第11話 予期せぬ再会 2
「食事ですけど……」
「食事?」
カトリーンは突然現れた男性と、自分の手元のパンを見比べる。
「…………。よかったら食べます?」
パンは二枚持ってきたから、二人で食べることもできる。本当は一人で食べたいところだけれど、常々教会の神父様が人に親切にされたかったら、まずは自分が人に親切にしなさいと──。
カトリーンがにこっと微笑んで特製のキノコパンを差し出すと、その男性は訝しげな表情でそれを受け取った。そして、しげしげとそれを眺めてから小さくちぎり、小さい方の破片をおもむろに湖に投げ捨てた。
「あっ!」
カトリーンは呆然とその様子を見つめる。
キノコパンの破片は綺麗な放物線を描いて湖に消えた。
ぽしゃんと音がするのと同時に魚が集まってきて、バシャバシャと特製キノコパンの欠片が食われてゆく。当の男性はそれを無表情に眺めていた。
「な、何するのよ!」
思わず立ち上がり、唖然として男性の方を振り返る。
捨てるくらいなら、自分で食べたかった!
作った人の目の前でそれを捨てるなんて、なんて嫌な奴なのだろう。妹のヘンドリーナですら『不味い』といって全部残す事はあっても、目の前で捨てることはしなかった。
とは言っても、ヘンドリーナの場合はわざわざ皿を持って捨てに行くのが面倒臭いというのと、床に落とすと絨毯とドレスが汚れてしまうのが嫌というのが理由のような気もするが。
カトリーンはキッと男性を睨みつけた。
男性はそんなカトリーンの批判の眼差しに気づいたようで、ちょっとだけ困ったような顔をして眉尻を下げた。
「ごめんね。毒が入っていないか確認したくて」
「毒?」
「暗殺者かもしれないだろ? でも、大丈夫そうだね」
「な、なんで私があなたを暗殺しなきゃならないのよ!」
なぜ見ず知らずの男を暗殺しなければならないのか、意味不明だ。あまりの失礼な物言いに、いつもは穏やかなカトリーンもさすがに怒りが込み上げてきた。語気も知らず知らずのうちに荒くなってしまう。
「だから、ごめんって。一応、命を狙われることもあり得る立場なんだ。それに、人の家の敷地に勝手に入って何かをして、挙句の果てに火起こししているなんて、完全に不審者だろう? ちょっと休憩してたらすぐ近くでがさごそしだすから、びっくりしちゃった」
「人の家?」
「うん、ここ」
男性がにこりと笑って、片手で地面を指す。
「…………」
カトリーンはとりあえず辺りを見渡す。
美しい湖と、生い茂る木々。その合間を小鳥が飛び交う様子が見える。
ここって、誰かの家の敷地だったの?
塀が全然見えなかったけど?
塀が見えないくらい広い敷地ってこと?
もしや、この薬草を持ち出したら自分は泥棒??
この一帯で集めた薬草の籠が目に入り、サーっと青ざめる。
とりあえず笑って誤魔化そうとヘラりとすると、にっこり笑う男性と目が合った。
「また会ったね、お嬢さん」
「また?」
カトリーンはひきつった笑顔で目の前の男性を見返す。
薄茶色の短い髪、すっきりとした鼻梁と淡い緑の瞳……。年齢は二十代半ばだろうか。
なかなかの美男子ではある。
どこかで会ったことがあっただろうか?
プルダ薬局のお客様の顔を高速回転で思い出してゆく。
うん、覚えがない。
「…………。大変聞き辛いのだけど……あなた、誰?」
「前にクッキーをくれただろう? 町で。しょっぱいやつ」
その言葉で全て思い出した。
この人は初めてハイランダ帝国に来た日に見かけた、お疲れ気味だった人だ。
「初めての味だったけど、悪くなかったよ。ありがとう」
「そ、それはどうも……」
たらーりと背中に汗が伝うのを感じる。あれは砂糖と塩を入れ間違えた失敗作であって、美味しいとは言い難かった。自分でも気付いていなかったとはいえ、それを半ば無理矢理に押し付けたわけで。
「これもありがとう。頂くよ」
男性はそんなカトリーンの気など知らぬ様子で、残ったキノコパンを頬張り始めた。もぐもぐと咀嚼しながら、その顔に喜色が浮かぶ。
「これ、美味しいね」
「……それはどうも」と先程と全く同じ台詞が口から零れる。
「きみは食べないの?」
「食べます」
カトリーンは慌てて自分用のキノコパンをもしゃりと齧る。うん、採れたてキノコにたっぷりとオリーブ油が染み込み、塩コショウが効いていて美味しい。
「美味しくできているわ」
噛むとキノコからじゅわりと味が染み出し、カトリーンの表情は自然と綻ぶ。我ながら、なかなかの出来栄えだ。
ちらりと前の男性を伺い見る。伏せた目許には男性にしては長めの睫毛が見える。以前見かけたときははっきりと見えたくまは、今はなくなっていた。
「あなたは何をしにここに?」
「俺? 仕事の合間の休憩だよ。ここは落ち着くだろう?」
顔を上げた男性は、背後に広がる景色を指すように視線を投げる。
カトリーンも目の前に広がる湖とその周りの木々に目を向けた。ここは、まるで俗世と切り離されたかのような穏やかな時間が流れている。
食事しながらお喋りした男性によると、ここは彼の実家が持つ別邸の敷地内で、この湖がお気に入りで時折ふらりと来ては休憩してまた仕事に戻るのだという。
今日もいつものように仕事を抜けて休憩していたら知らない女の子が突然現れて、しかも料理なんぞを始めてさぞかし驚いたことだろう。
「それはごめんなさい」
「いや、いいよ。お詫びはこのパンってことで」
男性は全てのパンを食べ終えると懐に手を入れた。じっと様子を眺めていると、そこから取り出したのは懐中時計だった。金色でぴかぴかと光る、いかにも高そうなものだ。
(ここが別邸だって言うだけあって、凄くお金持ちなのね……)
サジャール国では懐中時計はとても高級品で、大商家であるカトリーンの実家は父が持っていたが、庶民ではまず手が届かない。プルダ薬局には置時計すらないところから判断するに、おそらくそれはハイランダ帝国でも一緒のはずだ。
それなのに、この人はこの若さでそれを普通に使っている。それに、さきほどは『命を狙われることもある』と言っていたことも気になる。
一体何者!? とカトリーンはその男性をまじまじと見つめた。
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