第7話 情けは人の為ならず 3

    ◇ ◇ ◇


 その二時間後、フリージは護衛役として、密かに町に出た皇帝夫婦に同行していた。


 視線の先にいる平民姿に変装した皇帝夫婦は今日も無意識に砂糖を振り撒いている。

 時折お互いを蕩けるような視線で見つめ合い、指先を絡めては気恥ずかしそうに頬を染め、お菓子を買ってはちゃっかりと食べさせあったりしている。


 ……甘い。甘すぎる。


 この無差別砂糖テロのせいで、同行させた何人の近衛騎士達が『故郷の恋人に会いたくなったので』と言い残して職を辞していったことか。

 職を辞さなくても、甘すぎて胸やけになったと訴える被害が相次いでいる。

 ちなみに言わせてもらうと、フリージももう完全に胸やけ状態だ。


 しかしながら、多忙の皇帝夫婦がこうして町に出て息抜きができるのは月に一、二度しかない。

 元々皇帝ベルンハルトと幼なじみの仲でもあるフリージとしては、可能な限りあるじであり友人でもあるベルンハルトの希望を叶えてやりたいという思いもあった。


 しかしながら甘い。そうは言っても甘い。


 半分死にそうな目で二人を眺めていると、その人はやって来た。


「あなたも大変ですわね。どうにもならないその気持ち、よくわかります。どうかこれでも食べて元気を出して」

「……は?」


 目を向ければ、ハイランダ帝国ではまず見かけることがない薄い金髪にピンク色の瞳をした可愛らしい少女がいた。年は十代後半だろうか。なぜか憐れむような瞳でこちらを見上げている。

 そして、彼女は鞄からラッピングした袋を取り出すと、ずいっとフリージに突き出してきた。


 フリージは反射的にそれを受け取る。

 紙の袋はとても軽い。中を覗くと、クッキーのようなものが入っていた。少女はフリージがそれを受け取ったことに満足したのか、嬉しそうに笑う。


「どうかあなたが心安らかでありますように。あ、お礼には及ばないわ。ごきげんよう!」


 少女はそれだけ言うと、くるりと体の向きを変える。そして、タタタッとその場を後にして大きく手を振った。


 一方、突然知らない若い娘にクッキーを押し付けられたフリージは唖然としてその後ろ姿を見送った。今は皇帝夫婦の護衛中なのでこの場を離れるわけにもいかない。というか、なぜこんなものを渡されたのか意味がわからない。


「…………。これ、どうすればいいんだ?」


 クッキー片手に呟いた声は、人々の喧騒の中に掻き消えたのだった。



 ◆



 フリージはじっと考え込んだ。


 一体これはなんのまねだろうか? ナンパかと思ったが、名前も名乗らず立ち去ったところから判断するにそれはないだろう。


「もしや、陛下を狙った間者か?」


 皇帝であるベルンハルトは用心深い性格をしているが、側近であるフリージが手渡した食べ物であれば警戒せずに食べるだろう。もしもこのクッキーに毒が仕込まれていたとしたら? すぐに調べて、事の次第では先ほどの少女を拘束する必要がある。


 辺りを見渡してちょうど目についた犬の前にクッキーの欠片を置いた。犬はクンクンとその匂いを嗅ぎ、ぱくりとそれを丸呑みした。


 フリージはじっとその様子を見守る。今のところ苦しみだす様子はない。しかし、まだわからない。後から効いてくる毒かもしれない。

 しばらく見守っていると犬は元気に辺りを走り回り、尻尾を振りながら消えていった。  


 一見すると毒はなさそうである。しかし、油断大敵である。

 フリージちょうど近くにあった噴水池の中にクッキーを砕いて投げ込んだ。バシャバシャと音を立てて水中の魚が寄ってきて、あっという間にクッキーの破片はなくなる。その様子を眺めていると、魚は元気よく空中にジャンプした。ぽちゃんという音と共に円状に波紋が広がる。


「毒ではないのか?」


 フリージは最後にほんの少しだけ割って自分で食べてみることにした。

 皇帝の側近という立場上、毒への耐性はある程度つけてきた。クマ殺しの毒はさすがに無理だが、通常の毒であれば少しくらい口に入れても問題はない。それに、先ほどの犬と魚の様子からしてクマ殺しの毒ではないだろう。


 きつね色に焼けた欠片を口に入れて咀嚼すると、それはホロホロと崩れて舌の上に広がる。


「しょっぱいな……」


 塩味の効いたそれは、非常に独創的な味がした。

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