彼の手に握られているのは自身の流した血液と絶望だけ。


 命を守ることのできる唯一の手段は、教頭ではなく校長の手に握られたのだった。


「やめ……放せっ! 退け、退けぇぇっ!!」


 もはや勝敗は決してしまった。


 ガタイのいい学年主任によって肢体を拘束され、命運を左右するリモコンは校長の手の中だ。


 どれだけ暴れようと教頭の未来は変わらない。


 先ほどまで自分が他人に強いた結末。


 死、あるのみ。


「おいおいおい、落ち着けって。いつものいけ好かないすまし顔が酷いことになってんぞ」


「ん~、これはどう使うのか……。分かるかね、福田先生」


 他人の命すら左右できる全能感に酔いしれているからか、学年主任は歯を剥いて嘲笑う。


 校長もその悪趣味なノリに流され、リモコンをこれ見よがしに掲げていた。


「ふざけるなっ! お前たちこそ死ねっ!! 死んでしまえっ!!」


「おおこわ……」


 教頭の罵声を肩をすくめて受け流した校長は、手元のリモコンに目線を移す。


 見た目は黒いプラスチックの外装とカラフルなゴム製のボタンがゴテゴテとついており、テレビ用のリモコンそのものである。


 どのボタンを押せば首輪が爆発するのか、そもそも本当に爆破用のリモコンなのか校長にはまったく判別がつかなかった。


『ねえ教頭さぁ。あなただけが責任からの逃亡を選んだから、約束通りあなたを殺さないであげる』


「それ、はっ!?」


 地獄で仏とはこのことかとばかりに教頭の表情がぱぁっと明るくなる。


 しかし、


『私は、ね』


「――っ!? 騙したなぁぁぁぁ!!」


 最後に付け加えられた言葉の意味を正しく理解して、再び絶望の淵へと叩き戻されてしまった。


 彩乃が約束したのは、彩乃自身が望んだ通りの結末にするということ。


 校長と学年主任は含まれていない。


 つまり、ふたりは教頭を如何様にでもすることが出来るのだ。


『私は騙していない。あなたが自分の意思でこのふたりを騙したの。その結果があなたに返って来ただけ』


「ははっ、その通りだなぁ。アンタが裏切らなければこうならなかっただろ」


「こ……のぉっ」


 普通の状況であれば殺人なんて手段が選ばれることはない。


 しかし、殺されかけた直後ならば、殺さなければ殺されるという状況ならば……違う。


 校長と学年主任のふたりは、共に教頭を殺すつもりであった。


『だいたい甘く考えすぎ。私はあなたたちに償いをさせたいんだって言ったはずだけど覚えてないの?』


 彩乃は責任から逃げ出すなんてことをのうのうと言える面の皮が厚い人間を逃すつもりなどさらさらなかった。


『そのリモコンだけど、電源のボタンを押したら首輪がドカンと行くように改造されてるから好きに使って』


「ひっ」


『それから、私があなたたちの首輪を爆破する手段はそのリモコンだけ。それを壊されたらもう殺せなくなるから注意して扱ってね』


「…………なるほど、そういうことか」


 ルールとして殺されることが決まっていたが、その手段を持ち合わせていないのなら実行は不可能だ。


 なのに彩乃は自ら殺害の手段を放棄するという。


 あり得ない言動に、しかし校長はそれで確信を得た。


 彩乃は命を以て罪を償うという覚悟を見たかったのだと。


 覚悟を示してみせた自分たちは助かるのだと。


『ま、校舎を出たら自動的に爆発するからいざとなったらそっちの手段もあるんだけど』


「分かったよ」


 彩乃の言葉の裏側を読み取り、校長は大仰に頷いてから――。


「や、やめっ!」


「俺も居るんですから不用意にいじらんといてください!」


 教頭にリモコンを向けた。


 校長たちは、結局自分たちの命が助かると理解した上で、それでも変わらず教頭の死を望んでいた。


「そうだな。福田先生を奥に投げ飛ばしてからこっちに来なさい。斎藤先生なら出来るだろう?」


「出来なくもないですが……」


