カッコサマ
逢雲千生
カッコサマ
私と上の姉は、十五も歳が離れている。
さらに、姉と二つずつ歳が違う兄が三人と、その上にもう一人姉がいるのだけれど、そのもう一人の姉はずっと昔に亡くなっている。
私の実家は、どういうわけか女性の寿命が短かった。
家を継ぐのは決まって男だったけれど、その兄弟に女性がいると、必ず若くして亡くなるのが当たり前だったというのだ。
父にも妹が二人いたらしいけれど、一人は十代、もう一人は七歳の時に亡くなったと聞いている。
しかし男性の方は長寿で、九十歳以上などざらだ。
かくいう私も女性なのだけれど、五十を過ぎた今もピンピンしている。
それはどうしてかと聞かれてしまうと、あの時の話をしなければならない。
女性の平均寿命が二十歳前後の実家で起こった、あの忌まわしい頃の話を。
私の実家は、山奥にある小さな集落の一軒だった。
地主というわけではなく、田畑があるわけでもなかったけれど、我が家はいわゆる資産家だった。
田舎の資産家なので、豪華な屋敷や綺麗な庭があったわけではなく、広いだけの古い屋敷と庭があるだけの質素な家だった。
田畑も山も無い我が家が、どうして資産家になったかといえば、それはオカイコサマのおかげだ。
オカイコサマというのは、
昔から田舎の方では、冬の収入源として蚕を飼っては糸を取り、それを売って冬を越すところが多くあった。
我が家はそれによって大きくなったと言われている。
蚕を育てるのに適した気候だったことと、飼育できる環境づくりにこだわったことなどが重なり、広いだけの土地に、オカイコサマ専用の屋敷をいくつも建てられるほど儲けていたのだ。
他の場所では、冬に
蚕の幼虫を売買することもあり、近所の人や同業者から「罰当たりな」と陰口を言われることも多かったそうだけれど、それを気にする人はほとんどいなかった。
私が生まれた時は
産婆さんの他には、二人の老婆がいただけの出産で生まれた私は、その日に一番上の姉を亡くした。
元々体の弱かった
私が生まれたという話を聞いて、間もなくの事だったらしい。
出産祝いと葬式が重なったこの時期、兄達は学校に通っていて誰も帰ってこなかったと聞いている。
三人とも寄宿舎や寮で生活していたので、急な外出許可が下りなかったというのだ。
そのため、キヨ姉さんの葬式は親族を集めただけの簡単なものになり、私の出産祝いは「おめでとう」の一言だけになってしまったという。
父も祖父も、女だからと差別したわけではなく、全員が集まった時に改めて行おうと考えていたらしい。
なので、兄達が帰ってきた数ヶ月後に撮られた写真があり、少しだけ成長した私が母に抱かれている姿を見ることができたのだ。
そんな大騒ぎだったという出生時の話を聞いたのは、七歳の冬だった。
我が家は冬に糸紡ぎや機織りをするので、冬は女性が忙しくなる。
春から秋にかけては、集落の若い女性や子供が手伝いに来ていたが、冬は自分の家の仕事があるため、みんな家に
春夏秋冬、休むことなく蚕の世話をするため、蚕用の建物にはいつも明かりがついている。
毎日代わる代わる使用人の人が番をしていて、秋から晩秋にかけて幼虫になった蚕を育てながら、雪が溶けるまで命を繋ぐ。
雪がない時ほど盛んではないが、それでも蚕は生まれ続けるので、その一部だけを成虫にすると、残りは全て糸にしてしまうのだ。
残された成虫は、一ヶ月半ほどの短い人生の最後に、子孫を残して一生を終えるか、もしくは残せずに終わるかのどちらかしか選択肢がない。
子孫を残せなかった成虫は、同じ立場の成虫同士で隔離され、静かに一生を終えるのだ。
それを知ったのもこの頃で、私と歳が近かった女の子が機織りをしながら教えてくれていた。
彼女はヨネといって、私が住んでいた集落より、ずっと北の方から働きに来たと言っていた。
彼女の家は農家で、兄弟が多く人手も足りないため、歳が近かった兄達に続いて自分も稼ぎに来たのだと笑っていた。
歳が離れすぎている兄姉達を持つ私にとって、彼女は姉であり友達だった。
夜中に部屋を抜け出して、こっそり彼女の布団で眠ったこともあるし、おやつを一緒に食べた事もある。
祖母には怒られたけれど、それでも私は彼女が大好きだったのだ。
十歳をすぎると、今度は次女のキヨ姉さんが病気になりました。
