第4話 自分の布団
食料を買いに行くのは中堂に任せ、小田桐は布団を買いに行くことにした。日曜を挟んだ3連休を取っているので、いざとなったら、今日と明日はベッドで寝ることにしよう。自分の仕事を引き合いに出して強く拒否した分、気は引けるが。床やソファで寝るよりはマシである。
小田桐は、少なくとも6時間は寝ないと仕事に響く体質をしている。できれば7時間寝たい。ロングスリーパーなのだ。だから、実家の頃は睡眠時間を確保するのに必死だった。中堂にはそこまで説明しなかったが、残業も多い。
いくら職場まで近くなったとは言え、仕事の前の日に他人とベッドを共にするなんて、小田桐には到底無理だ。他の薬剤師がどうしているかは知らない。知っても参考にできない。
(薬剤師でしょ?)
意外そうに言われた一言がまだ頭に引っかかっている。医師と看護師だけで医療が回っているわけではない。薬剤師、検査技師、放射線技師、理学療法士……医療に携わる職業は山ほどある。薬剤師はその内の一つだし、そもそも薬学部に六年通った上で国家試験に通らないと名乗ることすらできない。
薬剤。病院のその一角に、それだけの知識を求められて応えた人材が配置されているのである。高い専門性が求められていることは自明だとは思うのだが。
(考えるのやめよ……)
柄にもなく強い物の言い方で説明してしまったが、当事者でもない仕事を、説明も受けずに理解しろというのも無理な話である。聞かれたら説明するに留めて、自分から仕事の話はしないことにしよう……と小田桐は心に決めた。
(もっとも、あの人が薬剤師の仕事に興味があるとは思えないんだけど)
家具店の入った総合スーパーで布団を購入し、配送の依頼をする。幸いにも、明日の午後には届くとのことだった。それから中堂の家に戻ると、彼が台所に立っていた。エプロンをして鍋の中身を菜箸でつついている。青菜を茹でている様だった。
「ああ、お帰りなさい。お布団は買えましたか?」
「明日の午後には届くそうです」
「良かったですね。じゃあ今日はベッドで寝ませんか?」
含みのある笑顔だ。小田桐の方でも結論は出ている。床で寝たくはない。
「そうします」
それだけ答えた。洗面所に行って、手洗いとうがいを済ませると台所へ戻り、
「お料理、何か手伝いますか?」
「いえ、結構。簡単なものですから。荷ほどきでもしていてください」
「荷物、どこに置いたら良いですか?」
「寝室を適当に使って下さって結構ですよ」
「わかりました」
台所を出て行こうとして、別のコンビニの袋が無造作に放り出されているのを見た。その透けて見える中身がコンドームの箱だと言うことに気付くと、目を逸らした。そのまま2階へ上がる。
さっき出て行った時のまま、ベッドが乱れている。よこしまなことをした空気が残っているような気がして、窓を開けた。秋口の風が入り込む。涼しい。
(それにしても、この後どうなるんだろう)
中堂の言葉を額面通りに受け取るなら、たまに夜の相手をして……今日のことを考えると、夜だけとも限らない気がしてくるが……中堂が飽きたら自分は実家に帰るなり他にアパートを借りるなりするのだろう。どれくらいで飽きられるんだろう。
一緒に生活するんだったら、生活費も入れないといけないだろうし、食事とゴミ出し、掃除もやるべきか。ゴミの分別表を後で見せてもらわないと。日用品の場所とかも。
(病院に住所変更届出して……)
電車の定期も手続きをしたい。
荷物をある程度片付けると、再び1階のリビングへ降りた。コンビニの袋はいつの間にかさっきのところからなくなっている。思わず中堂に視線を投げかけてしまった。探る様な目をしたと自分でも思う。相手は気付いているのかいないのか、こちらに気付くと笑みを浮かべた。美しい笑みだった。
元々、ホラー映画にでも登場しそうな迫力のある美形ではあった。だから、愛人業をしていたのだと言われて妙に納得してしまってもいた。この顔で迫られると、断る方の感性がおかしい気すらしてしまう。けれど、女性的という訳ではなかった。骨格は男のものだし、顔だって一目見て男とわかる。肩幅も広い。体格だけで言うなら、小田桐より良いくらいなのである。
不意に、ぞくっとした気配が腹の下から這い上がって来た。この美形が、髪の毛を振り乱して、自分の上で。
(思い出すのやめよう)
ふるりと首を横に振る。
「ご飯食べられますよ」
「あ、頂きます」
昼食代わりに煎餅を食べたくらいだったから、小田桐は空腹を抱えていた。焼き魚と野菜、味噌汁、白米。思わず顔と見比べてしまう。
「何ですか?」
「なんでもないです。頂きます」
「お口に合えば嬉しいですね」
味噌汁は美味しかった。焼き魚と野菜の味付けは、それぞれ醤油とドレッシングなので味について感想を持ちようがない。
「お仕事はいつから?」
「今日から日曜挟んで3連休なので、火曜からです。引っ越しがあると言って休みをもらいました」
「そうですか」
中堂はにっこりと笑う。小田桐は思わず手を止めて、その顔を見てしまう。微笑みがやはり美しかったと言うのもあるが……。
「……何を考えていますか」
「君の予想通りですよ」
涼しい顔で味噌汁を飲んだ。
その後、片付けを済ませてから家の中を簡単に案内してもらった。小さい家だ。最後に案内されたのは浴室だった。洗濯機が置いてある。実家にあったものと比べるとかなり小さい。
本当に一人だったのだ、と小田桐はその時思った。
「ここがお風呂です。色物はこっちの籠、それ以外はあっちの籠に入れてください」
「わかりました。あと、ゴミ出しの表ってありますか?」
「台所の奥に貼ってあるんですけどね。冷蔵庫に貼りましょうか」
「お願いします」
「じゃあ君はお風呂にどうぞ。私は残りの片付けをしてきます」
「ではお言葉に甘えて」
「その後で私が入るので、部屋で待っててください」
と、何でもないように言われて、小田桐は中堂を見た。
「……今夜?」
「ええ」
「昼のは……」
「お試しです」
やっぱり、あのコンドームはそう言うことだったのか……。半ば予想していたことではあったが、はっきり言われるとため息が出てしまう。
「わかりました」
「良い子ですね。君のそう言うところ、気に入りましたよ」
中堂は目を細めて微笑むと、脱衣所を出て行った。
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