第6話 おにぎりにフォークを賢者にはナイフを
「なぁカインズよ。お前そろそろ、ラーメンとかが食べたいんじゃないのか?」
耳元で唐突に囁かれた祖父の問いかけに、オレは何も言えずに固まってしまい、ただ祖父の顔を凝視してしまっていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今日はオレの十一歳の誕生日。
今夜の食卓に並ぶは、母が腕によりを掛けて作った豪華なメニューの数々の他に、何故か白米のおにぎりに、豆腐の浮かんだ味噌汁。
これら懐かしい品々を持ち込み料理したのは、オレの隣の席で好々爺の笑みを浮かべる、老いて益々盛んな怪商……モンド・ブラガ=アサノ。
オレの『お爺様』だ。
この人は彫りの浅い、どこか見慣れた印象を受ける顔立ちだ。
唯一、左目に掛けられた片眼鏡モノクルが、違和感を感じさせるが、現役バリバリのやり手社長の様な印象を受ける。
母から名前というか、副姓を聞いた時から、薄々思っては居たのだが、やはりこの人は……。
若干の警戒感を持ちながらも、なるべく無難に今日を終えるため、初めてまともに会う祖父に緊張する孫を装い、上手く会話を進めることが出来た。
しかし会話内容に気を配る余り、オレは致命的なミスを犯していたのに気付かなかったのだ。
この時、食事を進めながら会話をしていたのだが、オレは無意識に使ってしまっていたのだ。
何を?
……いや、お箸です。
味噌汁椀の前に置かれていた箸を、知らぬ間に手に取り、味噌汁に浮かんだ豆腐を摘まんで口に運んだ瞬間、唐突に発せられたのが冒頭の質問。
冷や水を浴びせられた様に固まり、思わず箸を取り落としていた。
……やってしまった。
周りをよく見ればソホンさんなんか、おにぎりにナイフを入れてフォークで口に運び、ポロポロと米粒を溢しているし、父も味噌の匂いが苦手なのか、母に味噌汁を押し付けているというのに……。
段々酒も入り賑やかさを増していた室内で、まるで祖父とオレの時間だけが止まったかの様だった。
「やはりな。……カインズや。とびきりのプレゼントを用意してきとるから、後でお前の部屋に招いてくれんかの?」
「……はい、お爺様」
その後は、何事も無かったかの様に誕生日会は進み、和やかなムードのまま徐々にお開きの雰囲気となり、三々五々招待客達が帰っていく。
母も、それまでは大人しく寝ていた妹が、突如泣き始めたので、今は両親の寝室に戻り、オムツ替えをしているか、母乳を与えているのだと思う。
三ヶ月前に産まれた妹は、何故かオレと違い普通の人族の赤ちゃんだ。
わりと手の掛からない大人しい子で、将来はおしとやかな美人に育ちそうである。
いつの間にか、食卓には未だに酒を酌み交わす酔っぱらいが二人(父とソホンさん)居る以外は、オレと祖父だけになっていた。
目で促されオレが自室に戻ると、祖父が当たり前の様に付いてきて、扉を後ろ手に閉める。
「さて、何から聞けば……話せば、良いかの」
しばらくの間、お互いのことを話していたが、その数奇な運命に素直に驚かされる。
結論から言うと、祖父は日本人……では無かった。
日本人だったのは祖父の母。
何故か、その名前を聞くだけで涙が出て来て止まらなかった。
聞いたことの無い名前の筈なのに……。
祖父の話によれば、今から六十年ほど前に、当時の姿のままで、こちらの世界に来た浅野さんは、こちらの言葉も分からず困窮していたところを、運良く曾祖父に助けられ、やがて結婚。
準男爵という下級に属する貴族であるブラガ家の次男……オレからすれば曾祖父に当たる人との間に、一男一女を儲け幸せに暮らした。
子育ての傍ら夫や義父を介して、帝国全土に農法改革を広めようと奮闘するも、その力及ばず……改革は、夫の兄が継いだブラガ準男爵領と周辺の友好的な貴族の領地など、ごく限定された地域に留まる。
そして今から十七年前に、流行り病で夫婦共々呆気なく亡くなったのだという。
祖父は浅野さんの知識がもたらした、味噌・マヨネーズ等の加工食品や、
元手を殖やしてからは、大々的に製紙や綿花栽培を開始、巨万の財を成したという。
浅野さんのケースと違い、オレが死亡当時の姿では無く、浅野さんの曾孫としてハーフエルフに転生したことには、祖父も首を傾げるばかりで、確たる理由は分からないようだった。
浅野さんが転移した時期と、オレが転生した時期のズレも同様に謎のままだ。
ただ、それまで祖父と孫という割に、顔を合わせて話す機会も無かった二人が、お互いに強烈な親近感を覚えるきっかけにはなった。
浅野さんのもう一人の子供……コユキ・ブラガ=アサノも、実は農学者として大活躍中で、この大陸の南西端アンダ獣王国にて、カカオ豆やコーヒー豆などの栽培法を確立しているらしい。
オレの大叔母にあたる人。いつか会いたいものだ。
浅野さんという女性の面影を色濃く残しているそうだから、この分だと顔を見ただけで泣いちゃいそうだけれど……。
「ところでカインズよ。お前さん、内政チート……とやらに聞き覚えは有るかの?」
思わず、ポカーンと口が開く。
「その反応だと知っとるようじゃの。母の口癖じゃったよ。内政チートとやらには金が掛かる、モンド、貴方は大商人になりなさい、と幼い頃より言われ続けての。魔法使いに憧れておったが、生活魔法すら使えなんだからな。渋々、言われるままに商いを始めたが、何とか上手くいって良かったわい」
……浅野さんって、そんな女性なのか?