原因不明の病だと言われましたが、いつも苦しそうに息をしていたので、もしかすると肺を悪くしていたのかもしれません。
その頃からです。ミヨが「この家は怖い」と口にするようになったのは。
ミヨ姉さんが病気になってからというもの、屋敷中が姉さんを避けるようになりました。
私にとっては、女性の早い死を噂で聞いていた程度で気にしていなかったのですが、ミヨの言うようにだんだんと怖くなっていったのです。
「あの子はいつまで持つかねえ」
「キヨ様よりは早いかもねえ。まあ、それでも長く生きた方だよ」
「それを言うなら、大旦那様の妹御もそうだろう。あの人は長く生きすぎたんだよ。だから儂等も苦労させられたんじゃ」
「じいさん、それは言っちゃいけねえよ。まだカヨ様が残っとるんだ。聞かれて逃げられちゃあたまらんだろう」
キヨ姉さんが病気になってから、使用人達が様々な噂をするようになりました。
姉さんがいつ死ぬのか、早く死んでもらわなくちゃ困るだとか。そんな酷いことを言っては、また別の女性達の話をするのです。
大旦那というのは私の祖父の事で、祖父には妹が一人いました。
彼女は三十過ぎまで元気に生きたと聞いています。
歳の離れた妹を祖父は可愛がっていましたが、妹が亡くなる頃に大きな災害が起こったと言われていて、大勢の村人が亡くなったそうです。
昔から祖父の妹の話はよくされていましたが、ここまであからさまに話す彼らを不気味に思っていました。
ミヨも「おっかねえ、おっかねえ」と震える日が増えて、彼女と話す時はいつも家の外になったのです。
「ねえ、ミヨ。あの家に何かあるの?」
お使いに行くという彼女について行き、私は聞いてみました。
いつも家を怖がっていて、屋敷の中でも庭でも震えている彼女を、唯一の味方のように思い始めていました。
父も祖父も、キヨ姉さんの事は諦めていたのか、お見舞いにも行かなくなりました。
それどころか、厄介払いのように蚕の家へ連れて行ってしまったのです。
肺を患っていたのならば当然の事だったのですが、感染を恐れているのならば、人がいる場所ではなく、人がいない場所に連れて行くのではないだろうかと、ずっと疑問に思っていました。
キヨ姉さんが病気なった次の年から、学校を卒業した
その二年後には
ミヨもそろそろ結婚する歳だという事もあり、私は少しでも寂しさを忘れようとしていたのかもしれません。
兄が帰ってくるたびにミヨを頼り、家族よりも一緒にいるようになると、ミヨは私を信用してくれたのか、だんだん笑顔を見せてくれるようになりました。
使用人と雇い主の娘。そんな関係は変わりませんでしたが、ある時だけ彼女が私と距離を取ることはありました。
それは、キヨ姉さんの話をする時です。
姉さんの病気で不思議に思ったことや、噂で聞いた話などをすると、彼女はいつも少しだけ間を開けて話すのです。
ミヨは私の質問に言葉を選んでいるようでした。
いつもなら笑顔ではっきりと答えてくれるのに、この時ばかりは言葉を濁すばかりで、家に帰るまで答えてもらえないこともたくさんありました。
彼女が何を言いかけていたのか、何を迷っていたのかを知ったのは、キヨ姉さんが亡くなった日の事です。
あの日は明け方まで雪が降り続いた日で、家を出るのも苦労するほど雪が積もっていました。
使用人達だけでなく、家族
外からは楽しそうな声や、指示を出す父達の声が聞こえ、屋敷の中も仕事終わりのねぎらい料理を振る舞うための準備で大忙しです。
邪魔にならないようにと部屋に押し込められた私は、一人で人形遊びをしていました。
普通であれば学校に行っていてもおかしくない歳でしたが、我が家の女性は誰も学校に通わせてもらえませんでした。
勉強ができれば宿題でもやろうと思えたのでしょうが、私がその頃にできたのは、人形遊びかままごと遊びくらいです。
何時間も遊んでいましたが、さすがに飽きてしまい、ミヨを探しに外に出ました。
誰にも見つからないように、雪の
誰かに見つかる前に戻らないといけないと思いましたが、姉さんはもう長くないとみんなが噂していたので、せめて最後にお話がしたいと中に入ることにしたのです。
家の中は薄暗く、独特の匂いがしていました。
蚕を煮る時よりはマシでしたが、気味の悪い感覚に襲われ、
