第2話 骸にたかるのは

『それで皆さんには早く決めてもらいたいんですけど』


 冷ややかな、永久凍土ほどに凍り付いた女性の声がスピーカーから流れ落ちる。


 それを受け止めたのは罪人たちだ。


 細長い箱状の部屋――校長室の主である校長と、それにかしずく教頭と学年主任そして生徒指導担当の4人だった。


『優乃の死に対して命を賭して償うか。それとも我が身可愛さに逃げ出すか』


 校長が歯を食いしばって部屋の上部に取り付けてあるスピーカーを睨みつける。


「それは、させていただくと昨日お話したでしょう!!」


『弁護士がね。あなたじゃない』


 彩乃の反撃は一言で終わらない。


『それから、他所から出て来た金を支払うっていうのがあなたの言う命を賭しての償いなんだ。ずいぶんと大変だね』


 実際、彼女の中で渦巻いていた怒りはこんなものではない。言葉にしただけでは足りなかった。


 行動を始めてしまうほどに。


「……不満があったとしてもこんな悪ふざけはやめて下さいっ」


『悪ふざけって? 薬を使って眠らせたこと? 校長室に閉じ込めたこと? 首に爆弾を取り付けたこと? それとも選択ゲームを迫っていること?』


「全部ですっ!!」


 協力者を得て彩乃は踏み出した。


 復讐を始めてしまった。


 自殺した妹である優乃のクラスメイト全員と教師たちを眠らせて監禁し、命を質にゲームを始めてしまったのだ。


『別に、私は普通のことを頼んでいるだけだと思うんだけど』


「なにが普通の事ですかっ」


『そう?』


 彩乃はマイク越しにふっと嗤うと校長を無視して説明を始める。


 子どもたちを教え導く教師たちに、これから歩むべきゲームへの道を示していく。


『カードの裏表にそれぞれの選択肢が書いてある。自分が選択した方を爪先で擦って目印をつけ、あなたたちのポケットに入っている封筒に入れて他の人には見せずに扉の隙間から提出するだけ』


 彩乃が提示した選択肢は2つ。


 命を賭して償いをするか、我が身可愛さに全てから逃げ出すか。


 命を賭して償うを選べば爆弾が爆発して文字通り死をもって償う。


 我が身可愛いさに逃亡を選べば一切何事もなく解放される。


 たったそれだけであるのならば、誰もが逃亡を選ぶだろう。


 どれだけ事件に悔やんでいたとしても、命を差し出すことなど出来はしない。


 だから、彩乃の決めた結末は3つ存在した。


『ただし、全員同じ選択肢を選んだなら結末はひっくり返る。強制的に、あなたたち全員から罪を徴収させてもらう』


 全員が償いの道を選べば命だけは助かるが、後の人生をかけて強制的に罪を償わせる。


 全員が責任からの逃走を選べば、罪人である自覚なしとして皆殺しにする。


 他人を犠牲にして生き残るか、生きて償い続けるか、死ぬか。


 その3つの結末を4人の罪人へと突き付けた。


『ね、普通のことでしょ』


「有りえないっ」


「どこがだ、ふざけるなっ!」


 彩乃の提示した道に不満しかないのか、4人全員が口々に罵声をあげた。


 しかし、一見理不尽に見えるがそうではない。


 死を選ぶ人間はまずいないだろう。


 だから、たったひとつの結末こそが彩乃の真に選ばせたい結末だ。


 優乃の命を失ってしまった罪を、後の人生全てをかけて償い続けて欲しいという願いであるのだ。


『あなた達に教師としての矜持があれば、全員が償いを選ぶよね。あなたたちの今後の人生を全て差し出して、なによりも大事な生徒たちのために生きていくよね。それは普通じゃないの?』


