第10話 休日の買い物
いつも通りの朝食を向かい合って済ませる。小田桐がトーストを囓る音も、すっかり耳に馴染んだ。もぐもぐと、行儀良く咀嚼している彼の顔が案外面白く感じることに気付いて、中堂はついつい相手の顔を見ながら食事してしまう。コーヒーを一口すすった小田桐が眉を上げた。
「コーヒー豆、変えました?」
鋭いな、と中堂は内心で舌を巻く。その通りだ。しかし何でもないように、
「わかりますか? 店長オススメのオータムブレンドです」
「わかります。美味しいですね」
「いつものはどうです」
「あれも好きですよ」
「それなら良かった。私はあれが気に入りでね」
「牛乳と合いますよね」
なんて事を言いながら食べていると、時間が経つ。一人で食べるより、休日の朝食に割く時間が大分増えたように感じられたが、そう悪い気もしなかった。あんまり認めたくないことではあるが……。
(結構楽しいんですよね、この時間……)
そう言えば、神谷と食事しているときも、何だかんだでこういう何気ない会話ができる時間も楽しみだった。他人と他愛のない会話をしている時間は、楽しいものなのだろう。
それが小田桐に起因するものだと、中堂はまだ思いたくなかった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて頭を下げる小田桐。中堂も頷いて、
「はい、お粗末さまでした」
「それじゃあ、着替えて買い物に行ってきます」
「私も行きます」
立ち上がるのを見上げて告げると、
「え? 中堂さんも?」
心の底から驚いた様に問い返された。
「どうしてそんなに驚くんです? 良いですか、今日一日、一食作るからって調子に乗らないように。明日からの食事も私が作るんですからね。その材料買わないといけないでしょうが」
「そうですね……」
一人で留守番するのが退屈だから、ついて行きたいとは口が裂けても言えない。言わない。主導権は中堂が握っている必要があるのだ。
「洗い物して、着替えるので、先に支度して待っててください」
「わかりました」
「ベッドで待ってなくて良いですから」
「わかってますよ!」
冗談を投げると憤慨された。階段を上がっていく背中を、にやにやしながら見送って、中堂はスポンジに洗剤を染みこませた。
良い天気だった。秋晴れとでも言おうか。ただ、風は冷たい。冬が近づいている。枯れた落ち葉が、からりと乾いた音を立てて、でこぼこしたアスファルトの表面を滑って行く。
「寒いですね」
小田桐は肩をすぼませながら目を細めた。元々、ぱっちりとは言い難い目つきだから、そう言う顔をするとまるでチベットスナギツネだ。
「ちょっと、私を風除けにしないでくださいよ」
「中堂さんが歩くの速いんですよ」
自分のやや斜め後ろを歩く彼を睨む。小田桐は自分の身体半分を、ぴったりと中堂にくっつけた。
「なんですかそんなにひっついて」
「寒いから……」
「私で暖を取るな。ていうかコートあるからあんまり意味ないでしょ」
この分厚いコート越しに他人の体温を感知できるものか? 横断歩道に差し掛かり、赤信号で立ち止まると、小田桐は少し背伸びをした。体重がかかる。何だろうと思うと、耳元で囁かれた。
「俺はいつも中堂さんで暖取ってますから」
「は?」
「夜とか」
そこまで言われて、ようやく小田桐の言いたいことに気付いた中堂は、振り返ってゴミでも見るような目つきを作る。呆れた声で、
「午前中の町中でそう言うこと、言います?」
「ふふふ、困ってる困ってる」
肩に額を押しつけられた。どうやら笑っているらしい。
「子供みたいな仕返ししますね」
「中堂さんからしたら子供なんですよね」
「こう言うときだけ口達者ですねぇ」
言い合っている内に信号が変わった。フレックス出社か、遅い登校か、小田桐より少し若い男性がこちらをちらりと見て追い越して行く。20代後半と、40代前半がひっついて歩いていたら、何事かと思うだろう。
「あれです。あれが、ここから一番近いスーパーです」
「初めて見ました」
「そうですか。まあ、スーパーって結構地域差大きいですからね」
「安いんですか?」
「普通じゃないですか? チラシはたまに入っているから安くなるときはありそうですよ」
「そうなんですね」
小田桐にカートを押させて、中堂が先導した。
「肉コーナーがこちら」
「ジャンボパックある。ね、中堂さん、何日か豚汁続いても良いですか?」
「構いませんが、流石に1ヶ月は嫌です」
「食べきる前に腐るでしょ。でもそうかぁ、2人分だからなぁ。消費も遅いよなぁ」
「君が頑張って食べてくれるなら良いんじゃないですか? 責任持って食べてくださいね」
「頑張ります」
小田桐は豚肉のジャンボパックを買い物カゴに入れた。ネギ、こんにゃく、大根などを買い物カゴに入れていく。
「人参はうちにまだあります」
「じゃあ買わなくて良いですね」
「良いです。あ、そうだ鶏ガラスープの素がないから買いましょうか」
中堂も必要なものをカゴに放り込んだ。豚汁の材料を買いに来たつもりだったのに、いつの間にかカゴは一杯になっていた。支払いに向かうと、レジ前の貼り紙を見て小田桐が中堂の袖を引っ張る。
「エコバッグ持ってきてます? レジ袋1枚2円ですって」
「たった2円でしょ」
「塵も積もれば山となるって言うじゃないですか」
「じじ臭いこと言わないでください。それに、ちょっとゴミをまとめるのに使うから良いんですよ」
そう言いながら、レジ袋を2枚むしり取った。
中堂はコートのポケットに手を突っ込んで歩いている。その後ろから、両手にレジ袋を持った小田桐が続いている。ふうふう言いながらバランスを取って小田桐が追い掛けてくるのを振り返る。良い気分だ。
「はい、じゃ君が持って下さい」
そう言って空になったカゴを下げると、小田桐は二つ返事で了承してレジ袋を持ち上げた。しかし、案外重かったらしい。手が痛いだのなんだの文句を言っている。
「ま、待ってください中堂さん」
「遅いですよ。君の体力そんなもんじゃないでしょ」
「腕力がないんですよ」
「嘘吐け」
「ほんとですって。納品された液剤しまったり、精製水運んだりはしますけど、長距離じゃないし」
「そう言うことを言ってるわけじゃないです」
振り返って意地悪く笑うと、小田桐もこちらの言いたいことを察したらしい。
「午前中の町中でそう言うこと、言います?」
「ははは、困ってる困ってる」
空を仰いで笑った。仕方ないので、立ち止まって待っていてやることにする。追いついた小田桐は、「すみません」と情けない顔で笑った。けれど、「持って下さい」とは言わなかった。奴隷根性め。
「ポッケに手を入れてると危ないですよマジで。それで転んで顔面骨折とかよくあるんで」
「今まで平気だったから大丈夫でしょう」
「事故る人の台詞だぁ……」
病院勤務の言葉には説得力があったので、中堂は悟られないようにそっとポケットから手を出した。顔に傷が付くと思うと少々身構えてしまう。何だかんだで、この顔は財産だ。
帰宅すると、揃って手洗いとうがいを済ませた。買った物を冷蔵庫にしまう。
「お昼、昨日の残りで良いですか?」
「何でも良いです」
「何でも良いが一番困るんです」
いつものやりとりをして、冷蔵庫を閉めた。
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