何階建てにもなる高い天井の下には、蚕用の部屋の他に休憩所くらいしかなく、誰かしらは番をしているだろうと思っていました。
見つかったらどんな言い訳をしようかと怯えていましたが、あまりの静けさに探してみても誰もいません。
奥へ奥へと進みますが、だんだんと暗くなっていき、家の中をどんどん不気味に感じてきたのです。
それもそのはずでした。
屋敷中の扉も雨戸も全て閉じられていて、まるで何かを隠すかのように暗闇を作っていたからです。
「……姉さん、キヨ姉さん」
恐る恐る姉を呼びました。
怖いと思いながら帰る気にはなれず、どこかにいるであろう姉を探して、さらに奥に向かいます。
「姉さん、姉さん」
泣き出したい気持ちをこらえて、一番奥の部屋に入ると、暗闇で布団に寝ている姉を見つけたのです。
「キヨ姉さん」
姉を呼ぶと、すっかり痩せこけた姉が目を開けました。
「カヨ、ちゃん……」
弱々しい声で名前を呼ばれると、私は小さい子供のように声を出して泣きました。
姉に縋って泣くと、彼女の骨が布団越しにもわかり、さらに涙が出ました。
しばらくの間泣いていましたが、姉は皮と骨だけの腕をなんとか上げて私の頭を撫でてくれて、久しぶりに会う姉の優しさにまた泣きました。
ようやく涙が止まると、姉は「よく来れたね」と言いました。
姉は家族の許可をもらったと思っているらしく、私も黙ってきた事は言えなかったので、どうにかごまかして短い再会を喜んでいました。
「でも良かった。カヨちゃんに会えて、本当に良かった」
「どうして? ずっと会えなかったから?」
姉に聞くと、彼女は「ううん」とわずかに首を振りました。
「今日でお別れだったから」
「え……?」
姉の言葉に驚いたのは言うまでもありません。
いくら弱っているからといっても、なぜ今日でお別れになるのかわかりませんでした。
姉は優しく笑っていました。まだ元気そうです。
なのにどうして、と聞こうとした時、部屋の扉が開きました。
「カヨ様。ああ、良かった」
入ってきたのはミヨでした。
雪かきが一段落したので、一足先に屋敷に戻ったミヨが私の部屋を訪ねたところ、誰もいないことに気がついて探しに来たそうなのです。
大騒ぎになるからこっそり探しに来たのだと言われて安心しましたが、ミヨの顔は真っ青でした。
「ああ、良かった。ミヨ、カヨちゃんをお願いね」
「はい、無事に連れて帰ります」
姉はミヨを見ると安心し、そう言って眠りにつきました。
ミヨも姉に真剣な顔で答えると、私の手を引いて部屋から出ました。
「ミヨ、待って。まだ姉さんのそばにいたいの。お別れなんてまだ早いもの」
一度も後ろを振り返らないミヨの背中に、私は姉の言葉を思い出して恐怖を感じたのです。
まだまだ元気そうだったのに、姉は今日でお別れだと言った。
それはいったいーー。
その時です。背後の床が
寒暖差で起こるものではなく、たしかに誰かが踏んだ音でした。
ミヨが立ち止まり、私は彼女の背中にぶつかって止まりました。
背後では、ゆっくりと歩くような重い音が聞こえ、誰かが奥へ進んで行きます。
どこかの部屋に誰かがいたのだろうかと振り返ろうとすると、ミヨに「振り返っちゃいけません!」と怒鳴られました。
初めて聞くミヨの大きな声に驚いた私は、背後の足音を聞きながら、彼女を怒らせてしまったかとミヨの手を握りしめました。
ミヨは怒っていませんでした。
ただただ、恐怖で震えるほどの何かに怯えていたのです。
私の手を握りしめるミヨは、震えながら歩き出しました。
私も引っ張られるように歩き出すと、背後の足音は遠ざかっていきます。
いつの間にか私も震えていて、歯がカタカタと音を立てていました。
お互いに震えながら外に出ると、私達は隠れるように雪の影を歩いていきます。
その時、背後で女性の悲鳴が聞こえました。
今まで聞いたことのない恐ろしい悲鳴がした後で、屋敷から人が大勢やって来るのが見え、私はもう一つの恐怖に怯えました。
黙って屋敷を出ただけでも怒られるのに、もし姉に会ってきたことが知られてしまえば、怒られるくらいでは済みません。
私の様子に気づいたのか、それとも自分も怒られると思ったのか、ミヨは私を隠しながら雪の
その顔を見た私は、ふと理解しました。
