第6話 情けは人の為ならず 2
このクッキーは旅の途中の宿屋で厨房を借りて作った、カトリーンお手製の魔法薬を混ぜ込んだクッキーだ。
疲労回復効果があり、味にももちろん自信がある。ちなみに、今日から働き始めるつもりだった職場にあいさつ代わりに持参したものの、結果的に使わなくなったものでもある。
さっきは渡そうとしてピシャリと断られ、結構なショックを受けた。けれど、このお疲れの男性に食べてもらえればこれはこれで本望。
目の前の男性は怪訝な表情を浮かべてカトリーンの差し出したものを摘まみ上げた。そして、胡散臭げな視線でこちらを見下ろしてきた。
カトリーンはにっこりと微笑んで見せる。
あの超絶美女には足元にも及ばないかもしれないが、これでも故郷でお世話になった魔法薬のお店の常連さんからは結構可愛いと評判だったのだ。
「どうかあなたが心安らかでありますように。あ、お礼には及ばないわ。ごきげんよう!」
カトリーンはそう言うと、満面の笑みで男性に手を振る。
よし、一日一善の目標は達成した。
これできっと今日はいいことがあるはずだと、カトリーンは満足してその場を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
カトリーンが採用できないと非情な宣告をされて呆然自失状態になっていたそのとき、大陸の東に位置する大国──ハイランダ帝国の宮殿の一室では、一人の男が執務机に向かっていた。
机の上には崩れ落ちそうなほどの書類が山積みにされ、一部は実際に崩れている。それらを猛スピードで確認し、必要なものにはメモを入れ、また次の書類に手を伸ばす。
「フリージ様、セドナ国より両国を結ぶ橋の建設に関する書状が届いております。建設場所を六カ所ほど提案してきています」
部屋に入室した補佐官のパオロが盆に乗せたまま、一通の書簡を差し出す。
するとその男──ハイランダ帝国の外交トップであるフリージはゆったりとした動作で顔を上げた。少し伸びた薄茶色の髪の合間から見える淡いグリーンの瞳の下には、うっすらとくまができている。
「わかった。後で説明を聞くから、おいておいてくれる?」
セドナ国とは、ハイランダ帝国の隣国だ。長らく両国関係が悪かったため、両国を隔てる大河を渡るための橋は数えるほどしかない。
しかし、つい最近ようやく友好条約が締結され、関係が改善された。そのため、両国間を結ぶ橋を造ろうという話が出ているのだ。
パオロは言われた通り、その書簡を執務机の『未済』の箱に入れる。
「それと……」
「まだ何かあるの?」
「陛下が、リリアナ妃とこれから出掛けたいから付き合えと」
言いにくそうに伝えるパオロの言葉に、フリージの眉間に俄かに皺が寄る。
「前回も俺だったんだけど?」
「はい」
「他の奴は?」
「カール様は新たな法案を御前会議にかける準備でご多忙、レオナルド様は第一部隊の遠征の視察でご不在、デニス様は婚前休暇です」
「ちょっと待って。最後のおかしくない? 婚前休暇ってなに? 聞いてないんだけど?」
「『言っていない。結婚して宰相になったらそうそう休めないから、先にまとめて休む。後は頼んだ』との伝言です」
パオロはデニスから預かったと思しき手元のメモを読み上げる。
フリージはぐりぐりとこめかみを押さえた。
ハイランダ帝国の皇帝、ベルンハルトには特に重用している四人の側近がいる。
艶やかな藍色の髪に理知的な見た目でハイランダ帝国のブレーン的存在である次期宰相のデニス。
アッシュブラウンの癖のある髪を靡かせ甘いルックスで女性に人気だが、裏では情報網を張り巡らせて国内貴族の統率をとる影の支配者カール。
短く切られた髪に鍛え上げた肉体、野性み溢れる軍人であるハイランダ帝国副将軍、レオナルド。
そして、最後がハイランダ帝国の外交トップであるフリージだ。
今から六年ほど前、この国ではクーデター未遂があったため、皇帝であるベルンハルトは人一倍警戒心が強い。そのため、どこかに出かける際には必ずこの四人の側近の誰かが護衛として付くのだが、なぜかその役回りをフリージが押し付けられることが多い。
「俺も忙しいんだけど……」
「……お断りしますか?」
パオロの瞳が、動揺したように揺れる。
明らかに、『陛下を相手に、それを私が言うんですか?』と言いたげだ。恐らく、今この執務室に来たパオロの一番の目的は皇帝からのこの伝言を伝えることだ。
フリージははぁっと息を吐き、手元に視線を落とす。読んでいたのは魔法の力を付与した薬に関する資料だった。
「いや、いいよ。陛下も滅多に城下には行かれないから。ただ、付き添わせる近衛騎士を選んどいてくれる? 間違っても独身で故郷に恋人がいる奴は駄目だよ」
「かしこまりました」
パオロはホッと息を吐くと、足早に部屋を出た。
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