「…………」


『優乃を殺してしまったあなたたちが、今後そういった悲しい存在が二度と現れないように生きていくってのは私の望み過ぎなのかなぁ! ねぇ!!』


 彩乃の願いは無垢なのだろう。


 純粋すぎるのだろう。


 命を守るために命を等価として差し出すというのはある意味当然かもしれない。


 けれど、人はそこまで他人に対して想うことなど出来ないのだ。


 その証拠に、校長室に集められた4人の表情は真剣に自分の責任を考えているものではなかった。


「私たちの人生を捧げるだけで問題全てを解決するならそうするよ!」


 茶色いポロシャツで筋肉質な体を包んだ四十路くらいの教師――学年主任が吠えた。


 彼は目をぎらつかせ、唾を飛ばして彩乃へと反論する。


「だがこういう問題はいくらでも湧いてくるんだ。個人が全てに対応するのは不可能だ!」


 確かにいじめという問題は、とても対処が難しい。


 どれだけ目を光らせたところで必ず影は出来る。


 だから犠牲が出たって仕方がない――なんてことは、遺された家族が受け入れられるはずなかった。


 何故なら、やっていなかったから、最善を尽くしては居なかったのだ。


『そうだなぁ! ぼんくら頭をどれだけ突き合わせても優乃ひとり助けられなかったんだから説得力があるよ!!』


 古賀優乃がいじめを相談した時、注意はした。


 注意はしたが、それで終わってしまったのだ。


 その結果、チクったと言われていじめは更に悪化。優乃が再び助けを求めたとしても、お前にも原因があるだの強くならなければいけないと逆に説教を垂れる始末。


 助けてもらえないことを理解した優乃は――死を選ぶしかなかった。


『お前たちが出来ないのなら出来る奴らにやってもらえ! お前たちが無駄に貯め込んだ金を全て吐き出して雇え! そのくらいできるだろう!! 出来ないなら死ね! 死んで優乃に詫びろっ!!』


 優乃はもう笑えない。


 怒ることも、泣くことも出来ない。


 何もできないのだ。


 だって既に死んでしまったから。


 なのに監督していた教師たちは一切、なにも感じていない。まったく責任を取るつもりもない。


 彩乃はそれが何よりも許せなかった。


『……早く決めろ。死ぬか、人生を捧げるか。それとも誰かを犠牲にして自分だけ助かるか』


「出来ることと出来ないことが――」


「私は聞いてない! 私はなにも知らなかったんだっ!」


『――チッ』


 断ち切ったのは痩せて力の無さそうな生徒指導の男性教師だった。


 彼は悲壮な顔で首輪を抑え、体をガタガタと震わせる。


「担任が学年主任――斎藤先生と相談して、そこで情報を止めたんだ。私はいじめが起きていたことすら知らなかった! だから仕方なかったんだ、私は悪くない!! 私は――」


 死に対して恐怖を感じているからこうも言い訳を重ねているのだろう。


 生物であるならば絶対に受け入れたくないことである以上、その反応は当然と言えるかもしれない。


『だから、関係ない。誰が死のうと知ったことじゃないとでも?』 


「そうじゃない、悪いのはその二人でしょう! ならこいつを、こいつだけを!!」


 生徒指導の教師は己の内に渦巻く感情に流されてとうとう仕事仲間すら売り始めてしまった。


 小刻みに震える指先を学年主任の斎藤へと突きつけて唾を飛ばす。


「はぁ!? 何を言ってんだ善見先生! 生徒指導がそんなこと言える立場か! あんたにこそ責任を取る必要があるだろうが!!」


「一度注意されたから巧妙に隠されていて発見できなかった、で口裏合わせようって言い始めたのはあなただったでしょう!」


「隠されたのは事実だ! それに校長だって賛成してたじゃないか!」


「私の名前を出すな! 取りまとめたのは教頭の福田先生だ、私ではない!」


「私が悪いみたいな言い方をっ! いつもそうやって校長は私に押し付けて……」


 校長室には醜い罵詈雑言の嵐が吹き荒れていた。


 理性や礼節、立場の差から来る配慮などは完全に存在しない。


 あるのは生存に対する欲求だけ。


 聖職とも言われた職に就いていた男たちは、顔を真っ赤にして口ぎたなく相手を罵り、目の前の人物にこそ罪があると主張する。


 お前こそが悪いと罪をなすりつけ合い、己に責は無いと高らかに謳いあげていた。


『ねえ』


 けれどそんなお遊びを前にして、彩乃は怒りを感じていた。


 今すぐにでもこの男たちを縊り殺し、死体を踏みにじってなお物足りないほどの怒りを。


『まだそれ続けるつもり?』


 死に対してそこまで感じるものがあるのならば、死をこそ望むまで追い込まれた優乃の苦しみは分かるはずだ。


 だが、4人の男たちは己に罪は無いと言い訳するばかりで一向に理解を示す様子すら見せなかった。


 そんなこと、許せるはずがない。


『そんな風に寝ぼけたことしか言えないのなら、今すぐ殺してやろうかって聞いてんだよ!』


 絶対に、許せるはずがなかった。

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