 投げ飛ばしたところで開く距離は数メートル。


 体勢を立て直してから襲い掛かって来るのに数秒とかからないだろう。


「なに、すぐさま起爆すれば問題ない」


 校長はリモコンの赤外線発振器を教頭に向け、親指を電源ボタンの上におく。


 確かにこれならば起爆するまで秒も必要ない。


 教頭が立ち上がるよりも早く殺すことが出来るだろう。


「絶対、俺がそちらに行くまで爆破させないでくださいよ」


「ところで斎藤先生、先ほどまでの口調はずいぶんと失礼だったな」


「そりゃあ必死だったからですって! こんな時に不穏なこと言うのやめてください!」


「ハハッ、冗談だ」


 絶対的に優位な立場となり、校長は悪趣味な冗談まで口にする余裕持っていた。


 そうなれば強者の特権である弱者をいたぶる嗜虐心にも火が点くのは必然であったのかもしれない。


 校長は口角を吊り上げて嬲るような視線を教頭へと向ける。


「ところで福田先生。私が居なくなってせいせいするとか言っていたね」


「…………」


「居なくなって当然だとも。あれはなんでかね? 後学のために教えてもらえないだろうか」


 教頭は一切返事をしない。


 絶対的な敗北感に打ちのめされて口を開く気力すらないようであった。


「残念! 残念だなぁ! 教えてはくれないのか! あれほど威勢が良かったのだから是が非でも言いたいことはあったと思うんだがなぁ!」


 うなだれている教頭の頭頂部に、これでもかと嫌味をぶつける。


 相手が殺意を失っていようと手加減などしない。


 思いやるなんて気持ちはこれっぽっちもなかった。


「殺すほどなんだからさぞかしご立派な大義名分があると思っていたのだが、まさかないとは……! お前はやはりその程度か。せっかく目をかけてやったというのにくだらん男だ」


 それから校長は幾度も幾度も罵詈雑言を吐き続け、学年主任から促されたところで不満そうではあったがようやく言い終えたのだった。


「さて、では始めようか」


「はいはい……」


 学年主任は愛想笑いを浮かべながら教頭の体を床に打ち捨てる。


 もはや抵抗する気配さえ感じられなかったが、念のためと力なく床に転がる教頭を蹴り転がしてから校長の背後へと移動した。


「じゃあ、お願いします」


 リモコンのボタンを押すことは殺人を犯してしまうことを意味するのだが、ふたりはそのことを意識すらしていない。


 むしろ当然の権利だと思っていて――。


「うむ」


 だから、なんのためらいも躊躇もなく、起爆用のボタンを押してしまう。


――パンッという乾いた破裂音は、この場の全員が想像していたよりも大きかった。


「……あ?」


「ぐ――ぎ――?」


 何故なら3つの首輪が同時に爆ぜたから。


『言ったじゃん。あなたの首輪を爆発させるリモコンだって』


 リモコンは、誰かひとりの首輪を爆発させる代物ではなかった。


 全員の爆弾を起爆するための物だったのだ。


 テレビ用のリモコンという慣れ親しんだ形から用途を思い込んでしまったのもあるだろう。


 しかしそれ以上に、勝手に助かると思い込んでしまったことが大きかった。


 そんなこと、あるはずもないのに。


「……ぐずっ……ごぽっ」


 声は既に発することが出来ず、代わりに不明瞭な水音だけが響く。


『だから、言ったはずだけど。私は騙してない』


 彩乃が言っていたことに裏など無かった。


 校長が自分にとって都合のいい様に解釈しただけだ。


『あなたがやったことがあなた自身に返って来ただけだって』


 誰かが誰かを殺そうとした瞬間、全員の死は確定してしまう。


 校長たちが助かる唯一の方法は互いを信じて許しあい、リモコンを破壊することだったのだ。


「――――か」


 校長が最期に目にしたもの、それは、嬉しそうに嗤う教頭の死に顔だった。

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