第28話 欲しかったもの
茂みを歩いていたカトリーンは目的の薬草『ミアム』の葉を見つけて表情を綻ばせた。
ミアムの葉は消化の働きを助ける効能があり、胃腸薬として重宝される。その葉を丁寧に摘み取っているとき、頭上を茶色い影が通り過ぎたことに気付いて手を止める。
耳を澄ますと、湖の畔に降り立ったような僅かな衝撃音がした。
「もしかしてっ!」
カトリーンは半分ほど埋まった籠をその場に残して走り出す。木々の合間を抜けて景色が開けると、そこには思った通り茶色いワイバーンが羽を休めていた。
「こんにちは、フリージさん。偶然ですね」
笑顔のカトリーンが声を掛けると、振り向いたフリージは柔らかく微笑む。
「こんにちは、カトリーン。ただ、あながち偶然でもない」
「と言うと?」
カトリーンは不思議に思って首を傾げる。
「宮殿からテテが飛び立つのが見えたから、きっとカトリーンが呼んだんだと思って慌てて執務を終わらせて出てきた」
「まあ!」
今、テテは普段は宮殿のワイバーンが飼われている飼育施設の一角にいる。ただ、カトリーンが呼べばすぐに飛んできてくれるのだ。
(それって、私に会いに来てくれたってことかしら?)
そんなことを思い、カトリーンは頬が赤らむのを感じる。自惚れてしまいそうになるけれど、その度にこの人はハイランダ帝国で最も高位の人の一人で、自分とは立場が違うのだと言い聞かせて気持ちを自制する。
「今、薬草を摘んでいる最中?」
「はい」
「じゃあ、手伝うよ」
フリージはそう言うと「どっち?」と聞いてきた。カトリーンは先ほどまで薬草を摘んでいた場所をおずおずと案内する。低木が何本が生い茂った一角にしゃがみ込んだフリージは丁寧に薬草を摘み始めた。
「なんか、手伝わせちゃってごめんなさい」
「いいよ。俺がその時間帯に来たんだから。そう言えば、カトリーンのご実家に書簡を出したよ。リリアナ妃の使い魔を使ったから、そろそろ届いているんじゃないかな。正式に許可が下りたら、カトリーンは宮廷薬師だよ」
「はい」
「あと、俺からも少し手紙を書いておいた」
「手紙? 何を?」
「まあ、色々と」
フリージは意味ありげに笑うと、話を切り上げる。
手を伸ばしてミアムの葉を摘むと、プチンと小さな音がした。
宮廷薬師はハイランダ帝国の宮殿のかなり深いところまで出入りを許可されるので、当然のことながら身元調査がある。フリージはカトリーンが宮廷薬師になるための身元保証の証明書を書くように、父親に宛てた書簡をしたためたのだ。
(お父様、書いてくれるかしら……)
カトリーンは気持ちが沈むのを感じた。
あの日、変態ジジイの伯爵様に嫁がされそうになっていたので、カトリーンは家出同然の状態で飛び出してきた。家を出て数ヶ月、全く連絡も取っていない。もしかしたら、身元保証の証明書を書いてくれないかもしれないと思った。
「カトリーン? どうしたの?」
「あ、なんでもないの」
黙り込んでいるとフリージが訝しげにこちらを見つめていたので、カトリーンは慌てて表情を取り繕って胸の前で手を振った。僅かにフリージの眉が寄る。
「……そう? じゃあ、何があったか聞かせてもらおうかな」
以前にも言われたような台詞を言われて、カトリーンは動きを止める。目が合うとフリージは困ったように笑って、カトリーンを見つめ返してくる。
「本当は、なんでもなくはないんだろ? 辛そうな顔をしてる。それとも、俺じゃ話相手には力不足かな?」
「そんなことないわ!」
カトリーンは咄嗟に否定する。
力不足だなんて、一度だって思ったことはない。むしろフリージは、いつもカトリーンの話に静かに耳を傾けてくれる。
ただ、あの家のことを思い出すと今でも辛いのだ。
寒い日に一人、手にできたあかぎれを庇いながら洗い物をしたり、破れた衣服をなんとか繕ってみすぼらしく見えないようにしたり、庭で薬草を集めて調合しては小金を稼いだ惨めな記憶が蘇る。
苦しいときは、神様を心の拠り所にして『大丈夫、笑って』と自分を励まし続けてきた。
ぽろりと涙が零れてきて、カトリーンは慌てて頬を拭ってへらりと笑った。辛いときも笑っていればきっといいことがあるって──。
「カトリーン。無理して笑うことないんだよ。辛いときは辛いって言えばいい。それに、頼りたいときはいつでも頼って。一人で抱え込まないこと。俺が全部聞いてあげるから」
真摯な眼差してゆっくりと語り掛けられて、もうダメだと思った。ずっと押さえていたものが、堰を切ったように溢れてくるのを感じた。
「私、私──」
嗚咽混じりに事情を話すカトリーンの頭をフリージはそっと撫でる。
「うん。辛かったね。カトリーンは頑張ったよ。もう大丈夫だから」
優しく抱きしめてくれる温もりを感じて、やっとわかった。
ずっと、こうやって優しく受け止めてくれる人が欲しかったのだ。母がいなくなってから、ずっとずっと寂しかった。
フリージはその日、カトリーンの話に静かに耳を傾け、落ち着くまでずっと背中を摩り続けてくれた。
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