ああ、姉は死んでしまったのだなと。
来た人全員が姉のいる蚕の家に入るのを見届けて、あとは誰も来ないことを確認すると、こっそりと二人で私の部屋に籠もり、その日の晩に葬式の話を聞いたのでした。
二人目の姉が亡くなり、また葬式になりました。
まだ二十代だった姉の葬式には近所から人が集まりましたが、誰も悲しんではいませんでした。
「良かった良かった。これでまたしばらくは安泰だ」
「またカッコサマが喜んでくださったようで何より何より」
村の男達が笑って酒を飲み、亡くなったばかりだというのにどんちゃん騒ぎです。
「これでカヨ様が亡くなれば、あと数十年は大丈夫よね」
「ここ何代かは長寿の方が続いていたし、今度は早いといいわね」
村の女達も
葬式なのに祝い膳。
その異常さを言葉で説明できなくても、これはおかしいと思いながらキヨ姉さんのところに行きました。
白い布が掛けられた姉は小さくなっていて、布をとって姉の顔を見ると、その考えは間違っていないことがわかりました。
最後に見た姉は、痩せこけていても優しい顔をしていました。
なのに今は、恐怖に歪んだ恐ろしい顔です。
これはあの時聞いた、あの足音の正体が関係していると思いながら部屋に戻ると、ミヨが震えながら頭を下げて座っていました。
「……ミヨ。お願いだから教えて。この村には、この家には何がいるの?」
そう尋ねると、彼女は泣きながら話してくれました。
「私は昔から、人に見えないものが見えるので、村の中では変わり者扱いされていました。村を出た理由も、お金を稼ぐ以外に居場所がなかったからです。ですが今は、このお屋敷に来た事を後悔しています」
誰も来ない私の部屋で、ミヨは泣きながら教えてくれました。
「この屋敷に来てからというもの、毎日どこかしらで黒い影を見ていました。機織りをしていても、カヨ様のお相手をしていても、何をやっていても影はどこかにいて、その姿を見るたびに、恐ろしくて恐ろしくてたまらなかったんです」
ミヨが「おっかねえ、おっかねえ」と言っていたのは、屋敷の異常な状況に対してではなく、毎日見ていた影に対してだったのです。
その黒い影というのは、人の姿をしていますが輪郭がぼんやりとしていて、ちょうど人の影を濃くしたような感じだったと言っていました。
それが毎日屋敷の中を歩き回っているので、絶対何かあると思っていた頃にキヨ姉さんが病気になり、その影が姉さんにしがみついているのを見て確信したのだそうです。
「キヨ様がこの屋敷におられた頃は、私も世話をしていましたが、その時には必ず黒い影がキヨ様のそばにおりました。キヨ様が起き上がると、影は後ろや横からしがみつくように抱きついてきて、それがおっかなくてしかたなかったんです」
「その黒い影というのは何なの? お化けか何か?」
「それは、わかりません。ただ、おっかないもんだとしかわからないんです」
ミヨはそう言って泣き出しました。
ミヨの泣き声だけが響く私の部屋で、遠くからは喜ぶ声が聞こえ、廊下を
みんなが言う『カッコサマ』が関係しているのだろうと、それだけはわかりましたが、何の力もない私にはどうすることもできず、葬式とは呼べない華やかな葬儀を終える頃には、私もミヨのように泣くことしかできませんでした。
初七日の夜です。
儀式を終えてみんなが寝静まると、外から足音が聞こえてきました。
私の部屋は屋敷の奥にあり、扉一枚を開ければ裏庭に出られる廊下の一角にあります。
裏庭から聞こえてきていると思い、綿入りの上着を着て廊下に出ると、閉められた雨戸を開けて外を見ました。
綺麗な月明かりの下には人影がありました。
ゆっくりゆっくりと、体を揺らしながら歩くその人は、真っ白な着物を着て蚕の家に向かって歩いていきます。
家の誰かかと思いましたが、月明かりに映える美しい着物を持っている人などいないため、誰なのだろうと外に出ました。
ワラで編んだブーツのような靴を履き、こっそりと白い着物の人を追いかけます。
屋敷の人も村人も全員眠りについているようで、物音一つ聞こえませんでした。
積もった雪越しにかすかに見えるその人は、黒い髪を背中で揺らしながらさっさと歩いていきます。
雪かきされているとはいえ、当時は手作りのスコップでかき分けていただけなので、子供の足では沈むほど雑な仕上がりの道です。
いくら雪道に慣れていても、普通の道路を歩くように進んでいくその人に、私はかすかな違和感を覚えました。
そもそもこんな時間に、あんな薄そうな着物一枚で出歩く人など考えられません。
それに、その日はキヨ姉さんの初七日で、近所中が喪に服して外に出る事ができない日です。
いったい誰なんだろうと足を止めると、前を歩いていたその人が消えました。
どこを見ても黒い髪は見当たらず、気づかれたのかと走って消えた場所に行きましたが誰もいません。
周りは雪の壁があるだけで、人が隠れられる場所も、別の道に歩いていくこともできない場所でした。
見失ってしまったと思った私は、諦めて部屋に戻りました。
次の日、家族の中で私以外に唯一泣いていた母に、昨日見た白い着物の人の話をしました。
最初は顔色を悪くしていましたが、途中で見失った事を話すと、母は安心した顔で私を抱きしめたのです。
末っ子だったことで、仕事の忙しい家族から相手にされることが少なかった私は、ほとんど覚えのない母の温もりを初めて感じた瞬間でした。
「そうね、もう良いのよね。お
泣きながら私の頭を撫でる母は、遠くから見ていた時よりも、ずっと小さくなっていました。
白い着物の人を見てから数年後、養蚕業は昔ほど儲からなくなり、だんだんと離れていく人が増えていました。
実家も次第に傾いていき、私が嫁ぐ頃にはかつての盛況ぶりが嘘のように、屋敷の中は静まり返っていたほどです。
キヨ姉さんが亡くなってから、村中で私の病気を待ちわびるような話をしていましたが、私は病気になるどころか健康そのもので、今では五人の子供と十人以上の孫がいます。
嫁ぎ先も養蚕業を行っていたところですが、実家のように家族が中心になっていたのではなく、きちんとした会社を作り従業員を雇って仕事をしていたところでした。
夫になった人とは少し歳が離れていて、はじめは政略結婚ということもありギクシャクした関係でしたが、時間をかけてお互いに歩み寄ることができ、今では夫婦として接しつつ、家族として穏やかな老後を迎えようと話し合っています。
実家は、残念ながら途絶えてしまいましたが、屋敷は今でも一部だけ残しています。
最後の当主となった長兄が、「お前が死ぬまでで良いから、神棚のある部屋だけは壊さず残しておいてくれ」と遺言をしたので、夫に話したところ、私が死ぬまでならば良いという事で管理することになりました。
不気味な黒い影を見たミヨは、私が嫁ぐまで屋敷で奉公していましたが、私が嫁いでからは行方不明になったと次兄から聞いています。
逃げ出したとか、誘拐されたんじゃないかと屋敷は大騒ぎになりましたが、当主になっていた長兄は警察に届けないまま、彼女の故郷に「嫁いだ」とだけ電報を打ったそうです。
現在、蚕の家は全て取り壊されていますが、中で使用していた道具の一部は嫁ぎ先に持ってきていて、展示物として展示されている物もあります。
姉が寝かされていた家の物もあるので、少し複雑ですが、せめてもの供養にと展示してもらうことに決めました。
けっきょく、『カッコサマ』とは何なのか、どうして女性が早死にだったのかは今でもわかりません。
ただ、嫁いできてから知ったのですが、一部の養蚕者の間では、蚕を神様として崇め奉り、生贄を捧げたりしていたところもあったそうです。
あまりにも度が過ぎて、罪を犯した人もいたくらい大事にされていた蚕も、今では一部の場所でしか飼われなくなり、絹という物を知っていても、日常で実際に使用する人は格段に減りました。
今は嫁ぎ先でも養蚕の他に、呉服を取り扱ったり、和服をアレンジした商品を提供したりする会社も経営していて、昔ほど蚕に関わる機会は減っています。
それでも、たまに蚕を見に行きたくなる時があります。
それは、ずっと嫌だった実家を思い出したくなるのと、亡くなった一族の女性達を思い出して供養するためです。
もしかしたら家のために犠牲になったのかもしれない人達が、少しでも安らかに眠れる事を祈りながら、私は今日も蚕と向き合っています。
カッコサマ 逢雲千生 @houn_itsuki
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