第12話 カレンダー共有

「豚汁かよ」

「豚汁です」

 その日の昼、休憩時間に持ってきた弁当を食べていると、後からやって来た五月女が笑った。

「それも下宿の大家さん?」

「あ、これは俺が作りました」

「へー? 下宿ってそう言うもんなの?」

「豚汁得意なんですよって言ったら、食べてみたいって言ってくれたんで」

「ふーん。仲良いんだね」

「そっすね」

 仲は良いと思う。ベッドでのことを指しているわけではない。日常生活においても、自分たちはよく話す。最初は得体の知れなかった中堂も、話してみるとただの人間だった。当然と言えば当然だが、小田桐は中堂をある程度親しい人間として受け入れている。

 ピロートークも増えたと思う。冗談を言うようになった。日常の中で、何気ない時にキスすることも触れ合うことも多くなった。確実に距離は縮まっている。

 もっとも、中堂が言うように、一番近い関係はセックスフレンドであるのだろうけど、そう言う括りの中でも、親しくなったことに変わりはない。

「あ、そう言えば、大家さんに心配されたんですよ」

「何を?」

「全然残業してないけど窓際なんですか? って」

「面白いね」

 実際に言われたのは、「全然残業してませんけど、窓際族なんですか? 薬学部六年分の学費出して卒業させた息子が、二十代にして窓際ってご両親はどう思うでしょうね」だったのだが。

「なので、別に遅くなったからって怒られることもないので、全然残業大丈夫ですよ。大体

、子供じゃないんですから」

「まあ、残業なんてそんなするもんじゃないし、小田桐さんが帰った後も皆すぐ帰ってるから大丈夫だよ」

 一時はあまりにも人が足りなくて八時くらいまで残業していた。言われてみれば、最近は引っ越す前からそこまで残業していない。何てことはない。単に、家が遠かったからすごく遅くまで残っていたように感じていただけだ。

「あんまり若手を残らせてると、新卒の子がお先真っ暗になるからね」

「それなら良いんですけど。五月女さんこそ大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。それに」

「なんですか?」

「小田桐さん、最近新婚さんみたいだから」

 豚汁を吹き出しそうになった。

「大家さん、美人なの?」

「美人です」

 男の人ですけど、と言う言葉は飲み込んだ。

 なんとなく、中堂の情報は秘匿しておきたい気がした。


「帰りました」

「また定時ですか?」

 帰宅すると、中堂がまた憎まれ口を叩いている。

「同僚に言われたこと、聞きます?」

「是非」

「新婚さんみたいだから早く帰れ、ですって」

「……は?」

 ぽかんとしている。それはそうだろう。ともすれば呆然としているようにも見える中堂の頬に、朝したように口付けをする。

「ただいまのキスです」

「小田桐くん……」

 中堂が絞り出すような声を出した。がしっと小田桐の前腕辺りの袖を掴むと、ぎゅうぎゅうに握りしめて引っ張ったり押したりしている。怒らせてしまったかもしれない。

「中堂さん?」

 呼びかけると胸倉を掴まれた。向こうは玩具を奪い返そうとする犬みたいな呼吸をしている。引っ張りあげられて、小田桐は自然、背伸びをするような形になった。

「中堂さ……」

 息を吸い込む音と共に、唇に柔らかいものが押しつけられる。分厚くて温かいものが唇の裏に触れた。それが舌だと気付くのに、少し時間が掛かってしまったのは、中堂が怒ったと思ったからだった。しばらくされるがままになって様子を見ていると、やがて中堂は小田桐を解放した。いつものすまし顔。前髪を掻き上げ、

「お帰りなさいのキスです」

「激しいですね……」

「次の休みが楽しみですよ」

 中堂はそう言って、カレンダーを見た。小田桐の休日が書いてある。それを見て、もう一つ、職場で教えてもらったことを思い出す。

「あ、カレンダーで思い出した。先輩に教えてもらったんですけど、予定共有アプリがあるんですって」

 前田看護師と親しい百瀬からの情報である。これにシフトを入れておけば、相手の休みがすぐわかり、予定を立てやすいと。

「……なんでその薬剤師は看護師と予定共有してるんですか?」

「仲が良いからじゃないですか?」

「はぁ……」

 前田看護師の事はよく知っている。良い人だ。おっとりした人なので、急ぎの電話なんかでも前田が出てくれると安心する。確か、彼の病棟を百瀬が担当していた筈だ。百瀬もベテランなので、二人が揃うと仕事もしやすいのだろう。その延長で親しくなったのではないかと小田桐は思っている。

「ということで、中堂さんも、これどうですか? 予定立てやすいですよ」

「あの、君、私の予定がそう言うことだけでも良いんですか?」

「今だってアナログなだけでやってることは同じじゃないですか」

 何を今更。小田桐が心の底から思ったことを言うと、中堂は大人しくアプリをインストールする。

「これで良いんですか」

「カレンダーに招待するんで……」

「招待?」

「誰でも見られるカレンダーに予定書けないじゃないですか。二人だけのカレンダー作るんですよ」

 中堂も、別に機械類に疎いわけではない。小田桐が説明しながら一緒に操作していると、共有カレンダーの設定はすぐに済んだ。既に小田桐がシフトを入れてある。

「中堂さんの予定も入れてください」

「ないです」

「ないんですか?」

「ないです。ああ……」

 何かを思い出したように天井を見た。しかし、何だろう、とこちらが身を乗り出すと、すぐ不機嫌そうな顔になり、

「君をベッドに誘う日、でしょうかね? 赤丸の日は寝かせませんのでそのつもりでいてください」

「中堂さん……」

 なんだかくすぐったい気持ちになって、小田桐は笑った。その彼を、中堂は変なものでも見るような目で見ている。しかし、何かに気付いたような顔になると、ふっと口角を上げ、

「君がその気になってくれて嬉しいですよ」

 小田桐の首筋に顔を埋めた。


 この日の夕飯も、残り物の豚汁だった。メインは中堂が作ったハンバーグ。確かに味が少し違う。宣言通り合い挽き肉に変えたらしい。

「お弁当の分、残してありますから」

 中堂は少し不機嫌そうに言った。

「ありがとうございます」

「いいえ」

「あの、カレンダー、もしかして嫌でした?」

「は?」

 ともすれば、カレンダーの共有は少々強引だったのかもしれない。中堂の喜ぶことはわかってきたが、嫌がることがまだ読めない。

「カレンダー共有」

「え? ああ、違うんですよ。カレンダーは便利ですね。良いと思いますよ」

「じゃあ良かった。なんか、機嫌が悪そうに見えたから」

「別に、機嫌悪くなんてしていません」

「それなら良いんですが……」

 あんまりつっつくとまた怒られそうだ。小田桐は豚汁の入った汁椀を持ち上げた。


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