……我知らず涙が出るほどの名前を持つ女性が持っていたらしい妙な趣味に、何やら頭痛さえしてきた。
…………いや深く考えたら負けな気がする。
「お爺様、それで僕に何を期待されておられるのです?」
「おお、そうじゃ。お前さんの魔力適性じゃがな。儂の子や孫は言うに及ばず、ちょっと普通では考えられんほどだそうな。アマリアの手紙だけではなく、宮廷魔術師のアステール・ペリエからも話を聞いてきた。そこで、お前さんに極めて欲しいのが付与魔法なのじゃよ」
「付与魔法ですか? 付与魔法なら、もう色々と使えますが……」
「普通の付与魔法では無い。永続付与の魔法……いわゆるコンティニュアルエンチャントというヤツじゃよ」
「お爺様から頂いた史書によれば、コンティニュアルエンチャントというものは、遠い昔に失伝したのではないですか? それに、唯一神を崇める教団や国々では異端扱いされている反面、我が帝国や万神教を信仰する諸国では聖者として祭り上げられている、例の伝説上の賢者しか、使える者がいなかったという魔法ですよね?」
「その通りじゃ。今までに生まれた子のうち、魔法の才に恵まれた者や、孫に関しては全員に、お前さんに与えたのと同じ『識者の宝珠』。つまり潜在能力開発の魔道具を与えてきた。しかし、ついぞ永続付与という魔法をスキルとして得た者はおらん」
「……では、お爺様は永続付与とは、スキルでは無いと、そうお考えですか?」
「恐らくはな。独立したスキルでは無く、既存の属性魔法スキルを極めていった先に得られるか、どうにかして賢者の遺した書物でも見つけて習得するしか、方法が無いのじゃろう」
「果たして本当に、そのような書物が有るのでしょうか? それ以前に賢者は未だに、その実在を疑われているとか…………」
「いや賢者は実在の存在じゃよ。古代に実在したということが分かっているハイエルフは皆、永続付与の魔法を自在に使いこなしていたと言う。儂は賢者が人知れず生き残っておった、ハイエルフだったのでは無いかと睨んでおる。ハイエルフが生きておった古代、人々はその恩恵を受け、今より余程に進んだ文明社会で暮らしておった」
「古代魔法文明ですよね。遺跡が世界中に残っている。現存する魔道具の大半は、その時代に造られたとされています」
「ああ、そのとおりじゃ。神の怒りに触れて滅んだとか、唯一神の教団は世迷い言を声高に叫んでおるが、本当のところは何一つ分かっておらん。ただな、賢者の作ったと伝わる魔道具の中には、明らかにその時代の物では無いと分かるものが多いのじゃよ」
「そうなんですか。何故それが?」
「根本的な発想の違い……とでも言えば良いのかの。無駄に大規模な乗り物、兵器、贅沢品。その様な物は賢者は作らなんだ。ひたすら人の生活に利する物、特に庶民の暮らしを助ける物を作り続けたのが賢者じゃった。儂はな、母の理想を受け継いで、冬を越すたび餓死者が出たり、我が子を売りに出したりする今の世の中を変えたいのじゃよ。じゃが……それには、我がアサノ商会の全資金を注ぎ込んだとしても、ほんの一時しのぎにもならん」
確かに、それはその通りだろう。
その日の糧にも困っているような者が、食料や衣類、幾ばくかの現金を与えられたとしても、それで全てが上手くいくとは思えない。
それに、世界中を見回せば、腐敗した支配層、戦争、疫病、差別や宗教対立、一時的に世の中が少しばかり好転したとしても、すぐに元の木阿弥になりそうな要素は幾らでも有るのだ。
考え込んでしまったオレを見た祖父は、柔らかな笑みを浮かべて続けた。
「永続付与の習得、または発見に必要な援助は全て約束しよう。幸い、うちの跡継ぎ息子も全面的に同意してくれておる。息子が主導して、賢者が作らんとしていた、公衆衛生のための上下水道施設も帝都にだけは設置済みだ。そのうち、各国主要都市を手始めに広めていくつもりでは有るのだ。排水を自動浄化する魔道具が足らんので、残念ながら二の足を踏んでおるのが現状なのだがの」
公衆衛生の改善か。
その、たった一例だけでも、賢者の理想の一端は見えてくる。
浅野さんや、祖父の理念は賢者の理想と合致する部分が多いようだ。
賢者の伝説を記す書物では、神の怒りを恐れた唯一神の教団が、賢者を騙して呼び寄せ、魔法を封じる結界が施された部屋で不意討ちし、有無を言わさず刺し殺してしまったという。
当時の法皇曰く『異端を誅滅した』と。
その当時は自らの愚行を、それはそれは大々的に喧伝していたそうなのだが、今ではその様な事実は無かったとものとして、すっかり態度を変えてしまっている。
ただ、今もって永続付与を掛けられた物品を異常に毛嫌いし、悪魔の道具、異端の象徴などと言ってはばからないことから、非常に怪しいのは間違いない。
もし、賢者が夢半ばで倒れていなければ、彼(彼女?)の理想は多くの力無き庶民を救っただろうに……。
オレは、この世界に生まれ落ちた意味を知らない。
もしかすると、本当は意味なんて無いのかもしれない。
ただ浅野さんという女性は、自分なりの答えを出したんだ。
オレが浅野さんの夢を、その息子や孫と一緒に受け継ぐのも悪くはない。
うん、悪くないよな。
いつまでも口を開かないオレを不安そうに見つめる祖父に、オレは力強く頷き、自分に出来るだけの協力を約束したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます